第三問「地の底より来る悪魔」
諸君は、悪魔の存在を信じるだろうか。様々な信仰が、ある時はしてはならぬことの化身として、あるいは追い落とした他部族、異教を否定するために相手を悪魔と貶めたりしてきたことは、賢明な方々にはすでに常識だろう。しかし、この悪魔の力を借りようとする試みは、たいてい無意味に終わるか破滅に終わるかというのは大半の創作における定番である。
また、論理をこねるのが好みの方々には「不存在証明が実質不可能に等しいこと」のたとえで「悪魔の証明」という単語が使われることも定番であろう。悪魔はいない。少なくともそれをすべての地球すべての時において証拠を上げて論ずることは一個人には到底不可能である。
しかし、ある時ある場所で起きた恐ろしい事件が悪魔によるものではない、という話であればどうだろうか。今回はそのような事件を読み解き、この悪魔の名を呼んでもらう。ヒントになる余談として、私はこの悪魔が大変に好きだ。ということをはじめに申し上げておこう。
「地の底より来る悪魔」
悪魔は地の底におびただしい数がいて、人間を誘惑し、あるいは病毒をまいて人間を苦しめる。そういう者である。悪魔は神や天使と違い、積極的に人間に近づく。悪魔はそれを利用したい人間を利用する。そういうものである。
そうと知りながら、人間はある種の悪魔を愛好する。それは身を刻まれ、葬られようとも地の底に悪魔による王国を築く。目を抉ることで奴らの悪しきたくらみは止まるが、そのようにした果てに得られる満足は、再び人間に無意味にも悪魔の身を刻ませる。この禁断の悪魔たちの化身は、多くの姿を取り、そして多くの人間を死の四重奏へと導いた。
この悪魔のこの恐るべきやり口を支えるのは、奴らの扱われ方に対する巧妙さである。奴らは人類の体の調和の担い手であるかのように言うし、炎熱に身を投じられても調和のカギとなるものを手放さないとされている。しかし、奴らは人を醜い姿に変え、暴食に身を落とした悪逆の徒のように見せるすべを忘れていない。この恐るべき業は、たとえ目を抉られても続けられる。
かくのごとく恐ろしき悪魔は、広く知られた際には初めこそ恐れられども、もはやその増殖は人間の王の国家プロジェクトにさえさせてしまったのだ。この悪魔の力あらば、軍は強まり、飢餓が遠のくと賞賛された。今や我々の周りのいたるところに公然と、集団をなして存在してしまっている。この悪魔を絶やすことなどもはやできないのだろう。奴らは丁度地獄のごとき油鍋にて釜茹でにされるような罰を与えられてなお人間を誘惑する。そのような目に遭った悪魔の誘惑に、怠惰な寝姿とともにこれを受け入れることさえ素晴らしいことのであるかのように語られている。
そして私さえも今日もこの悪魔の王国が自宅の庭の底に栄えていることに安堵してしまっている。人類はこの悪魔にすっかり利用されて何百年も経っている。もう手遅れでしかない事実に、私はただ震えるよりほかはないのであった。
(完)
いかがだっただろうか。利用しているはずの相手に利用される。気づいた時にはもう取り返しのつかないような蔓延を見せている。そんなおぞましいものであるが、例によって素性は我々になじみ深いもので、恐れるようなものではない。この主人公は絶望的であるかのように語っているが、そうではない。勇気を出して悪魔の正体を暴きだしてほしい。例によって今回も次回の出題とともに解答を掲載する。その時までに回答を導いてほしい。それでは皆様も、この悪魔のもたらす死の四重奏にお気をつけて……。
第二問の答え「折り紙」
メモ用紙、コピー用紙など、正方形に裁断可能な紙でも正解。
刃物というのは、「紙の端で手を切る」ことから。