第四話【しかし】
「あのさぁ!帰ってきてんなら連絡してくれる?」
信二から”トモが戻ってきた”という連絡をもらった遼太は、しばらく智美からの連絡がくるのを待っていた。
ワクワクしながら待っていた。遠足の前日に寝つけない子供のように待っていた。待ってもこなかった。
来たばっかりだと忙しいだろうと思って、何から話そうかと妄想しながら、それでも待ってみた。
2週間経っても何の連絡もないことにしびれを切らし、渋々ながら、遼太から電話をかけることにしたのだ。
「なんで?」
「”なんで?”じゃねぇよ!彼氏に連絡するの、普通だろ。」
「別れた”元カレ”に、なんでわざわざ連絡しなきゃなんねぇんすか。てか、大体からして、いきなり連絡しろとか言う?”ひさしぶりぃ、元気だった?”とか言うのが普通じゃない?しかも”帰ってきた”んじゃなくて、”戻ってきた”だから!」
「…悪かったよ。しれっとやり直すわ。ひさしぶり元気だった?」
「ひさしぶり元気だったよ元気?」
「うん元気。」
お互いに、あからさまな早口棒読みに、なんとなく笑いがこみあげてきた。
「しっかし、相変わらず、うちのばあちゃんみてぇにキッツイ言い方で、ばあちゃん家の軒下の太くて鋭利な”つらら”のように冷てぇ女だな。」
「うるせぇわ。じゃあね。」
「あぁ、待った待った!」
「何?」
「近々【4040】にでも飲みに行こうって、信二から聞いてんだろ?」
「聞いたけど、忙しいから断ったよ。」
「なんで?」
「”なんで?”じゃねぇわ。なんで、わざわざ上司と仕事以外で会わなきゃなんねぇんすか、ヤダね。」
「仲良いくせに。あ、出世した信二へのジェラシーっすか。」
べつに、と智美様はヘソを曲げてしまわれたようだ。
「…んじゃあ、【エクラン】なら?」
「行く♡」
智美の声のトーンが、明らかに”女の子”にアガった。
「ゲンキンなヤツ!」
【Ecrin de bonheur エクラン ド ボヌール】は、蝶ヶ舞の女たちにとって、ステータスといえる。
著名人もお忍びで通う、中々予約の取れない高級おフランスレストランだ。
フランス語で【幸せの宝石箱】というお店の名前は、オーナーが、「フランス料理を楽しむ客1人1人が、宝石のように輝けるレストラン」という意味でつけたものだそうだ。
「予約しとく。いつがいい?」
「さっすが幼馴染だね♪簡単に予約取れちゃうなんて。」
「まぁな。生粋の蝶ヶ舞っ子の特典だな。で、いつが平気?」
「んー…そうだなぁ~。来たばっかりで、本当にやること山のようにあるし。引っ越しのダンボールも半分以上開けられてない状態だし。」
「あぁ、そうだよな。荷解き手伝うよ?」
「いえ、結構です。そうだなぁ、なんとか来週かゴールデンウィーク終わってからか…なぁ?」
「りょーかい!じゃあ、来週予約入れとくわ。」
りょーかい、と言った智美の声が弾んだように聴こえて、遼太は胸をなでおろした。
「トモ?」
「ん?」
俺たち…と言いたい気持ちが、コンマの静寂を作る。
「…おかえり。」
「…ありがとう。」
雪解けが始まる春の木漏れ日のような、柔らかい声が響いた。気がした。
「あと、誕生日おめでとう。」
「ありがと。」
「誕生日に電話したのに。電話出ねぇし、メッセージは無視だったけどなっ!」
「はぁ?返事返したじゃん?」
「”あんがと”とかいう変なスタンプ1コなっ!返したうちに入らんわ!」
水面が薄く氷を張る、冬の始まりのような会話が2人を包み込んだ。ひんやりと。
「蝶ヶ舞中学の10人が集まるのは、何年ぶりだろうな?」
昴が言い、
「あとで11人目が来る。…予定。」
と信二。
誰だよ?来てからのお楽しみぃ~。という話からミニミニ同窓会は始まった。
いつもの【4040】、今日は20畳の宴会個室だ。
乾杯もそこそこに、
「げっ、みんな独身!?」
【浜谷 哲哉 Hamatani Tetsuya】が、野郎数名の顔ぶれを見て、かっぷくのよいふくよかな顔で、「やべぇな」という嫌味な顔をする。
通称【ハマ】は、建築材の父親の会社の後を継ぐために、中学を卒業すると高校には行かずに、ひと足お先に社会人となった。ハタチという若さでデキ婚をして、【美菜 Mina】と【美麻 Mima】という娘が2人いる。上の子は、すでに11歳、下の子は離れて3歳になったという。自慢気にスマホ画面の楽しそうな家族写真を見せびらかしてくる。自分だけ結婚して、親に孫を抱かせたことに悦に入りたいのだ。
「イケメンが揃いも揃って。蝶ヶ舞中の野郎はモテないんかよ!」
ハマは、ヤレヤレと嬉しそうだ。勝ち誇った顔にイラッとする。
「や、みんな彼女いるだろ?」
【大瀧 武久 Ootaki Takehisa】が涼しい顔でつっこむ。
通称【タケ】は、ここにいるほとんどの蝶ヶ舞中の野郎たちの幼馴染で、高級おフランスレストラン【Ecrin de bonheur】の御曹司だ。幼馴染の特権で、子供の頃から大瀧邸に遊びに行くと、生意気にもフレンチを頂いたりしていた。まかないだけど。それでもチョー贅沢。
学生の頃の武久は、金持ちにはとても見えないくらい、”田舎のぼんやりした子”という印象だったが、
さすがは跡取り息子、大人になるにつれ自信と自覚が芽生えたようで、元々整った顔が、さらにキリッと男前になっていた。やはり、一流の教育が一流を育てる。のかもしれない。
「俺に昴に信二だろ?あー、大和は?」
おい!と昴が小声で武久を制する。なんだよ、聞くなと?なんで?
野郎たちに注目された大和の表情が、虚空を見つめている。瞬きもせず。口を半開きにして。
「…南の島に、飛んでった。」
ぼそり。無精髭で彫りの深い顔が、呆けている。ワイルド系イケメンが台無しだ。ファンには見せられん。…絶対に。
各々に大きなクエッションマークを浮かべる蝶ヶ舞中の野郎たちは、各々が各々をキョロキョロ見合うハトの集まりのようだった。
ヴォーカルの…縁里!?ひとつの答えを導き出した蝶ヶ舞中の野郎たちは、今度は大きなビックリマークを大和に集中させた。
おまえら知らなかったのかよ?という呆れ顔の昴が天を仰ぐ。これまた彫りの深いワイルド系イケメンが、「もう1年半経つんだぞ?いい加減カンベンしろよ、大和くーん。」ぼそり、と天を見つめる姿はサマになる。写真に撮って、ファンに売りたい。…セコイな。
縁里は、留学先で恋のマジックにかかり、そのまま現地人に嫁いだという風の噂を聞いた。本当かどうかは謎だけど。
遼太も、大和の切ないオーラにいたたまれなくなって、話題を変えた。
「あ、そうだ。タケ?来週のどっかで【エクラン】予約したいんだけど、いいか?」
確認しとく、と武久は大人の余裕スマイルで、OKを指で作った。
予約が2年待ちだったこともあるほど、【Ecrin de bonheur】は、本当に予約の取れない高級おフランスレストランだが、幼馴染というだけで、特別になんとかかんとか無理くり調整して、予約を取ってもらえる。しかも友達割引がきくから、ありがたい。
「トモと行くのか?」
信二がサラッと聞く。遼太が小さく頷く。
「あれ?遼太、彼女いんの?」
昴が、大和から話題が変わって、しめしめと食いつく。
「今は、離れてる。」
「なんだよ、その絶妙に曖昧な言い方。」
「くっついたり戻ったりが激しいからな。」
横入りしたのは、信二だった。
「あ、そうなの?なんで?」
「遼太の彼女、うわ」
「東京の子だからさぁ!すれ違いとか、な!」
“な!”と遼太は、信二にキッツイ目を向ける。わーお、と信二は眉を上げる。
「都会の女なのか。遠距離?」
「仕事で【蝶ヶ舞ららんぼーと】に来るんだよ、それで。」
「あぁ、なるほどな。」
ふぅ~ん、うんうん、と昴が頷いている。
「そういえば、【蝶ヶ舞ららんぼーと】といえば、7月のキャンドルイベント、【ららんぼーと】の草っぱらでやるんだろ?規模は?」
遼太が信二に話を振る。
「各店舗が協賛でやるから、結構な規模になると思うよ。町長も「町をあげて盛り上げる」って、鼻息荒いみたいだし。」
「そうなんだよ。じーさん、マジでウケるから。」
蝶ヶ舞町役場に務める野郎の1人が、陰湿な笑いをする。正直、得体の知れない薄気味悪さを感じた。
「あ、そうそう。キャンドルアーティストたちの作品の販売やるから、遼太とハマに売り子手伝ってほしいんだよ、いいか?」
あぁいいよ、OKと遼太とハマが承諾する。
「なんか、遼太変わったな?」
昴が正面の遼太を覗きこむ。
「変わっ…たかもな。」
遼太が生ビールを飲み干す。
「なんか、落ち着いたよな?」
「落ち着い…たかもな。」
俺、ウーロンハイ、と飲み物を注文してる野郎に遼太が答える。
「あ、俺は緑茶ハイ。べつにチャラかった、とかじゃないんだけどさ。印象が全然違くて。」
「ふぅーん。そうか?」
まわりの野郎たちも「確かに」「なんか変わったよな」「整形した?」と会話に加わる。
「あぁ、なんか…なんだろ?大人になった?」
「あたりまえだろ。俺らも31よ?」
苦笑いが野郎たちに広がる。
「や、そうじゃなくて。なんかあったの?」
「…んー、だから、そりゃ、だんだん落ち着いてくるだろ?」
「だから!そうじゃなくてぇ!」
「あぁ?なんだよぉ?」
遼太と話をしながら、昴は頭の奥の方から、ピーンとした閃きが伸びてくるような感覚をおぼえた。
何かが降りてくる。だけど、まだわからない。早く見せてくれ、先に行く俺は、それが答えを得る感情だとわかっているかのようだ。
「俺は…」久しぶりに集まる野郎たちは、中学に戻ったかのようにハシャぐ。その大笑いにかき消された遼太の声。
聴こえたよ、俺には。もっと遼太と話がしたい。こいつが変わった理由、彼女とのこと、もっと聴かせてお・く・れ?
正面に座る昴が、テーブルに前のめり、デカイ目で、にーんまり♡と覗くように見つめてくる顔が不気味すぎて、「気持ち悪りぃよ…。」遼太の顔面が、ゲテモノを食べた時のように歪む。
テーブルの上の散乱具合が酷い。蝶ヶ舞中の野郎たちも完全に出来上がりつつあった。
今の話題の中心は【浜谷 哲哉】だ。ハマが中学時代に同級生の【松田 伊津子 Matsuda Itsuko】に告白をして、「キモイ」と言われて、こっぴどくフラれた話で大盛りあがりだった。
「私はイケメン好きなの!昴くんや大和くんみたいな男の子じゃなきゃイヤ!ハマ、キモイ!」
って、フラれたんだろぉおおお!?松田サイコー!ウケるわぁあああ!!大笑いも大笑い。
さすがに失礼だし、ハマが可哀相。だけど笑えるわぁあああ!腹をよじらせて、膝を叩いて、大笑い。
「いつの話してんだよ、ガキたちが。」
ハマがフンッとふくよかな頬でふてくされて、ジョッキのカルピスハイを飲み干した。…似合う。
そのタイミングで、個室のドアが開く。
「ごめんごめん、遅くなった!」
できあがっているな、という苦笑いで入ってきた、白のポロシャツに水色のチェックの短パン姿の童顔男に、注目が集まる。
…誰?という酔っぱらい野郎たちの虚ろな目。
おう来たか!と手を上げたのは、信二だった。
「もしかしてぇ~、コーセイ?」
昴が彫りの深い目をトロンとさせて言う。
あぁ!泉!?と野郎たちも無駄に驚き、無駄に笑いながら反応した。
「おーい!泉ぃ、ひさしぶりじゃねぇかぁああ!」
バツが悪かったハマがフラフラと立ち上がり、でっぷりとしたお腹で、上司のように偉そうな態度で【泉 香聖 Izumi Kousei】の肩を組んだ。酒臭い。「まぁ座れよ。」と上から笑うハマが、野郎数名をシッシッと払う。偉そうに。やっぱ、なんかイラッとする。
「おととい?たまたま【ららんぼーと】で香聖に会ってさぁ!」
信二が話し始める。
「中学以来だから、15…16年ぶりだよな!?」
【泉 香聖】は、サッカーの推薦で、千葉にある高校へと進学した。「蝶ヶ舞からサッカー選手が誕生する!」「蝶ヶ舞の星だ!」と期待をされた香聖だったが、足首を故障してレギュラーから外れ、その後も選手としてはやっていけない、と挫折した。
そのまま千葉の大学に入り、大学卒業後に蝶ヶ舞町の隣の隣の【滝のぼり市】で電気屋さんに就職していたのだそうだが、蝶ヶ舞中の野郎たちとは誰とも連絡を取っていなかったようだ。
田舎の噂が広まるスピードは、光の速さくらい速い。言い過ぎた。あながちまちが…
そんな気まずさもあったし、もちろん野郎たちも「香聖、レギュラー落ちしたんだって。」という話を知っていたので、どことなく変な空気が漂った。
何飲む?と信二に聞かれ、仕事終わりだから生ビールと香聖は答えた。
生ビールが届くと早速、「ひさしぶり!」ともう何十回目になるかの乾杯をした。
野郎たちは、ほとんど正体不明になってる者が続出している。
中学時代に仲が良かったのは、昴と大和だ。こっち、と大和が香聖に手招きをする。
おう、と嬉しそうに微笑んで、香聖が大和と昴の間に座った。ひさしぶりだな、としばらくは近況報告をする。
「【滝上電気 Takijou Denki】って、滝のぼり市の?」
大和に聞かれ、うん、と香聖は生ビールをゴクリゴクリと勢いよく喉に流し込む。ぷっはぁ~。
「大手じゃ~ん?」
昴が、ほとんど溶けた苺のジェラートみたいな赤い顔で、香聖の背中を撫でる。イヤらしく。ほとんどセクハ…
「残業残業、出張出張で、ほとんどブラックだよ。」
ヤレヤレという顔で、「腹減った。これ食っていい?」と、拳大の唐揚げを香聖はガブリとつまんだ。
「【滝上電気】じゃ、うちもつきあいあるよ?」
遼太が「揚げ出し豆腐食う?」と香聖に勧める。「さんきゅ。」と柔らかく受け取る香聖は、
「遼太も電気屋?会ったことねぇな?」
揚げ出し豆腐をモグモグ、唇をオイリーにさせて、丸っこい目を遼太に向ける。
「俺は、ガス屋。蝶ヶ舞の【平岡ガス】、知ってるだろ?」
「あぁ、もちろん!いつもお世話になってます。」
「や、や、こちらこそ、いつもお世話になっとります。」
「なんだよ、おまえら、かしかしこまって。」
大和がプハッと笑うから、「確かにな」と笑えた。
「平岡さんのとこの跡取り、確か結婚したんだよな。去年だっけ?【光の十字架教会】で。」
「あぁ、うん。【エクラン】の並びの、な。1年くらい前か?綺麗な花嫁さんだったよ。」
らしいな、と柔らかく微笑んで、香聖は唐揚げをビールでゴクンゴクウ流し込んだ。
「式に【滝上】の社長も来てたよ。結構包んでくれたみたいで、うちの社長がベタ褒めしてたわ。」
遼太が苦笑う。
「ははは。従業員こき使いまくっといて、見栄っ張りだからな!」
香聖が当てこすり笑うと、「どこんちも似たかよったかよ。」と奴隷労働の酔っぱらい野郎たちを巻き込んで、苦笑いが広がった。
「サッカー、残念だったな。」
ふと、大和が遠慮気味に言う。
「大昔のことだよ。」
香聖は、柔らかく苦笑った。