第三話【なんと】
「2つほど話がある。」と【石森 信二】から【沓間 遼太】に連絡があったのは、1週間前だった。
蝶ヶ舞町にある人気の居酒屋【4040 ヨレヨレ】の薄く透けるベージュの暖簾のかかるテーブル席で、信二と遼太は生ビールを乾杯した。2人は、小・中・高と、なんなら幼稚園も一緒で、信二が大学は東京に上京し、そのまま都内のスポーツ系大手アパレルブランド【uma ユーマ】の本社に研修生として就職したが、幹部候補として帰ってきて【蝶ヶ舞ららんぼーと店】の店長になった。遼太は高校卒業後、地元のガス会社に就職した生粋の蝶ヶ舞っ子だ。
「まだ先だけど、7月のキャンドルイベント、Flat earthがゲストで歌うんだろ?」
「そうらしいな。」
ツンツンした短髪の信二は、気のない返事をすると、【4040】名物の拳のような唐揚げにかぶりついた。
「新しいヴォーカルの子で、やっと形になってきたんだって?」
「みたいだな。」
モグモグ、とまた気のない返事をした信二は、ゴクンと喉チンピーを上下させると、半分になった唐揚げを大口開けて、続けて頬ばった。
奇しくも、Flat earthの新ヴォーカルの名前が【トモ】ということを、2人はあえて口にしない。
「…とはいえ、まだ歌えない歌ばっかりなんだろ?どうすんだ?」
「昴が歌うんだって!」
ゴクリ、と唐揚げを飲み込んだ信二が、油まみれのグロッシーなポテッとした唇で言う。
「あ、昴が歌うのか!?」
幼馴染の【矢吹 昴 Yabuki Subaru】と【松尾 大和 Matsuo Yamato】は、Flat earthというバンドをやっている。蝶ヶ舞では、そこそこ人気のあるインディーズバンドだが、ワイルド系イケメンの2人をもってしても、売れるという商業的には苦戦していた。
「元々はそうだったじゃん?中学の時に、昴と大和が"ミュージシャンになる!"とか言って始めたとき。」
ペーパーナプキンで唇をこすり、テーブルの端にポイッと置く。奥歯に肉が詰まったのが気になるらしく、チョット口を開けながらベロで奥歯をいじっている。
「あぁ、そういえばそうだったな。2人でギター持ってな。高校卒業したくらいから、Flatは女の子がヴォーカルのイメージだから、昴が歌うの忘れてたわ。」
だよな、と2人は苦笑う。
「昴と大和じゃ、イケメンだからすぐ売れるって、みんな思ってたけどな。中々厳しいんだな、音楽業界ってのも。」
天然パーマのフワッとした髪が眉毛にかかる遼太が、枝豆に手を伸ばす。
「曲じゃん?意味不明の歌詞ばっかじゃん、昴の曲って。それに、"夢っていうより、所詮はビジネスだ"って、シビアに言ってたこともあるし。」
「現実は、中々難しいよな。」
少し、しんみりとする丸っこい目で、遼太は枝豆をかじった。
「やっと、【sirius シリウス】を埋めるとこまで人気出だしてた矢先だったからな。Flatのファンもそうだけど、バンド存続の危機で、昴たちの落ち込み感が、通夜並みのレベルだったらしいよ。」
「そらそうなるわな。」
【sirius】というライブハウスは、蝶ヶ舞町の隣の隣の【滝のぼり市】にある100人を収容する会場だ。
ここらで、この会場を埋めるというのは、とても人気がある証だった。
天体のおおいぬ座の中で、地球から見える1番明るく輝く1等星であるシリウスにちなんで、”地球で1番光るスターになれ”という意味と、満天の星空が美しいここらの環境ならではというか、随分と大それたネーミングがされたものだった。
「それで今度、キャンドルとかに関してミーティングしようってことになってて、ついでにプチ同窓会みたいな感じで、蝶ヶ舞中の野郎を何人か集めることになったから、遼太も参加しろよ?」
「あぁ、そうなんだ。”プチ同窓会”ね、わかった。」
はいはい、と遼太は適当に頷く。
「女子は、昴と大和が来るから呼ばねぇよ。野郎だけで。」
「なるほどな。キャーキャーなっても、うるせぇだけだしな。」
「俺らも31だろ?今さら、キャーキャーなってもらえるかも微妙だけどな。」
確かに、とシラけたおじさんの雰囲気を醸し出す遼太は、ウーロンハイを注文した。
「今のが1つ目。」
「あぁ、そうだったな。で、2つ目は?」
うん…と、なんだか言いにくそうに、信二はウーロンハイで乾いた唇を湿らせた。
「…来月、てか、らいしゅう…」
「うん、てか、早く言えよ。さっきからモジモジしやがって、気色悪りぃよ。」
「うるせぇな!トモが戻ってくるよ。」
3杯目のウーロンハイのジョッキを持つ遼太が、柔らかそうな唇をうすら開いて固まった。カランとジョッキの中の氷が踊る。
「…なんて?」
「だから、来週、【水澤 智美】が戻ってくるよ。」
「…噴くわ!もっと慎重に言えよ!?」
「おまえが早く言えっていったんだろがぁ!」
「や、内容によるだろ!てか、俺、聞いてねぇけどぉ?」
「だから…今、言ったじゃん。てか、わりと急に決まったみたいだし。俺だって突然言われて驚いたくらいだし。」
「トモが…蝶ヶ舞に帰りたいって言ったの?」
少し、や、だいぶ嬉しそう。
「や、本社の辞令だよ。今、【ららんぼーと】の売上下がってるし。なんだかんだ言って、トモは仕事できるからな。ゴールデンウィークに、七夕のキャンドルイベントもあるし、動けるやつ入れたいんだろ、本社も。」
売上が下がる景気の悪い話に、エリアマネージャーにスピード出世した信二は、ため息まじりに言う。
「ふ~ん。今回は、どれくらいいられるんだろ?」
「さぁな。未定。だけど、1年とかってことはないよ。2~3年てとこじゃん?本社も気まぐれだかんな。」
「ずっと、ってこともあんの?」
「それはないだろうな。」
なんだよ、と遼太はプクッと口を尖らせた。
「トモが最初に来た時は、なんかすぐ戻っちゃって、そんですぐ帰ってきたんだよな。」
「あぁ、半年くらいだったかな?店舗にいたの。」
「そんで、3ヶ月くらいで帰ってきたんだよ。」
「よく覚えてんな?」
ほぼ同時にウーロンハイに口をつける。グイッとジョッキを空にすると、信二は「水割りに変えよ。」と呼び出しボタンを押した。
「忘れもしませんね。トモが帰ってきてすぐだったからな、つきあったの。」
ジィーっと、信二が目を細めて遼太を見つめる。何か言いたげな顔で。
なんだよ?と目で語る遼太と冷えたくすんだ目でコンマ見つめあう。
「”めちゃくちゃ大事にするから”だっけ?」
「うるせぇな!恥ずかしいだろ!」
笑いながら、遼太が割り箸を投げるポーズをする。
「こっちが恥ずかしいわ。”遼太のまっすぐな目が素敵だった”じゃねぇわ。」
遼太は、照れ…いや、まんざらでもないドヤ顔をした。
「つぅーか、何百回目だよ、この話。話し飽きたわ。」
信二はうんざり顔で、また拳大の唐揚げを割り箸でつかむ。
「俺は、聞き飽きないけど。」
遼太は柔らかく笑った。やってきた店員に信二が水割りを注文する。
「だけど、トモが蝶ヶ舞に戻ってくるのは意外だったな。本社は何考えてんだろ?」
「なんで?サイコーじゃん。」
や、…うん。遼太の嬉しそうな顔に、信二は一旦唐揚げを置いた。
「去年、蝶ヶ舞から東京の本社に戻って、埼玉とかインドネシアの工場行ったり、ここ1年めちゃくちゃ忙しかったみたいだからな。何気に、トモが1番本社の幹部候補なんじゃないかなって俺は思ってるんだけど。本人は、すっとぼけてるけどな。」
「あ…っそ。俺はてっきり、やっと嫁ぐ気になったのかと期待したんだけど?」
「…”やっと”って。その、やっぱり、やり直すの?トモが戻ったら。」
唐揚げにかぶりつこうとした信二の手が止まり、大きな唐揚げがディスプレイのサンプルのように割り箸の上で宙に浮く。
「もちろん、そのつもり。」
「ケンカ別れだろ?うわ」
許すよ、と信二の話を遮って、遼太は「レモンかけるぞ?」と嬉しそうに笑いながら、拳大の唐揚げのお山にレモンを回しかけた。
「呆れちゃうねぇ。また浮気されんぞぉ?」
「ハッキリ言うなよ。させねぇよ!」
「なんでそんなにトモが良いのかねぇ~。」
「信二だって、トモのこと好きだろ?」
「”人として”な?女としては100%ないわ。」
「俺の彼女に失礼だぞ、バカ信二。」
「誰がおまえの彼女なんだよ、浮気症はなおら」
「だまれぇ~。」
遼太は真顔で、信二に絞りカスのレモンを投げつけてやった。顔面めがけて。