第一話【またね】
誰とどんな時間を過ごすか、どんな人と一緒にいるのか。
これは恋愛だけに限ったことではないけれど、自分のたった一度の人生では、何より大切にしなければいけないことだったりする。それに気がつけるかつけないか、気がついて軌道修正するのかしないのか、すべてを決めるのは、自分だ。どんなことでも、何もかもを決めているのは、いつもどの瞬間も自分自身なのだ。
2012年。
山々に囲まれた【蝶ヶ舞町 Chougamai Machi】は、人口およそ3万の小さな田舎町だが、日本を代表するリゾートタウンだ。
セレブが好むヨーロッパのようなオシャレな町並みに、オシャレなレストラン。外国人観光客が喜ぶような情緒ある日本家屋や自然豊かな風景を併せ持つ田舎リゾート。
大型ショッピングモール【蝶ヶ舞ららんぼーと】は、大型連休や夏・冬とシーズンを迎えるとたくさんの観光客で賑わう。
【光の十字架教会 HikarinoJuujika Kyoukai】も人気の観光スポットだ。
天井の高いクラシカルな雰囲気のチャペル。大理石の床、Wedding aisleを左右に挟む参列席には、ウォルナット天然木4~5人掛けの長椅子が10席ずつある。正面の祭壇に、白とゴールドが基調の大きな十字架がデザインされたステンドグラスが神々しく白く輝く様が、訪れた人々を魅了する。それが、この教会が人気である所以だ。
“【光の十字架教会】の入口の扉を開けた者は恋が成就する”というジンクスがあり、彼や彼女・息子や娘の恋の成就を願う者たちが、パタンパタン何度もドアを開閉したり、ドアノブを怪しくいやらしく撫でる姿を見受けられることでも「必死か。」と有名だ。
そのジンクスに便乗商法したのが、縁結びで有名な【氷晶神社 Hisyou Jinja】の神主だ。"『四つ葉のクローバー栞』を持つ者に幸せが運ばれる。"という謂れのある栞を求めて、今日も参拝者が神社を訪れる。
還暦を2yearsほど老いた神主は、小さなカールがたくさんかかる白髪交じりの天然パーマの頭をかき、作務衣の腹のでっぱりをボリボリとかきむしり、かつての若かりし頃に思いを馳せていた日々を懐かしむ。「【光の十字架教会】にあやかりたい」と神を拝んでいた頃を思ふ。
800年以上の歴史を誇る【縁結びの神】として有名な、由緒正しき【氷晶神社】の裏山を少し登ると、四つ葉のクローバーが広がる少し開けた野原のような場所に出る。
そこで四つ葉のクローバーを見つけられたカップルは、“永遠に幸せに結ばれる”という言い伝えがあるパワースポットなのだ。
だから神主は考えた。“これは、金になる”と。“原価無料じゃねぇか”と。
それに、クローバーは勝手に自生しているのだから、手間もかからないときた。幸せの象徴だろ?"四つ葉のクローバー”といったら。世間のイメージも見事に良いわけだ。
だから、神主は激走した。必ず、かの邪智暴虐の“善を急がねばならぬ”と決意した。ひとまず、“毒ヘビ危険”を言い訳に、入山を禁止にしような。
や、入山を有料にするか、とも考えた。…考えて考えて、頭を張り巡らせて考えたのだ。
いでよ、金の神よ!←縁結びの神様の神社だよね?
ぴっっっかぁ~ん!舞い降りたっ!神主は、興奮した。社務所で、おみくじを発注する手が震えた。
そうか、おみくじだ!“四つ葉のクローバーみくじ”なんてどうだ!?みくじに四つ葉のクローバーを貼って?良いだろ!?…や、待てよ?「時が来れば、枯れる。」などと言われるようになっては、やっかいだ。いつまでも枯れずにいてもらわなくては困る。
あ、そうだ、ラミネートしてみたらどうだろうか?みくじにクローバーを。神主は、各種お守り料金表がラミネートされたA5サイズの“メニュー表”を手に取り眺めた。まさか、そんな安直な考えから考案されたなどと誰も知らないが、今やコレを目的の観光客が絶えない『幸せの四つ葉のクローバー栞』は、神主のこんな邪な頭より生み出されたのだった。和紙に四つ葉のクローバーを貼り、ラミネートでパウチして永久に閉じ込めてしまおう、という考えだ。我ながら良いアイディアだ、と神主はほくそ笑んだ。
早速、四つ葉のクローバーを探しに裏山へ入山した。あ、神主は指示しただけで、実際に探しに行ったのは、大学生アルバイトの巫女の子たちだったけど。
だが、『幸せの四つ葉のクローバー』だ、そんなに簡単には見つけられなかった。
それはそうだろ、
「マジでバカバカしい。」
「ほぉーんと!やってらんねぇわ。」
ハッキリ言って、やらされてることの虚しさと神主のセコさを知る巫女2人は、
「「巫女バイトやめよう。」」
などと爆笑して話しながら『幸せの四つ葉のクローバー』を探した。フリをしたのだから。
「キャバクラのバイトが稼げるよって友達に誘われてるんだよね♪」
「へぇ、そうなんだ!私も誘ってね♪」
巫女の1人が、涙ホクロの涙袋をプクッと愛らしく膨らませる。
ー今の会話は聴かなかったことにしてあげよう。ー
山菜採りのために勝手に入山した通りすがりの近所の爺さんは思った。
キャバレー通いが懐かしい…、と遠い目をして。
なんとしてでも四つ葉のクローバーを手に入れなくては、な。栽培?通販?…めんどくせぇな。
腐った心がアイディアを遠のけそうになる。が、蝶ヶ舞町には不思議なパワーがある。氷晶神社にもだ。
「四つ葉じゃなくてもいいだろ!」
神主の脳ミソは激走した、かの…
三つ葉で良い!三つ葉のクローバーに、1つの♡クローバーを付け足してプレスしてしまえば良いのだ!
これなら四つ葉のクローバーを見つけ出す苦労もない。
葉っぱを切る手間くらいなものだ。
『訪れたあなたに愛が運ばれる 氷晶神社』
そんなひと言を添えて販売を開始した。ぶっちゃけた話、完璧だった。
まぁ、そんな経緯があったかどうかは、神主のタヌキのような穏やかな微笑みが、墓場まで持っていくようだけど。なんにせよ、神主の思惑通り『幸せの四つ葉のクローバー栞』は、氷晶神社の名物となったのだ。
現在神主は、ハートの指輪を四つ組み合わせるとクローバーになる、というよくあるデザインの指輪の販売に向け、宝石商と目下商談中だ。いよいよ商業臭を臭いに匂わせて。
あ、さて。
冬になれば、蝶ヶ舞の各地スキー場が大盛況、蝶ヶ舞温泉郷の【洞窟温泉 Doukutsu Onsen】もとても人気がある。そんな、1年を通して観光客が絶えない美しくも愉快でリッチなリゾート【蝶ヶ舞町】には、恋多き者、恋に臆病な者、ひとつの光を見つめる者、様々な人間ドラマが生まれようとしていた。
そんな蝶ヶ舞町にある、小さなライブハウス【Plume プリューム】の入り口に、【宮越 翼 Miyakosi Tsubasa】は、立ちすくんでいた。
蝶ヶ舞町に住む親戚のお姉ちゃん【宮越 琴乃 Miyakosi Kotono】の結婚式に家族で出席するために、埼玉から2時間かけて、およそ半年ぶりにこの町を訪れた。まだ半年なのに、なんだか久しぶりに新幹線に乗った気がした。
ジューンブライドの日中は、まだ少しの肌寒さを残していた。
琴乃ちゃんの結婚式の記憶が、ほとんどない。琴乃ちゃんが純白のウエディングドレス姿で、教会の扉からおじさんと入って来たときは、「天使かよ!」って、あまりにも可愛くて目に焼き付けたけど。緊張してる顔も可愛くて。だけど、だけど…誓いのki…ki…
ここは日本なんだ。欧米文化とは違うんだ。人前でイチャイチャするなんて、そのうち変わるだろうけど、今のところ日本は古き良き…忘れよう。白くて、木のイスで、白い花が飾られてた。…思い出そうとするな、俺。
田舎だからか盛大な披露宴だった気がするけど。料理も余興も覚えてない。ピンクのドレスにお色直しした時の琴乃ちゃん、嬉しそうに笑ってたな。可愛い笑顔しか、覚えてない。
式が終わると、翼は制服を着替え、白いTシャツの上に黒いチェックの長袖シャツを羽織った。
16時。このまま帰ってもつまんねぇな、などと考えながらジーパンに脚を通した。
「ひさしぶりだから、チョット町ブラしてから帰るわ。」と翼は家族に告げ、町に出た。
「制服持って帰ってくれない?」と酒で顔を真っ赤にした父親にお願いしたら、「親を使うな」とかブーブー文句や嫌味を言われた。酒臭く。
が、
「ロッカーに入れときゃいいだろ?」
「忘れたら困るし。」
「それもそうよね。お父さん?」
うまく丸め込んで、身軽なボディバッグ1つでいい気なものだった。このボディバッグは、4つ上の兄が大学の卒業旅行で訪れたインドのお土産だ。海外のらしきビール瓶の形の焦げ茶色のボディバッグには、水色と白のパステルカラーで、何やらヒンディー語らしき文字が書かれているが、翼はその意味が【水は大事、ビールを呑め。】ということを当然知らない。その顔文字のようでオシャレな文字の羅列は、横棒に3がくっついているように見えたり、る、c、無限マーク…、翼は何かの呪文だと思っているに違いない。
夕暮れが、オシャレな石畳の町並みを染めていく。オレンジと紫のグラデーションのような大空に、翼を広げて飛んでみたくなる。
蝶ヶ舞で人気のジェラート屋が目に止まり、うすら寒いけど、1番人気の《イチゴ果肉入りのジェラート》を買って、食べ歩きをすることにした。
「甘酸っぱい。」
よく琴乃ちゃんが買ってくれて、一緒に食べたんだよな。
落としたジェラートをビーサンで踏んじゃって、足がベタベタになったこともあったな。懐かしい、良い思い出だな。…てほどでもないか。
ずっと琴乃ちゃんのことを考えてしまう。ヴァージンロードを歩く琴乃ちゃん、本当にお姫様みたいだったな。俺たちの横を通り過ぎる時、嬉しそうに笑ってたな、しんろ…平岡氏を見つめて。おじさんが平岡氏に琴乃ちゃんを…琴乃ちゃんを…やめろ。誓いのki…kis…やめてくれ、俺。
若干17歳の若者は、埼玉にはない蝶ヶ舞町の異空間のような雰囲気に、センチメンタルな気持ちを上手くコントロールできずにいた。
―すっかり暗くなっちゃったな…。―
フラフラと路頭に迷う足は、結局【Plume】に向かってしまう。間もなく19時になろうという時間だった。
地下にある【Plume】へと続く階段を見下ろしてから、今日の出演予定バンド紹介の看板に目を向けた。
今夜の出演は、4組のようだ。そのうちの1組を見つめる。
―Flat earth、新しいヴォーカルが入ったんだよな。―
俺がまだ中2だったから、3年前になるのか。夏休みで蝶ヶ舞に遊びにきた時だったな。
8コ年上の琴乃ちゃんが、【Flat earth フラットアース】のギター【昴 Subaru】にお熱で、その影響で俺もヴォーカルの女の子【縁里 Yukari】のファンになったわけだけど。
ま、ヴォーカルの縁里が好きっていうより、琴乃ちゃんといたいって方が大きな理由だったけど。
高校生になってからは、バイト頑張って、新幹線で2時間もかけて通ってたこともあったんだよな。
その縁里は、半年前に突然「留学する」と言ってバンドを辞め、さっさと南の島に飛んで行った。
あーぁ…縁里のいないFlat earthなんて、つまんねぇわ。見る気しない。隣に琴乃ちゃんもいな…いかんぞ、俺。
縁里はバンド辞めるし、大好きだった琴乃ちゃんは【平岡 Hiraoka】さんになっちゃったし。
なぁーんも良いことねぇわ。なんも楽しいことがない。
「なんで、こんなことになっちゃったんだろ…。」
ボソッとつぶやく17歳は、また地下に続く階段を見下ろす。そして、またバンド紹介の看板に目を向けた。
《翼を広げて天蓋撃破しろ》
Flat earthの出演写真に書かれたキャッチコピーが目に止まる。相変わらず、昴の歌詞は意味がわからん。てか、俺の名前を入れないでくれ。
…帰ろ。
「入ってみれば?」
突然、後ろから女の人の声が翼の背中を叩くから、驚いて肩がビクッとなってしまった。
振り向くと、小柄な女の人が、派手なメイドみたいな黒いフリフリレースをふんわりさせて立っていた。
「入ってみれば?」
派手なメイドは、もう一度にっこりと笑う。
パチクリと左目の涙袋の涙ホクロが可愛い人だな、と翼は思った。
「…いや、僕は…。」
「ライブ、好きなの?」
「…いえ、べつに…。」
「実はさ、これから私が歌うんだよね!1曲だけだけど!良かったら聴いてってくれない?」
持ち歌1曲、と看板の《翼を広げて天蓋撃破しろ》を指さして自虐で爆笑するバサバサまつげのメイドは、え?という翼の返事も聞かずに、ニコニコしながら”握手”と右手を差し出す。
「私は、Flat earthの【トモ】!よろしくね!」
―Flat earthのトモ!?この人が新しいヴォーカル…!?―
思わず驚きが表情に出た翼に、ん?と首をかしげる【広澤 智華 Hirosawa Tomoka】は、まだ右手を差し出している。
「…つ、つばさです。」
後半になるほど消えていきそうな、しぼんでいく風船のような声を出すと、小刻みに震える右手を差し出す。
フフ、と微笑みながら、智華は右手をひっこめた。
え…?という翼のショックの手が一瞬ピクッと止まり、ゆっくりひっこめようと下がっていく。
すると、智華は左手で翼の右手をつなぐと、「行こう!」と言って、嬉しそうに階段へと急いだ。
ワンちゃんに引っ張られる飼い主のように、わけもわからず一気に階段を駆け下りた。
「トモちゃん!どこ行ってたの!?昴くんが捜してたよ!」
扉の前には、受付の【妙子 Taeko】が黄色いTシャツとジーパン姿で立って、急げと手招きをしている。細長い脚と導線を結ぶような長い髪の毛がパサッと揺れる。
「はーい!すぐ行くよぉー!…じゃあ、こっから入って!」
メイド・トモは、入り口の扉に向けて、翼の背中を押した。
「え、チョット!チケットは!?」
「弟なの!私があとで払うから!」
「弟ぉ!?」
メイドはランニングマシーンのように、その場でステップを踏みながら、今できた弟の背中を笑顔でポンポン叩く。
「え、あ、チケット代…はっ、払います。」
慌てて振り返る翼が、ビール瓶型ボディバッグのチャックを開けようとする。
「いーから!もう始まっちゃうよ!」
「あれ!?翼くん!?ひさしぶりだね?」
妙子が翼に微笑みかける。
「…あ、はっ、はい。妙子さん。」
「あれ?知り合いなの?」
「よく来てくれてた子だよ。Flat earthのファンだよ!」
「わお!そうだったんだ!?じゃあ、またあとでね!楽しんでって!」
「…や、え…。」
「早く!入った入った!」
「トモちゃんも!早く戻った戻った!」
はっきよーい。のこったのこった。
「おい、こら。トモぉおお!どこ行ってたんだよ!?遅せぇよ!」
「今夜も月にキッスをぉおおお!」
浮かれたように笑いながら、控え室のバンドメンバー3人に勢いよく合流する智華。
「星空にスマイルをぉおお…。」
意味のわからん、覇気のない声がけ。
「楽しもう!」
「おう!!!」
長身のワイルド系3人に紅一点、厚底ブーツのおかげで、智華もそれほどひけをとらない。円陣の中の4人の拳に気合が入る、ステージ袖。
「だからさぁ…この意味わからん円陣、マジでやめね?恥ずかしいんだけど。」
Flat earthのベース【大和 Yamato】が、うんざりと言うと、
「ああいうこと言える子だから、昴の曲歌えるんだろ?」
ドラムの【コバさん】が苦笑う。
「あ、なるほど。すげぇ納得できる、それ。」
「どういう意味よ!?俺に失礼だわ!」
ギターの【昴】が怒っている。
「まぁ良いじゃん!気合は大事だろ?」
コバさんがうすら笑いで言うと、3人でさっさとステージに向かう【トモ】を追いながら笑った。
―懐かしかったな、【Plume】―
帰りの新幹線【ひより72号】は、そこそこ混み合っていた。翼は、座席に腰を下ろすと、17歳とは思えないおじさんのような気持ちで、しみじみとさっきのライブを思い返していた。
昴の曲は、相変わらずわけのわからん歌詞ばっかりだったし、まさか昴が歌うと思わなかったけど、トモさんの歌声は素敵だった。たった1曲だったけど。「翼」って、俺の名前を呼んでくれたし。歌詞だけど。
縁里よりも大人ぽい歌い方だけど、エネルギーみたいな、なんて言うんだろ?「頑張ろう」って励まされる感じだったな。
俺の帰りの時間があったから、Flat earthの出番が終わってから、トモさんとチョットしか話せなかったけど、
「また来てね!」とか、涙ホクロの笑顔も可愛いし、やっぱり、年上のお姉さんて…いいな♡
フランス語で【羽根】を意味するらしいライブハウスの名前【Plume】は、”このハコから飛び出せ”という意味だかなんだかでつけられた名前らしいけど。琴乃ちゃんから【Plume】の意味を教えてもらった時に、「”翼”だから、何かご縁があるのかもね!」とか言われて、琴乃ちゃんと?なんて喜んだ記憶が懐かしく思えたけど、トモさんだったのか。
翼は、”ご縁”を脳内にグルグルまわして、地に足がつかない夢見心地のまま、今にも翼を広げてこの大空に飛んでいきそうに、ヘラヘラ口元を緩ませた。
実際には、【翼】はフランス語では【Aile エール】と言うらしいけど。
「羽ばたくことには変わりないもんね!」と天然で笑った琴乃ちゃんが、まぁ可愛かったこと。
琴乃ちゃん…。や、平岡さん…、ぐっばい。
そして、うぇるかむ、トモさん♡
「あ、もしもしトモ?」
―と、トモだと!?―
左隣に座る窓側の男が電話しやがっている。窓の外は、すっかり闇だった。
翼は、顔を向けずに目だけをギロリと左に寄せる。
大人な感じのグレーのシャツが似合う男だった。長袖をまくった腕、ごつめのベルト、ジーパンの上で細長い指をポロンと踊らせながら、随分嬉しそうに話している。
つぅーかー!新幹線の中で電話してんじゃねぇよ。デッキに行けよ、常識がねぇな。
顔にも声にも出せずに、翼は静かに寝たふりを決めこんだ。
「今、新幹線乗ったから、2時間くらいかかっちゃうけど、待ってろよ?」
ー2時間…俺と同じだな。ー
翼は、うすら目を開けて目玉を左に寄せる。
俺は埼玉だけど、行き先おなじなのかな?東京ってこともありえるか。
「あたりまえだろ。本当に行くよ。…なんだよ、それ。俺の愛をみくびらないでくれる?」
受話器の向こうは、彼女かな?奥さんかな?左の薬指に指輪してないし、やっぱ彼女かな。だとしたら、遠距離なのかな?
17歳の横目は、窓に写る男の左手を確認して勝手な詮索をする。
「俺も、トモに会いたいから。」
とても優しい口調。
細目でチラ見すると、その男はとても柔らかい微笑みをしていた。
新幹線のぼり【ひより72号】が、発車のメロディ音に乗っていく。
―またね、トモさん。―
名残惜しくて、翼はなんとなく窓から見える景色を眺めてみた…が、真っ暗で景色を楽しむでもない。静かに蝶ヶ舞町が遠ざかっていく。遠くの信号が黄色から赤に変わった。
視線を戻そうとした時、隣の男と目が合ってしまった。
「あっ…。」意味わからんが、口角を上げたその男の切れ長の目が男前なのに萎縮してしまい、チョコンと無駄に会釈をして、翼は慌てて目をつむった。