終之玖 成長
「俺は、緋馬織の学校から、他の学校に移ろうと思っている」
想定していなかった東雲先輩の私に伝えたかったことは、想像以上に衝撃的だった。
頭が全力で理解を、受け入れるのを拒んでしまう。
絶対に東雲先輩を困らせるとわかっているのに、頭が働かなくて、言葉はおろか、身体を動かすことも出来なかった。
さらにははながもの凄く痛くなった直後、視界が大きく歪んで、目からはぽろぽろと涙がこぼれ落ち始める。
「り、凛花」
ガタッと東雲先輩が立ち上がったことで音を立てた椅子が、勢いのまま倒れて更にガンという音を立てた。
「凛花……その、す、すまない」
私に近寄って謝罪をしてくれる東雲先輩に対して、すぐにでも私の身体が勝手に反応しただけだと伝えなければと思うのに、身体が言うことを聞かない。
「こ、これを……」
そう言って差し出されたハンカチすら受け取ることも出来なかった。
「ごめんなさい」
どうにか泣き止むことが出来た私は、申し訳ない気持ちで一杯で、頭を下げたまま上げることも出来なくなっていた。
ずっと、動揺しながらも優しく声を掛けてくれていた東雲先輩に、ちゃんと反応できなかったことが申し訳ないし、泣くのを止められなかったのも情けないし、逃げ出したくて仕方ない。
謝罪の言葉を口にしてからしばらく、私も東雲先輩も次の言葉を口にしなかったので、病室には時計の秒針の音だけが響いていた。
ほんの少し前まで東雲先輩どんな話をしようかと考えていたのがウソのように、頭には何も思い浮かばず、体全体がずしりと重く、身体から熱が抜け出て言っているような感覚もある。
そんな思い沈黙を破ったのは、私ではなく、東雲先輩だった。
「……その……凛花は、緋馬織に居続けると、大人になれないのを知っているか?」
ゆっくりと探り探りといった感じで尋ねてきた東雲先輩の気になった言葉を、私は考えもせずにただ繰り返す。
「大人になれない?」
東雲先輩は少し間を置いてから「二次性徴……身体が大人になる変化だけど、俺や凛花くらいの年になると起きる身体的な変化があるんだ」と説明してくれた。
東雲先輩から見れば、私は年下で、異性に見えているので、もの凄く言葉を選んでくれているのがわかる。
その気遣いがもの凄く嬉しくて、私の気持ちは一気に上向いた。
東雲先輩にこれ以上言い難いことを言わせないために「それは、わかります」とはっきりと伝える。
私の言葉に「そうか」と頷いてから、また少し間を開けて東雲先輩は「緋馬織では、その二次性徴は大人になるってだけじゃ無いんだ」と口にした。
東雲先輩の言葉から、私はすぐに神格姿と球魂のことを連想する。
「それって、球魂が出せなくなって、神格姿になれなくなるってことです……よね?」
私の問い掛けに、東雲先輩は頷いてから「正確には、二次性徴を遂げた後の身体で黒境を越えようとすると、肉体そのものが神格姿に組み替えられる……先生方がそうだ」と言って、再び間を開けた。
東雲先輩は続きを口にしようとして、何度かそれを躊躇う。
その様子に、なんとかしてあげたいという気持ちで一杯になって「大丈夫ですか?」と声を掛けた。
すると、東雲先輩はハッとした表情を見せてから、苦笑を浮かべる。
少し影の感じる笑みも格好いいなと、つい思ってしまったのだけど、今はそういう状況じゃ無いと心の中で全力で頭を振って、気持ちを強制的に切り替えた。
「皆が聞いたら怒るだろうけど、俺は、皆には俺が必要だと思ってたんだ」
意外な言葉に、私は思わず目を瞬かせてしまった。
「え、それは当たり前ですよ」
私の返しは予想外だったらしく、今度は東雲先輩が瞬きを繰り返す。
自己評価が低いのかなと思い、私は「東雲先輩は必要な人だと思います! 少なくとも、私は東雲先輩に一緒にいてほしいです!」と強く訴えた。
すると、東雲先輩はふいっと顔を横に向けてしまう。
予想外の反応にどうしたんだろうと身を乗り出して、東雲先輩の顔を確認しようとした。
けど、その東雲先輩に「ベッドから落ちるから、止めるんだ」と言われて、私は大人しく引き下がる。
「わ、わかりました」
私は座り直し、東雲先輩は視線を逸らしたままで動かない、二人きりなのに視線を交わさない妙な空間になってしまった。
少し間が空いて、唐突に東雲先輩が口を開いた。
「凛花は雪子先生の能力は知っているか?」
そう聞かれて、私は頷く。
「……俺はその能力を使って貰って、緋馬織に居続けていたんだ」
東雲先輩の話を聞いて、私はそうだったのかと思っただけだった。
那美ちゃんも使って貰っていたしおかしな事じゃ無いと思ったのが大きい。
でも、東雲先輩の続けた言葉で、私は肝心なことに頭が回っていなかった事に気付いた。
「球魂から神格姿になるのと、肉体が神格姿になるのには、球魂が出せなくなること以外に大きな違いがあるんだ……その、肉体が、神格姿になるってことは、俺の身体も女……女性になってしまうんだ」
自分が一度通った道なのに、すっかり忘れていた自分に驚愕しつつも、東雲先輩は、だからこそ、身体の時間を巻戻して緋馬織に残ってくれていたんだと理解する。
そして、そこから東雲先輩の考えを読み取った私は、それを声に出して問うた。
「……大人に、身体を成長させる選択をしたんですね?」




