参之参拾壱 約束と笑い
「志緒さん、ありがとうございました、心地よかったです!」
「しょ、しょうれすか!?」
声は上擦っていても、志緒さんのシャンプーもトリートメントも凄く心地よかったので、志緒さんは気持ちと作業をきっちりと分担出来る脳構造なのかも知れないと思った。
感情の影響で手元が崩れかねない私とはある意味で真逆なんだなとも思う。
「また、お願いしても良いですか?」
いつもは厚かましいけど、偶にならお願いしたいくらいの心地よさなので、そう告げると、志緒さんは「もちろんです!」と快く引き受けてくれた。
そんな嬉しい回答に笑みを返しつつ、髪に長めのタオルを巻き付けて、頭の上で結い上げる。
続けて、体を洗おうとすると、結花さんが「それじゃ座って」と私に向かって言い放った。
思わず目を瞬きさせて「えっと?」と疑問符混じりに声を発すると、結花さんは笑みを深める。
「舞花を洗って貰ったおかえしよ。洗わせて貰うわよ」
「あ、うん……お願いします?」
一方的な断言に戸惑いつつ頷くと、結花さんの手が私の腰に伸ばされた。
「え? ひゃっ! はぇっ!?」
腰に走ったくすぐったさに悲鳴を上げる間もなく、体がくるりと回転して、膝が後ろから押される感覚がしたかと思えば、気付いた時には私は椅子に座っていた。
「リンちゃんは強めと優しくどっちが好みかしら?」
「え? 優しく?」
「了解よ!」
直後体全体にゾクゾクッと心地よい震えが広がる。
柔らかいスポンジで洗われているだけなのに、くすぐったく感じる手前まで大胆に踏み込んでくるのに、体が反応してしまう寸前で力を抜かれる絶妙な力加減で、私は完全に翻弄されることになった。
首元から背中まで、洗い終えてくれた結花さんに「前も洗おうか?」と問われた私は、思わず頷きそうになったが、その誘惑を根性で振り払う。
「舞花さんには、自分で洗って貰ったのに、ズルは出来ません」
顔にどうにか笑顔を貼り付けて、私は後ろ髪を引かれつつも結花さんにそう告げた。
「そう? いつでもリクエストしてね」
にこやかに笑顔を見せる結花さんに恐ろしいモノを感じつつ、洗い方一つでこんなに違うのかと、私はいろいろ気をつけなければと気持ちを引き締める。
その後は結花さんから受け取ったスポンジで残りを洗ってからシャワーで洗い流し、私は皆の浸かる湯船に加わった。
「志緒さんも結花さんも凄く洗うのが上手でしたね」
私は苦笑交じりに二人へ感想を伝えた。
「まあね、舞花で鍛えたからね!」
「私はマイちゃんとなっちゃんかなー、花ちゃんにいろいろ教えて貰って」
結花さんと志緒さんの返答は、思わずなるほどと頷けてしまう説得力がある。
やはりなんだかんだと一番年下の舞花さんは、皆が世話を焼くだろうし、那美さんはとても空気が読めるので、上手く乗るんだろうなと頷けるし、何よりも指導者が花子さんというのが一番頷ける事実だった。
「リンちゃんも上手だったよ!」
「舞花さん、ありがとうございます」
余り人の背中を洗う機会は無かったので、舞花さんが嫌で無かったら、素直に嬉しい。
「あら、それなら今度、私もリンちゃんに洗って貰いたいなぁ」
那美さんがニコニコと笑みを浮かべてそう言うので、洗って上げる事が多いという志緒さんの表情を確認しつつ「志緒さんが良ければ」と頷くことにした。
すると、志緒さんが「え、リンちゃんが私の背中を流してくれるんですか!?」と大した波も水音も立てずに、お湯の中なのに、ほぼ一瞬で直近まで近づいてくる。
「あ、えーと、志緒さんが嫌でなければ……」
「お願いします、絶対お願いします!」
満面の笑みで訴える志緒さんの圧に、笑みで応えつつ那美さんを見れば、その視線が結花さんに向かうのが見えた。
こちらを見ないように目を逸らしている様子の結花さんにも、尋ねてみることにする。
「あの、結花さんも良ければ、私に洗わさせてください! 洗って貰ったおかえしです!」
そう告げると、結花さんは「じゃあ、今度お願いするわ」と口にして私に小指を立てて向けてきた。
「約束ですね」
結花さんと小指を絡めた後、指切りで約束を交わす。
その後、志緒さん、那美さん、舞花さんとも指切りを躱したのだけど、ニコニコと笑みを浮かべた花子さんも小指を出してきたのには戸惑った。
「花子さん?」
「私も予約します」
別に拒否する理由は無いので指を絡めたんだけど、花子さんがなんだかとても嬉しそうに見えて、私の方が恥ずかしくなってしまう。
そんな気持ちを誤魔化すために、私は視線を逸らし、雪子学校長を見ることになった。
お互いの視線が交わったところで、雪子学校長は笑みを深めてから口を開く。
「どうしてもというなら、洗ってくれても良いぞ」
ひらひらとしなやかな手首を駆使して言い放つ雪子学校長のそれを挑発だと捉えた私は「じゃあ、今度洗わせてください」と頭を下げてみた。
顔を上げると目をパチクリする雪子学校長が目に入る。
「う……うむ。く、くるしゅうない」
雪子学校長のぎこちない返しに、私はとても小さな勝利を確信して吹き出してしまった。
それが他の皆に伝わり、浴場が大きな笑いに包まれる。
笑いながらこの場に東雲先輩がいないのが残念で、同時に彼一人がのけ者になっていることが申し訳なくて、私の笑いの後半は、少しぎこちなくなってしまった。




