拾玖之弐拾捌 仕切り直し
頭の中で触れても大丈夫かと考えてみたところ、ダメだという警告も起きなかったし、嫌な予感もしてこなかった。
それを問題が無いのだと解釈した私は、思いきって左手を伸ばして、林田先生の右手首を掴む。
「卯木さん!?」
林田先生は驚いたようで慌てた声を上げたものの、私の手も、掴んだ手首も特に異常はなさそうだった。
それならばと掴んだ林田先生の手を引っ張り上げる。
「卯木くん?」
先ほどよりも戸惑いの要素が大きくなった林田先生の声を聞き流して持ち上げた手を私の狐耳に触れさせた。
「どう……ですか、さわり心地」
下から見上げるようにして、林田先生の顔を見ながら感想を求める。
林田先生はわかりやすく動揺をしながら「え……ああ」と全く意味を成さない言葉を口から漏らした。
とりあえず私が避けているというのは否定できただろうかと思いながら「林田先生?」と呼びかけてみる。
すると、林田先生は「いや、あ、そ、そうだね」と言った後で、あろうことか狐耳を思い切り掴んだ。
「っ!」
全身を掛ける猛烈な衝撃で呼吸が止まる。
フニッと耳がつかまれる度に、背骨に沿って痺れにも似た感触が上から下へと駆けた。
このままじゃ意識が飛びそうだという危機感で、身体が私の意識による制御を離れる。
林田先生の耳に触れる手を払いのけて、私の身体は一気に距離を取った。
「卯木くん、大丈夫かね?」
心配そうな顔で聞いてきた雪子学校長に、私は息を整えながら小さく頷いた。
随分落ち着いたとは言え、私の呼吸は未だ乱れたままだし、心臓の動きも激しい。
あまりのショックで変化が解けて狐耳も尻尾も消えてしまっていた。
「まあ、今更の話だが、いくら状況に流されたとはいえ、自分のデリケートな部分を容易く触らせないように……君の自覚はどうであれ、今の君の身体は少女なのだから、ちゃんと、自己防衛の意識を持ちたまえ」
直前に、狐耳を掴まれて、身体が過剰な反応をしてしまったばかりの私は、反論できるわけも無く、大人しく「はい」と頷く。
雪子学校長は、そんな私を見て溜め息を吐き出すと、肩に伸ばした手を置いて「君が気をつけていないとは言わないが、より気を遣いなさいということだ。君が思っているよりも、今の身体は繊細だと思った方が良いと言うだけだ」と諭すように言ってくれた。
「林田先生。過剰に反応してしまってごめんなさい。あんな風に、強く触られたことが無かったので、自分でも想像もしていなかった反応をしてしまいました」
こちらから謝罪した方が良いだろうと思って、私は深めに頭を下げた。
対して林田先生は「いや、こちらこそ、無遠慮に触ってしまって、月子教授にも散々叱られたよ」と返してくる。
私が頭を上げながら視線を向けると、向けられた月子先生は小刻みに数度頷くだけで何も言わなかった。
あえて説明しなかったのは私の為でもあり、林田先生のためでもあるんだろうなと察した私は、中断してしまった話を先に進めることに決める。
「林田先生」
私が名前を呼ぶと「何かな、卯木さん」と困惑に近い情けない顔で林田先生は聞き返してきた。
出来れば普通の表情を浮かべてほしいところだけど、それを口にしても無理をさせるだけなので、あえて「改めて、話を進めますが……いいでしょうか?」という質問をぶつけてみる。
私の問い掛けが想定外だったのであろう林田先生は、少し硬直した後、我に返って「もちろん」と頷いてくれた。
「私の能力は、今見て貰った変化の他に、狐火を出したり、狐雨を降らしたりできます」
林田先生は「狐の怪異に関連する能力だね」と頷いた。
怪異という表現に少し引っかかるものがあったものの、悪意があるわけじゃ無いのはわかるのでスルーして話を進める。
「その他に出来る事が、物体の具現化です」
私はそう言いつつ、頭の上に鎮座するリンリン様を両手で抱えて胸元まで降ろした。
林田先生の目がリンリン様を追って下がったのを確認してから「この、リンリン様も私が具現化した存在です」と伝える。
唸りながらリンリン様を観察する林田先生が「これを、君が……ぬいぐるみ……動くぬいぐるみかな?」と呟いた。
私は軽く首を左右に振って「ぬいぐるみじゃありません……リンリン様はヴァイアという機械をベースにしています」と告げる。
林田先生は「聞いたことがある」と言って記憶を辿るように腕組みをした。
すぐに思い至ったのか「確か、有名なグループ企業が販売しているアシストAIが搭載された音声認識ユニット……でしたよね?」と聞いてくる。
そんな問いに私は即座に応えることが出来なかった。
何しろ、私の中ではリンリン様達は人工知能搭載のロボットに、霊的なものが宿った存在という認識だったので、林田先生の言うそれが正解かどうかがわからない。
機械的なことなので、助けを求めるなら月子先生だと、私は助けを求める視線を向けた。
私の必死さに苦笑を浮かべた月子先生は「元になったものは、林田君がイメージしたヴァイアで正解ではあるんだが……」と口にする。
少し間を置いてから頭を掻いた月子先生は「ただ……凛花さんの能力で個性を獲得していてね……その機械らしさがほぼ無いくらいの、まるで生物のような存在になってしまっているんだよ」と続けた。




