拾玖之弐拾伍 接触へ
「彼が君をまるで別の人間だと考えている以上、接触自体に抵抗を感じないかもしれないね」
月子先生は難しい顔をしてそう口にした。
「ただ、そのせいで君が期待しているような警鐘のようなものは働かず、接触して初めて何かが起こるという状況になりかねない」
私はその言葉に深く頷く。
もしも林田先生が私の分身だということを忘れて……いや、知らずに、生徒の一人と考えているのなら、触れることを拒否するとは思えなかった。
むしろ、生徒に触れるのを拒絶する方がおかしいと考えかねない。
仮に警鐘のようなモノを直感が訴えたとしても、気のせいとするか、押さえ込むかはわからないけど、私を傷つけないようにと自然な接触を試みるはずだ。
少なくとも、私が林田先生ならそうすると思う。
一方で、自由に動くリンリン様を考えると、私の想定通りになるだろうかという疑問も大きかった。
そもそもリンリン様を生み出したのは私ではないので、私がまるで考えを読めないのは当たり前だとは思っている。
ただ、今の林田先生を動かしている意識も、私から分裂した……元の人格に近しいものかどうかはわからないのだ。
つまり、元の私の考え方に則った思考を吸うかは未知数という事である。
そんな風に思考をひたすら巡らせている私の頭にリンリン様の右前足と言葉が降ってきた。
『主様、そこは考えたところでわからぬことじゃ。わらわの全力で、主様を護ると誓うゆえ、接触してみるのも手ではあると思うのじゃ』
「……リンリン様」
私としても林田先生に接触するのが一番手っ取り早いと考えているだけに、それを組んだ提案だと思うと、リンリン様の気遣いが嬉しくなる。
ただ、その選択はリンリン様に負担を掛けることになるんじゃ無いかと思うと、頼むとは言えなかった。
『主様……それでは、話が進まぬのじゃ』
リンリン様が溜め息交じりに私の頭を右前足で叩く。
「そうは言っても、何が起こるかわからないんだから、慎重になるでしょう?」
私自身がどうなっても……じゃなかった、私を含めて、誰かに何か大変なことが起こる可能性がある以上、簡単に行動に移せる訳がなかった。
どうするか決断出来ずにいる間に、林田先生とからの聞き取りを終えた雪子学校長と月子先生は二人で情報交換を始めていた。
待つ体制となった私は自然と視線を、同じように大気の状態になっている林田先生に向ける。
こちらの視線に気が付いた林田先生は、少し戸惑った表情を浮かべてから、ぎこちなく笑みを浮かべて見せた。
第三者目線で見ているせいか、私の元々があの姿だと認識しているからか、何というか、もの凄い恥ずかしい。
思わず視線を逸らしてしまったが、逸らしてから失礼だったかもしれないと考えた私は、こっそりと視線だけを戻して様子を覗った。
流石に見てわかる程落ち込んでいるようなアクションは起こしていないが、顔には苦笑が張り付いている。
私の行動を受けての表情だとはわかるので、ちょっと申し訳なく思ってしまった。
そんなことを考えている間に、雪子学校長と月子先生の話は終わったようで、それぞれが私と林田先生に別れて歩み寄る。
「とりあえず、様子を覗いながら、林田先生に近づいて貰う」
こちらに来た月子先生は、そう言うと視線を私から林田先生に向けた。
「わかりました」
月子先生にそう返して、近づきすぎないように気をつけて横に立つ。
一方で、林田先生の方も雪子学校長の横に立った。
「あの、月子先生」
「なんだね?」
「林田先生には私のことはどう伝わっているんですか?」
私の問いに対して、月子先生は「特に何も伝えていない」とあっさり言う。
思わず「え!?」と大きめな声を発してしまった私は、慌てて口を押さえて押し込めた。
その後で、声を潜めて「事前に伝えておかなくていいんですか?」と尋ねる。
月子先生は「まず、彼の中に君が自分だったという記憶はなさそうなんだ」と恐らく雪子学校長と交換で得た情報を示した。
「君の方には、林田京一だったという意識というか記憶があるだろう?」
これまでの経過で、林田先生だった時の記憶に対する自信が少し薄れてしまったものの、ちゃんとあるのだけは間違いない。
それでも「それは……まあ」と曖昧に近い返事になってしまった。
「その記憶を元に考えてほしいのだが、君が自分の分身だと聞いた林田京一は、それを事実として受け止めると思うかな?」
月子先生の言葉に、私は何度も瞬きを繰り返してから「思いません」と返す。
「緋馬織の学校のこと、神世界のことはなんとか受け入れられると思いますけど、明らかに意識が違う人間が自分から分裂したとは……」
私の返答に頷いた月子先生は「だろう?」と言い切った。
その上で「ただ、接触することで、感覚的に君と自分が同一だったという認識が湧いてくるかもしれない。君……林田先生は考える能力は決して低くないが、前提や前情報があると、そこから離れられなくなってしまう癖があるからね。それならいっそ、情報を与えない方が良いんじゃ無いかと考えたんだよ」と続ける。
これまで師事してきた担当教授の目の確かさに、否定の言葉など出てくるはずも無く「そうですね」と頷くしか無かった。




