参之弐拾参 対策
「一応、最初に言っておくが、現時点では、君自身に今話した『誘惑』の能力があるかどうかは断言出来ない」
雪子学校長の言葉に、私は思わず目を瞬かせてしまった。
「君が皆に懐かれ、興味を抱かれているのは、能力由来で無く、単純に君が魅力的だと捉えられている可能性も大いにある」
真面目な顔で、雪子学校長にそう言われてしまった私は、思わず「うぇっ!?」と間の抜けた声を上げてしまう。
一方の雪子学校長は、そんな私の反応を完全にスルーして、淡々と話を続けた。
「能力であれば封じる手立てはあるが、そうで無かった場合、君が気をつける以外に対処法らしい対処法は無い」
「つ……つまり?」
「俗な言い方をすれば、食事中にエロい顔をするな、だ」
「そんな顔して……」
私の発しようとした抗議の言葉を、雪子学校長は「自覚が無いなら、まずは顔を引き締める意識をしなさい」と容赦なく叩き潰す。
「君は周りを見ていたかはわからないが、皆が君に見蕩れその手を止めていたので、私は危険と判断している」
はっきりとそう言われてしまうと、私には返す言葉も無かった。
そして、続けて発せられた雪子学校長の言葉に、私は自分の考えが浅かった事を痛感する。
「今は食事中だから良い。極端な話、授業中であっても、多少の問題で片付く。だが、もしも『神世界』での闘いの最中に、君が意図せず発動した誘惑の影響で皆の動きが止まってしまったとしたらどうだ?」
胸の奥底まで突き刺さる一言に、私は体中の体温が一気に抜けていくような感覚を覚えた。
「君が皆を傷つけたくないと思うなら、常に自分が周りからどう見えているかに意識を集中させなさい」
「……は、はい」
私が頷くのを見た雪子学校長は、懐から鍵束を取り出して、自身の机へと向かう。
「では、能力だった場合のための手立てを授けておく」
言いながら机の前にしゃがみ込んで鍵の掛かった引き出しを開くと、中から木箱を一つ取りだした。
「正直言うと、これが効かず、君の魅力が皆に好意的に受け入れられているだけだった方が、私としてはありがたいんだがね」
木が擦れ合う微かな音を立てて、雪子学校長によって取り出された木箱が開けられる。
木箱の中には紫の艶やかな布が敷かれ、珊瑚か何かで作られたらしい赤い球が十二個連なった数珠が収まっていた。
「赤い……数珠?」
私の呟きに対して、雪子学校長は「色香という言葉があるだろう?」と尋ねてくる。
「は、はい」
「これまでの『神世界』や『神格姿』の研究で、陰陽五行の考えが親和性が高いことがわかっているのだが……」
説明を始めた雪子学校長には申し訳なかっけど、私はしっかりと理解すべき内容だと考えて、手を上げて話に割って入った。
「あの陰陽五行思っていうのは、陰陽説と五行説を元にしたこの世の森羅万象を五つの属性で考える思想でしたよね?」
私の言葉に、話を止めた雪子学校長は「その理解で間違いない」と頷く。
「木、火、土、金、水、これら五つの属性を行と呼び、それぞれがそれぞれを生み出したり、打ち消したりしているという考え方だな」
「五行相生……五行相克……でしたっけ?」
雪子学校長は「そうだ」と私の言葉に頷いた。
「五行についての話はいったん置いておいて、先ほど言った『色香』だが、香りというモノはこの五行においては金行に当たる」
私はそう言われて、赤い数珠に視線を向ける。
「ウロ覚えですけど……赤は金行ではありませんでしたよね?」
「ああ、金行は白だな。火行は赤だね」
雪子学校長の言葉を聞いた私は「相克」と閃いた単語を口にした。
「そう。金行を克するのは火行。色香という金行に属する力を、火行の力のあるもので封じ手、力を削いでしまおうということだね」
雪子学校長は数珠を手にすると、私の左手首のブラウスのボタンを外して、そこに嵌めてくれる。
数珠同士を繋いでいるのは単なる紐では無く、ゴム状のものなので、締め付けはそれほど強くなく、それでいて腕にきっちりと収まっていた。
消して飾り気があるわけじゃ無いけれど、能力を封じる数珠とは言え、赤い宝石のようなモノで飾られた左手を見てると、ついつい頬が緩んでしまう。
そんな私にとって、雪子学校長の冷静な声は、不意打ち気味に、心臓を大きく跳ねさせた。
「ふむ。抵抗はなさそうだね。しばらくはそれで様子を見るとしよう」
私はドキドキと動悸の速くなった心臓を抑えながら、どうにか「は、はい」と頷く。
そんな私を見ながら雪子学校長は目を細めて、低めの声のまま違う意味でドキリとする言葉を口にした。
「もしも、その数珠が効果を発揮して、君の能力をある程度押さえ込んだ場合だが……その数珠の役割はダムのようなものだと考えて欲しい」
「ダム?」
「君の色香を押しとどめているだけで、それらを散らしているわけでは無い。君の中に蓄積されていき、限界を超えた時……」
私は雪子学校長の言葉に息を呑み、震える声で「決壊する?」とどうにか声を絞り出す。
ゆっくりと深く頷いた雪子学校長を見た私は、何も言えなくなってしまった。




