拾陸之弐拾玖 補足
「先生方、私を心配してくれるのは嬉しいですが、まは那美ちゃんの話を進めてしまいましょう」
私の言葉に雪子学校長が私の頭を撫でた。
雪子学校長の手が離れたところで、月子先生が「那美さんの目的についてだが、一つ仮説がある」と切り出す。
「那美さんが関東西部の『黒境』消失事件の生き残りだという話をしたが、実は命を繋いだのは彼女だけじゃないんだ」
「えっ……?」
話の流れからたった一人だけ無事だったんだと思っていた私としては、驚きの言葉だった。
けど、暗い月子先生の表情から、私は那美ちゃん以外の人が『無事』じゃないことに気付いてしまう。
その予測が残念ながら正しかったことを、月子先生の説明が証明してしまった。
「『黒境消失事件』は対処中の事故とされている……つまり、対応していた子供達がいたということだ……そして、事件後、神格姿……球魂が戻ってこない肉体だけが残されている……」
月子先生の発言の後、場の空気は一気に重くなる。
話の流れから予想出来た内容なのに、予想通りだったからこそ、酷くやりきれない思いで胸がいっぱいになった。
けど、そこまで話を聞けば、月子先生の考える那美ちゃんの目的が何か、予測も立つ。
「……つまり、その子達の……球魂を取り戻すって、ことですよね……」
私の言葉から少し間を置いてから、月子先生は「あくまで推測だけどね」と答えた。
沈黙の時間を僅かに挟んだところで、私は月子先生に肝心なことを尋ねた。
内心を言えば聞きたくはない。
でも、これからを判断するためにも聞いておかなければいけない事だった。
だからこそ、意を決した私は「そんなことあり得るんですか?」と声に出す。
「……そんなこと?」
月子先生が聞き返したのは、私の質問の意図を正確にするためだろうけど、僅かに話したくないという気持ちも紛れている気がした。
お互い触れたくないと思っていることを聞くのは苦痛でしかない。
それでも、改めて息を吐き出してから、私は声が震えないように気持ちを強く保って問い掛けた。
「事件は数年前ですよね……その、体は無事なんですか?」
私の改めての問いに、月子先生は黙したまま口を開かない。
そんな月子先生に代わって、雪子学校長が「かつて、他の場所でも『黒境』の消失が記録された事がある」と口を開いた。
私が視線を向けた雪子学校長は、床をジッと見詰めたまま、視線を動かすことなく淡々と情報を口にする。
「近代化以前にも起こっているケースもあり、資料としては正確性には欠くが……球魂が戻らず肉体のみが残されたケースのほとんどは、数年の生存の後、意識が戻ることなく……」
雪子学校長は最後までは言葉にしなかったが、グッと唇を噛む仕草だけで続く言葉の想像はついた。
普段の様子からして、皆のことを大事に思っている雪子学校長にとって、それを口にするだけでもかなり苦痛なんだろうとわかる。
私だって、この話と共に那美ちゃんだけじゃなく、舞花ちゃんや結花ちゃん、志緒ちゃん、東雲先輩の球魂が戻らなかったという想像がちらついて気持ちが不安定になってしまっていた。
話すのも辛い話だけど、それを目にした那美ちゃんの心境を思えば、正直、暴走も仕方が無いと思えてしまっている。
そこまで私が思考を進めたところで、雪子学校長の言葉が再開された。
「当時、残念な結果を迎えるしかなかった大きな要因は、医療技術の低さが一番大きい……現代は影響額だけではなく、電気刺激によって筋肉を収縮、弛緩させて擬似的な運動をすることも出来るようになっている」
雪子学校長はそこまで口にしてからチラリと私を見た。
ここまではしっかりと理解出来ているということを伝えるために、私は無言で頷く。
私の反応を確認した上で、雪子学校長は気持ちを落ち着けるためか、目を閉じて細く息を吐き出した。
その後で、話の続きを口にする。
「……簡単に言えば、現在は科学医療技術の発展で、球魂が戻っていない状態であっても体を保つことがどうにか出来ている……が、命の尊厳という意味では……命を弄んでいるとその姿を評価する人間もいる」
雪子学校長の言葉が酷く重かった。
施設の責任者である雪子学校長だけに、実際に球魂を失ってしまった……帰って来れなかった子がどうなるかを確実に見ているのだろう。
その光景がどれほど酷いモノなのか、想像するしかないけれど、雪子学校長が、そして恐らく月子先生も口にするのも躊躇するほどなのだ。
「……『黒境』の消滅は、世界の崩壊とイコールではない」
ポツリと月子先生がそう言った。
自然と視線が月子先生に向かう。
「この世界との繋がりがズレただけで、世界は存続している……可能性はずっと主張され続けている」
つまり、出入り口が壊れただけという考えなのだろうと察したところで、私の頭の中で全てのピースが組み上がった。
「那美ちゃんは消失事件の時に繋がっていた神世界とこちらの世界を繋げて、戻れなかった球魂を救い出す……ですか……」
私の考えに月子先生は頷き、雪子学校長は溜め息を吐き出す。
その後で雪子学校長は「それがどれほど小さな可能性でも、縋ってしまうよな」と誰に言ったわけでも無いであろう言葉を呟いた。




