拾伍之肆拾弐 アクロバティック
一歩目、二歩目と歩数が増える毎に、一足で進む距離が増していた。
動かす足の動きは歩くのとさほど変わらないのに、その歩幅は歩いている時には次を踏み出せない程の大股になっている。
更に三歩、四歩となってくると、歩く程度の速度だった周囲の風景がジョギングから本気の走りへと変わっていた。
キュッ、タッというシューズの靴底が床を捉える音を立てるが、先ほどの月子先生の発言同様、間延びしたりスローモーションでありがちな低くなったりということも無く耳に届いているように感じる。
何故そんなことになっているのかという疑問に意識が向きそうになったが、そこで私は周囲が不味いことになっていることに気が付いた。
一歩毎に速度と歩幅が加速度的に増していたせいで、恐らくあと五歩程度で、講堂の反対側にある壁に激突する。
普通に走っているだけなら、壁にぶつかったところでそれほどの怪我を負ったりはしないだろうけど、正直、今自分の速度がどの程度出ていて、それが壁にぶつかったらどうなるのかが全く予測出来なかった。
ともかく止まろうと、足に停止命令を出すが、走っている程度に感じていた足の動きは、かなり早かったらしく、足の動きを急に止めようとしたところで、これまでに付けてしまった勢いで止まれそうにない。
無理に踏み込んで止まろうとすれば、壁に突撃するよりも悲惨なことになる可能性もあった。
幸いなことにと言うべきか、止まろうと、壁に突っ込もうと、とんでもないことになりそうだが、思考する余裕はある。
慣性から逃れられないならどうするか、そう考えた時に頭に浮かんだのは、向かう壁への着地だった。
かなり馬鹿な発想だけど、それなら出来るがして締まっている。
そうなれば、他の選択肢を探すよりも信じて動くのみだと覚悟を決めた。
つっかえ棒のように侵攻と反対方向に踏ん張るのではなく、下向きに強く踏み込んで、これまで横向きに蹴り出していた力を上向きに変えた。
イメージとしては、垂直ジャンプのイメージだったが、私の体には完成が働いているので、実際の移動方向は斜め上に変わる。
講堂自体はバレーボールなどの試合が出来るようにかなり天井は高くなっていた。
が、下手をすると天井に届いてしまいそうな勢いがあることに気付いた私は、頭を下げておへそを見るように体を丸める。
体を丸めたことで、視界の動きが大きく変わった。
足と足の間に揺れる尻尾の隙間から見える光景が、ドローンや月子先生、リンリン様達がいる背後の状況から縦方向に動き、天井が見える。
空中で回転しているのだと理解した私は、ジャンプした姿勢から足を折ってより丸くなった。
体を小さくすることで回転力が増したらしく、私の目に映る視界はぐるぐるとめまぐるしく変わっていく。
ただ、徐々に天井は遠ざかっているようなので、天井に激突することは回避出来たようだ。
既に床を蹴っていないので、そ小津がこれ以上益子とはないだろうと判断した私は着地に意識を向ける。
この勢いで飛んでいくと、少し床の距離が足らなそうだ。
やはり、最初に考えたとおり壁への着地が最適解だと判断した私は、丁度、足がクッションとなるように動かせるタイミングを見計らって、グッと小さくなっていた体を伸ばすことで回転の勢いを抑えつつ、足を出して壁に触れる時を待つ。
ここだと思ったタイミングで、左右方向に体をねじって、回転の軸を変えつつ、壁に触れるように思い切り右足を伸ばした。
足か壁に触れると共につま先に力を込め、大分緩くなっていた回転を止める。
回転は止まったモノの壁方向への移動するエネルギーは残っているので、体が壁に向かって押され続けていた。
左足も壁に付けて、右足は膝が胸に付くように、左足は膝が壁に近づくように動かし、着地のタイ背負いを取る。
ドンッミシッと、想定よりも大きくて危ない音がした気がするが、気付かなかったことにして、止まることに専念した。
ただ、壁への着地で上手く勢いを散らすことが出来たらしく、重力に引っ張られて近づく床との距離は、かなりスローでなかなか近づいてこない。
そのまま着地しても良かったが、一回転は出来そうな気がしたので、足裏が壁から離れる前に、やや天井向きに体を蹴り出した。
目論見通り空中で一回転してから、左足を伸ばし右手を体に引きつけて床に着地をする。
バランスを崩すことなく右足も付いたあと、そこで留まらずに、しゃがむ体勢へと移した。
左足の膝を床に、右足の膝を胸に近づけつつ、支えとして両掌を床に付く。
足の裏だけでなくてでも床の感触を捉えたところで、私は止めっぱなしだった域を吐き出した。
と、同時に、着地に合わせてスローになっていた周りの様子が、元通りの速度を取り戻していく。
顔を上げると、ドローン、リンリン様、月子先生の順でこちらに近づいてくる姿が確認出来た。
ゆっくりとその場で立ち上がる私の動きは、遅れも無く、感覚が通常に戻ったのだと実感させてくれる。
自分の着地後書きになったものの、振り返る勇気がない私は、皆の到着を曖昧な笑みを浮かべて待つことにした。




