弐之弐拾 お姉ちゃん願望
鏡台に座った私の後ろで、髪をヘアブラシで梳かしてくれている舞花さんが「すっごい、さらさらでつやつやだね!」と興奮気味に話しかけてきた。
「そ、そう、かな?」
私の返しに対して、舞花さんは「そうだよ!」と食い気味に断言する。
正直、私は髪を長くしたことが無かったので、長い髪はそういうモノだと思っていた。
そこで、一つの仮説が頭に浮かぶ。
「長い髪ってサラサラつやつやが普通だと思ってたから、そうなったのかも?」
私の発言に対して、結花さんが「あーー」と呆れたような顔で声を漏らした。
どうにも失言してしまったようで、舞花さんも微妙な表情をしている。
「リンちゃん。それ絶対になっちゃんに言ったらだめだからね」
「な、なっちゃん?」
舞花さんの言葉に対する私の聞き返しに、結花さんが答えてくれた。
「六年生の女の子で、三峯那美……那美だから、なっちゃん」
予想通りではあったけど、変なぼろを出さないように大きく頷く。
「なっちゃんはすっごいくせ毛で、毎朝苦労して整えてるからね」
そう言われて、自分の発言が如何に危険かを私は悟った。
一生懸命苦労している人に対して、さっきの言い方だと、サラサラつやつやが普通でしょという煽りになりかねない。
私としては、それが普通だと思って変化したから髪はサラサラつやつやになったんだろうという予測でしか無かったんだけど、私の意図したとおりに受け取ってくれる可能性は皆無だ。
それに、大学時代の友人が髪の毛の手入れの話題で地雷を踏んだという話も、聞いた記憶がある。
ますます発言には注意をしなければと思ったところで、舞花さんが苦笑交じりに那美さんの真実を口にした。
「毎朝五時くらいから髪を整えてるから、そのせいで朝は凄く眠くなっちゃってるんだよね……朝のなっちゃんは、話もあんまり聞いてないから、約束とかするなら、授業が始まった後じゃ無いとダメだよ」
「は、はい」
舞花さんのアドバイスに素直に頷くと、何故か頭を撫でられてしまう。
「なぜ?」
思わず浮かんだ疑問を口にすると、撫でていた舞花さんは手を止めて少し考える素振りを見せた。
それから、上目遣いで「怒らない?」と尋ねてくる。
私を怒らすような理由なのかなと思うと、聞かない方が良いかも知れないという考えも浮かんできたが、好奇心には適わなかった。
「怒りません」
そう断言すると、舞花さんはホッとした表情をして「リンちゃん、年下……妹みたいだからかな」と言い放つ。
私はそれを聞いて、なるほどと思った。
この学校で最年少の双子の妹と言うことは、舞花さんにとって周りはお姉さん、お兄さんばかりと言うことで、年下はいない。
私に対してもいろいろとお世話を焼いてくれている舞花さんは、お姉さん気質に違いないけど、これまで発揮する機会が無かったのだ。
そんな舞花さんの心理が推測出来たので、私は「それならしかたないですね」と伝える。
でも、私の返しは予想外だったらしく、舞花さんは驚いた。
「え!? 怒らないの?」
「約束しましたし」
私がそう返すと、舞花さんは困惑と安堵が混じったような複雑な表情で溜め息を履き出す。
正直なところ、五年生というのも、一人部屋になる為の設定だし、年齢の話をすれば、実際は成人しているので今更の話なのだ。
多少気恥ずかしさはあるけれど、舞花さんが多少でも満足出来るならそれでいい。
と思っていたのだが、舞花さんに目を潤ませながら「リンちゃん、優しいね」と言われてしまったことで、私は動揺してしまった。
まさかそこまで感動されるとは思っていなかったので、どうにか収集しなくてはと、一生懸命思考する。
そしてどうにかひねり出した解決策を、私は考察せずに実行した。
「髪、や、やってくれるんでしょ、ま、舞花お姉ちゃん」
気恥ずかしさで、辿々しくなったモノの、どうにか言い切った私は、舞花さんを背にして、鏡へと顔を向ける。
すると、鏡越しの舞花さんは嬉しそうな顔をして「もう、しょうがないなぁリンちゃんは」と言いながら私の髪を手に取った。
「はい、完成です!」
声を弾ませて舞花さんがそう宣言した。
鏡の中には、長い髪を左右に分けて耳の上でそれぞれ束ねられている。
多少引っ張られる印象はあるけど、二本の束を除けば、京一の頃の髪型の感覚に近かった。
「ツインテールです! 三つ編みは上手く結べなかったから、簡単になっちゃった」
舞花さんの言葉に私は頭を左右に振る。
すると、少し遅れてその軌跡を追うように、二本の束が左右に揺れた。
「凄く綺麗に結べててスゴイです。舞花さんはとっても上手だなって思いました」
「そ、そんなこと……」
私の言葉でわかりやすく照れてしまった舞花さんは手にブラシを持ったまま、にやけ顔を隠すように頬を捏ねる。
すると、真面目な顔で結花さんが「いや、ほんとスゴイよ、舞花は! ユイなら他の人の髪でも左右ずれる自身があるよ」と感想を述べたことで、その顔はピンクを飛び越えて赤に一気に変色してしまった。
やっぱり、身内の絶賛は嬉しいし、少し気恥ずかしいモノなんだなと頷いていると、花子さんが横までやってきて「凄く可愛くなりましたね」と微笑む。
「いっそ、舞花さんの妹として、小学校三年生になっちゃいますか?」
花子さんの発言に、瞬時に結花さんと舞花さんの視線が私に集まった。
僅かに期待が籠もってるのを感じて、私は即座に否定する。
「な、なりませんよ!」
直後誰からとも無く起こった笑いは、ほぼ一瞬で全員に伝播した。




