弐之拾伍 気持ちを切り替えて
「大丈夫ですか?」
「は、はい」
花子さんが持ってきてくれた濡らしたタオルを目に当てると、スッと気持ち良くなった。
随分と泣いたせいで、目の周りが痛かったのだが、それも癒されている感覚がある。
閉じた瞳にじわりと伝わってくるタオルの冷たさに、心地よさを感じていると、花子さんが雪子学校長に怒っている声が聞こえてきた。
「お姉ちゃん、小さい子を苛めるなんて、流石に見逃せませんよ!」
「苛めてはいない。ただ、自分の体がこれまでと違う認識はしないといけないという話だ」
「でも!」
花子さんが真剣に怒ってくれているのを感じて、僕は立ち上がる。
「待ってください。雪子学校長は、僕の間違いを指摘してくれたんです!」
僕の言葉に反応して、花子さんも雪子学校長もこちらに視線を向けた。
「正直、僕は体が変わったのに『林田京一』の意識のままで考えて、行動してました。それじゃ駄目だと気付きました」
僕は……いや、私はそこで大きく息を吐き出す。
「私の体はもうかつての者じゃありません。練習を積めば、元の姿に変化することは出来ると思います。でも、体の基本はこの少女の体なんです。意識から切り替えていかないといけないと思いました」
胸に手を当てて、自分の中の結論を言葉に変えて訴えると、雪子学校長は私の意思を尊重してくれたのか、深く頷いてくれた。
一方、花子さんは私の変化に戸惑っているみたいに見える。
なので、私の本気を伝える為に、花子さんの前に立った。
「さっきは深く考えもしないで断ってしまいましたが、花子さん。私に女の子の普通を教えてください!」
一度は嫌がる素振りを見せてしまっただけに、都合の良い申し出だという自覚がある。
そのせいで、花子さんの返事を待つこの時間がとても長く感じられた。
変に喉は渇くし、心臓はドクドクと鼓動を早くするし、正直唇を噛んで踏ん張っていなければ逃げ出しそうになってしまう。
林田京一の時は、こんな風に逃げ出したいと思うことは無かった気がするから、あの頃はとても鈍感だったのかも知れないと、過去の自分に呆れと羨ましさを感じてしまった。
そんな余計な思考をしたお陰か、全身に入っていた力少し抜けた気がする。
とはいえ気持ちは落ち着かないので、私は目を閉じて花子さんの判断を待った。
「どうしよう、お姉ちゃん。お願いされてしまったわ」
花子さんの言葉は予想外のモノだった。
けど、その内容に背筋が凍る。
これまではそのまま行動を起こさないことが多かったけど、私は女性の初心者として、わからないことは聞いていかないといけないと、気持ちを奮い起こした。
「あ、あの、もしかして、社交辞令だったのでしょうか?」
自分の声が震えているのがわかって、恥ずかしさと申し訳なさが湧いてくる。
質問一つにも弱気なっているのが恥ずかしくて、この質問自体が花子さんの負担にナリそうなのが申し訳なくて、またも逃げ出したくなった。
「花子」
不意に雪子学校長の声が響く。
「お前が彼女を不安にさせてどうする」
呆れた雪子学校長の声の後、私の手が急に温もりを感じた。
「え?」
戸惑いの声を上げて自分の手に視線を向けると、いつの間にか花子さんの手が重ねられて、包み込まれているのが目に入る。
「社交辞令じゃ無いんです。ただ、頼まれることは無いかなとも思っていたから、ちょっと驚いてしまっただけなんです」
そう言って優しい声を掛けてくれた花子さんは、私お前にしゃがみ込んで、こちらを見上げていた。
目が合うと、花子さんは柔らかく笑いかけてくれる。
たったそれだけのことで、ぼ……私は心から安堵することが出来た。
「スカートがしわになってしまうから、ゆっくり手を開いて」
そう言われて、私はいつの間にか、自分のスカートを握りしめていたことに気が付く。
変に緊張した時に、無意識にスカートを握りしめていたんだと、自分自身で自分の行動を把握出来ていないことに情けなさを感じてしまった。
握りしめた手を包んでいた花子さんの手が離れ、一本ずつ指を解いてくれる。
私の拳から解放された真新しい制服のスカートに、握った皺が残っていて、それだけで悲しい気持ちになった。
すると、僕の……私の気持ちを見越したように、花子さんは手を伸ばして頭を撫でてくれる。
「大丈夫ですよ、このくらいアイロンを掛ければすぐに綺麗になります。あとで、プリーツスカートのアイロンのかけ方を教えて上げますね」
花子さんの言葉が嬉しくて、私はすぐに「はい!」と明るい返事をすることが出来た。
「それじゃあ、当面は私の部屋で過ごして貰うと言うことで良い?」
「はい! 花子さんが良いのなら、是非お願いします!」
花子さんの言葉に、私はそう言って頭を下げた。
「お風呂場で尻尾を消す練習した時も、恥ずかしさが先に立ってしまって、花子さんがちゃんと教えてくれたことを上手く飲み込めてなかったと反省しているので、もう一度最初から教えて欲しいです」
「……も、もちろん、よ」
どこか歯切れの悪い花子さんの返しに、私はまたも不安になってしまう。
すると、私の頭の上に花子さんの手が置かれて「もう。すぐに不安に感じないで頂戴」と困り顔をされてしまった。
「意識を切り替える前と後で、随分と姿勢が変わったのに驚いただけなの」
花子さんの浮かべた苦笑と言葉に、私は恥ずかしさで頬が熱くなってしまう。
でも、ここで黙ってしまっては誤解が生まれるかも知れないと思って、ちゃんと言葉にすることにした。
「凄く恥ずかしいですが、でも、私は根本から別の人間だと思って、積極的に学ばないとダメだと思ったんです。今の私に合った、私の普通……そうしないと、本当に騙しているだけになると思ったんです」
私が言い終わると、花子さんは腕を回してきて無言で抱きしめてくる。
されるがままに身を任せながら、私は「花子さん?」と意図を問うように名前を呼んだ。
「真面目すぎですが、頑張る姿勢に感動しました」
「は……はい」
褒められたと思うと、またも頬が熱くなってしまい、花子さんの顔が見られなくなって私は俯いてしまう。
「余り良い先生では無いかも知れませんが、私が気になることを伝えつつ、少しずつ自信を付けてください」
花子さんの言葉に、私は視線を向けないままで「はい」とだけ伝えた。




