弐之拾肆 涙の味
花子さんに僕の寮生活偽装の為の買い物を依頼したところで、重大なことに気が付いた。
「あ、あの、そういえば、僕、お金の持ち合わせがあまりないのですが……」
教材作りや持ち歩く資料などを減らす為に、引っ越し費用以外のほとんどをパソコン購入につぎ込んでいたので、貯金も限りなくゼロに近い。
食費はもちろん光熱費も学校というか、正確には村……いや、国かも知れないけど、ともかく僕に請求は来ないので、後々まで使えるようにスペックの高いものを購入してしまっていた。
お陰で、動画での授業なども簡単にできそうなのでそこは良いのだが、新たに人一人分の日用品を揃える程の余裕は無い。
とはいえ、何も準備しない訳にもいかないので、どうにかしないといけないのだが、名案は浮かばなかった。
「く、クレジットカードを契約しておけば……」
安易に借金に頼ってしまいそうで避けてきたが、この状況なら起死回生の一手になったかも知れない存在に気が付いて、僕は頭を抱える。
すると、雪子学校長に「その姿でその発言は問題しか無いよ」と指摘されてしまった。
確かに頭を抱えた小学生が言うセリフでは無いなと思い「取り乱しました」と素直に謝る。
対して雪子学校長は困り顔のまま、苦言を口にした。
「一応言っておくが、生徒として生活することを選んだ以上、迂闊な発言は慎むように」
「は、はい」
「子供達にとって、我々がしようとしているのは、理由はどうであれ『騙す』ということに変わりが無い……で、ある以上、完璧に騙し通す必要がある」
僕は雪子学校長の言葉に、何も言い返すことが出来なくなってしまう。
自分の視点でばかり考えていたという事実に、頭を強く殴られたような衝撃を受けた。
「僕……は……」
この場を上手く乗り越えることに集中する余り、子供達の目線でどう見えるかなんて、まるで考えていなかった事に、体から力が抜ける。
ガクッと視界が下に下がり、膝、お尻の順で床に触れた感覚があったが、力が抜けてしまった僕はそのまま動けなくなってしまった。
「だ、だいじょうぶですか!?」
慌てた様子で花子さんが駆け寄って、項垂れていた僕の体を支えてくれる。
顔全体が熱くなって、鼻にツンと痛みが走った。
「自分のことばっかり……考えて……まぢた……」
花子さんに心配掛けまいと発した声は徐々に震えて、発生も怪しくなっていく。
視界も大きく揺れ出した。
頭では目一杯に涙が浮かんでいるとわかっていても、どうすることも出来なくない。
勝手に目が閉じて、口が大きく開かれた。
そして、喉の奥から「うわああああ」というみっともない鳴き声と、流れ出した涙が頬を伝って落ちていく。
顔を滑り落ち顎で集まった涙はボタボタと制服のスカートに落ちていったが、僕の頭はそれを客観的に認識出来ているのに、止める事は出来なかった。
自分でも制御出来ない大泣きに動揺した僕は、花子さんに誘導されてソファに移動した。
場所が変わっても、泣き止むことが出来ない僕の横には花子さんが座ってくれている。
泣き声を上げているせいで喉が痛かった。
冷静に考えられているのに、僕の中にある感情的な部分が泣くのをやめない。
そんな僕を気遣うように優しい手つきで、体に触れてきた花子さんは、肩に手を回すと抱き寄せてくれた。
ギュッと抱くように抱きしめられて、触れる程近くに花子さんの吐息と熱を感じると、徐々に鳴き声が小さくなっていく。
花子さんの腕に包まれているという安心感が、心地よさとなって、胸から全身にゆっくりと広がっていった。
「あ、あの、花子さん、もう大丈夫です」
「本当ですか?」
僕が花子さんの問い掛けに、少し詰まりながらも「は、はい」と返すと、ゆっくりとその腕が解かれた。
遠ざかっていく花子さんの温もりに、ほんの少し名残惜しさを感じたけど、ギュッと拳を握ってその気持ちを振り払う。
「すこし、冷やしましょう」
僕の顔をのぞき込んだ花子さんはそう言って立ち上がると、部屋を出て行ってしまった。
代わりに雪子学校長が僕に話しかけてくる。
「今のは涙は演技かな?」
そう問いかけられて「そんなこと無いですっ!」とついムキになって応えてしまう。
すると、雪子学校長は「だろうね」と返してきた。
反射的に立ち上がってしまっていた僕に座るように手で合図を送ってきたので、僕は大人しく座り直す。
「女性が感情の生き物だと言われている要因の一つは、体が理性よりも感情の影響下におかれ、自分で自分を制御できなくなることがあるからだ」
実際に涙を止めることが出来なかった直前の体験があるだけに、その言葉はとても重く響いた。
「君の場合もそうだと断言はできないが、過去に『神格姿』を得て女性となった者は、骨格、内蔵……脳の構造までも女性化している。当然思考や行動にも女性化の影響は顕著に出てくるだろう」
いつの間にか真剣な口調となった雪子学校長の言葉に、僕はただ頷く。
「加えて、外見が幼くなったということは、脳が未熟な状態に回帰している可能性もある。今の状態で『林田京一』であり続けることの方が困難なんだ」
雪子学校長のその発言に対して、僕は即座に否定の言葉を口にすることは出来なかった。
自分の失敗を痛感して泣きじゃくってしまった時、僕は僕自身を制御出来なかった事実がある。
僕の意識が自分を制御出来ないという事実は、雪子学校長の言葉を借りれば『林田京一であり続けられない』と言うことに他ならなかった。
そう考えただけで、急に目の前が暗くなったような気がして、同時にまた視界が揺らぎ出す。
頭で泣くなと訴えても、体がそれを聞き入れることは無かった。




