弐之捌 変化は突然に
手の平と足の裏に堅いモノが触れる感覚が、くすぐり地獄から脱した直後に僕の感じた感覚だった。
次に、周囲の光景を頭が認識する。
まず視界に入ったのは、僕を見る雪子学校長と花子さんの驚いた表情だった。
何を驚いているのだろうという思いが頭に浮かんだが、そこに意識を向けるよりも先に、興味を引く物が花子さんの手の中にあるのを、僕は見てしまう。
ワンピースだ。
そう認識した直後、僕は視線を下げ床を見る。
花子さんが立つ目の前、僕がいただろう場所には、脱ぎ散らかしたようなスリッパと、下着が転がっていた。
僕の脳裏がそれを自分が着ていた物だと認識した直後、僕は慌てて自分の体へと視線を向ける。
そして、僕は自分の腕を包む白と銀と薄い紫が混じった輝くような毛並みを見た。
状況を確かめる為に、周囲を見渡すと、雪子学校長の机が目に入り、直後頭の中に『飛び乗れる』という確信が閃く。
僕はそれを疑うこと無く信じて、飛び上がると、見事イメージ通りに雪子学校長の机の上に着地出来た。
この時点で、自分の体が人ではないものに変わった自覚はあったのだけど、問題はそれがどんな形なのかである。
早く確認しなければという衝動に突き動かされ、焦りつつも学校長室内へ視線を巡らせた。
そして、部屋の隅に置かれた大きな姿見が目に入る。
と、同時に自分がどうなったのか、理解した。
「銀色の狐」
ある程度予測は出来ていたことだけど、僕の意思のままに、鏡に映った狐ノ体の部位が動く。
違いと言えば鏡なので左右が反転していることだけで、明らかに自分の今の姿だと受け止めるしか無かった。
「そ、その姿にも驚きましたが、しゃべれるんですね!」
花子さんの言葉で、自分の呟きが普通にしゃべれたことに気付く。
「そういえば、しゃべれる……って、むぎゅっ」
急に締め付ける感覚がお腹に走った。
逃れようとして、それが僕の道に回された腕による物で、腕の主が雪子学校長だと言うことに気付く。
「ちょ、ちょっと、雪子学校長! く、くるしいっ! はなしてください!!」
僕の訴えに対して、想像もしなかったとんでもない言葉が返って来た。
「無理だ」
一瞬言葉を失ったが、お腹を締め付ける感覚は続いており、そこそこ苦しいので、今度は怒りを込めて「無理だじゃないですよっ!」と抗議の声を放つ。
だが、雪子学校長は「意思疎通の出来る動物になるのが良くないっ!」と言いつつ手を離してくれようともしなかった。
背後から抱きしめられてしまっているせいで、必死に暴れても抜けられない。
とはいえ、このまま抱きしめられては潰されてしまいかねないので、僕は自分の毛で覆われた手……というより前足を見た。
すると、頭の中に『爪が出せる』というイメージが湧いたので、言葉通りに意識をしてみれば、ジャキンと爪が前足の先から飛び出す。
背に腹は代えられないと、この爪で雪子学校長の腕を切り裂くかを真剣に考え始めたタイミングで、急にお腹の締め付けが緩んだ。
「わっとっと……」
急に宙に放り出された格好になったので、多少バランスを崩したが、それでも四つ足のお陰で倒れはしない。
無意識に、着地地点から少し掛けて距離を取ってから振り返ると、そこには僕と同じようにお腹に腕を回されて花子さんに抱き上げられた雪子学校長の姿が目に入った。
「まったく、動物をむやみやたらに抱きしめちゃダメでしょ、お姉ちゃん」
大分呆れた様子で雪子学校長に苦言を呈する花子さんに心の底から感謝しながら動向を見守る。
すると、抱きしめられた雪子学校長は「そうだった……」と急に項垂れた。
「ごめんなさい。普段はしっかりとしているけど、可愛い動物を見るとたがが外れてしまうの」
「な、なるほど」
花子さんに捕獲されている意味は大丈夫だろうとは思うのだが、どうも安心出来ずに及び腰になっているのを感じる。
「お姉ちゃんも元の姿に戻れば、冷静になると思うのだけど、元の人の姿にはなれそう?」
「え?」
そう言われて頭が真っ白になった。
思えば無我夢中で変身したので、やり方自体がまったく頭というか、記憶に残っていない。
「も、もしかして戻れないの、ですか?」
そう尋ねてきた花子さんの顔が少し青ざめているのを見て、僕の背中にも冷たい物が走った。
結果、焦りに焦った僕の頭の中が『戻る方法』という言葉で埋め尽くされる。
それが思いがけず功を奏した。
電撃のような強烈な閃きと共に頭の中に、イメージが湧き起こる。
それは、額に意識を集中することで、額に集まってきた熱を、体を変化させたいという思いを込めて全身に巡らせるというものだった。
これまでやったことはおろか、考えたことも無い行動にも拘わらず、強く『出来る』という確信が僕の中にはある。
直前の学校長の机に飛び乗った時も、感じた確信だけに、今回も従おうと僕は決心した。
そうして、脳裏に浮かんだイメージ通りに目を閉じて額に意識を集中する。
直後、額、それも眉と眉の付け根辺りに、何か熱い物が集中する感覚が生まれたので、それが、シャワーのお湯のように、肌を伝って全身に流れていくイメージを抱いた。
すると暖かい熱が少しずつ肌の上を滑り落ちるようにして広がっていく。
それに合わせて、僕が『人の姿に戻れ』と念じると、体を包む熱はあっという間に火傷しそうな程熱くなった。




