玖之弐拾 ルール
「リ、リンちゃーーーん」
「わぁっ!?」
志緒さんはわざわざテーブルを迂回して抱き付いてきたのだが、その動きが速すぎて、体勢を整えられず、そのままの勢いで正座に近い状態から床に倒れ込むことになった。
今の体は柔軟性が高いからか、痛みはなかったが、アヒル座りのような状態になってしまっているので、身動きがとれない。
「ありがとう、リンちゃん!!!」
ギュウギュウと胸に顔を埋めて抱き付く志緒さんの勢いは止まりそうになく、視線を上に向けたところで目に入った逆さまの那美さんはにっこりと笑うだけで、何かをしてくれそうな気配はしなかった。
「感激で体が勝手に動くというのは……まあ、経験があるから、わからなくはないですが、危ないので、勢いを付けて抱き付くのはダメです」
私の言葉に、志緒さんは肩を落として「はーい」と返事をした。
一応、我に返った後なので、自分の行動の善し悪しは当然わかっているし、志緒さんは完全に反省モードのようである。
確かに、私だって、お預けされている状態の大好物を用意してくれると言われれば大興奮間違いなしなので、これ以上強くは言えないのだ。
というところで、話を終わりに小としたら、那美さんが茶々を入れてくる。
「あらぁ、それは、ゆっくりなら抱き付いても良いのぉ?」
ニヤニヤしている那美さんの口元は、完全に私を揶揄おうとしていた。
ならばと、私は澄まし顔で言い放つ。
「別に勢い付けたら危ないって話ですからね。ゆっくりなら良いですけど……」
私の返しに、那美さんは「そうなのねぇ~」と口にした後で、首に腕を回してきた。
「那美さん!?」
驚く私に対して、那美さんはいつもの調子で「ゆっくりならいいんでしょう?」と言い放つ。
確かに『良い』と言ってしまった手前、否定するのも違う気がして「む~」と唸るしかなかった。
そんな状況で、那美さんは志緒さんに向かって手招きをしてみせる。
那美さんの行動に思わず「へ?」という声が出てしまったが、志緒さんはさっき飛びついたのと同じように、今度はゆっくりと胸に顔を押し当ててきた。
その状況に戸惑っている私に那美さんが声を掛けてくる。
「リンちゃん」
「え、あ、はい?」
「しーちゃんも、ゆっくり抱き付けば良いって理解してくれてよかったわねぇ」
言い放たれた言葉に、私は「そうですね」と返すことしか出来なかった。
結局、那美さんと志緒さんが抱き付いてきたことで、ダメ出しはうやむやのうちに終わってしまった。
結果だけ見れば、志緒さんは変にへこんでいて、終わり方のヴィジョンが見えていなかったので、よかったのかもしれない。
そう思って「じゃあ、改めて、挑戦してみますね」と告げると、先に志緒さんが、次いで那美さんが私から離れた。
私から離れた志緒さんは「ま、待ってね、もういっかい、スマホ準備するから」と口にしながら、手早い動きで、三脚にスマホをセットし終える。
「い、いつでもいいよ」
志緒さんの言葉に頷きだけで応えた私は、改めて志緒さんの用意してくれた線画に目を向けた。
前、左右、後ろの四面から見た図だけでなく、上、下の図も描かれていて、目を瞑ればなんとなく全体図を思い浮かべられる程、細かい。
お陰で、私の中ですぐに出来るという確信が湧いてきた。
「うん……いけると思う」
目を閉じたままでそう告げると、那美さんが「はぁい」と返事を返してくれる。
やや遅れて、志緒さんも「お、お願いします」と興奮が少しにじみ出た声で返事をくれた。
そんな志緒さんの乗り気な様子に噴き出さないように気を引き締めながら、体中のエネルギーを手の先へと集める。
大分繰り返してきたことであり、イメージも自信ありだったこともあって、とてもスムーズに手の平の先で、エネルギーが変化し始めた。
「う、あ、お、おおお」
見ているしお産の声が状況に合わせて変化していくので、うまく出来ていそうなのは伝わってくる。
目を開けると、変に集中が切れるかも知れないので、志緒さんの漏らす声から、出来栄えが悪くないと信じてエネルギーを送り込んだ。
私が終わりを感じて目を開けると、志緒さんは「ふああああああああ」という謎の声を上げて震えていた。
「し、志緒さん?」
名前を呼ぶと、ギギギと軋む音がしそうなぎこちない動きで、首が回って、志緒さんの顔がこちらを向く。
どうしたのか聞くまでもなく、顔が向いたのに目はずっと『シャー君型のアミダ・ヴァイア』に向けられたままな異常な状況が、志緒さんの気持ちがどこを向いているか如実に物語っていた。
流石にこの状況では、話にもならないだろうし、あまり待たせるとおかしくなるんじゃないかという不安もあったので「触っても、良いよ」と伝える。
直後、志緒さんは「ありがとう、リンちゃん!」と声を弾ませると、両手であっという間に掬い上げてギュウッと抱きしめた。
「あはっ! ぬいぐるみじゃないから、少し堅いかもっ!」
発する言葉全てが弾んでいて、上手く出現させられてよかったと心から安堵する。
そんなタイミングで、那美さんが私の肩を叩いた。
「しーちゃんはしばらく帰ってこないから、休憩しましょう」




