捌之拾漆 抱擁
「大人の姿の月子教授ですか……」
私は課題を出されて一瞬呆然としてしまった。
何しろ、今椅子に座っている分身の変化した月子教授は、子供姿に変えようとは思ってすらいない。
単純に月子教授に変われと思っただけなのだ。
手段が思い付かず、オロオロしていると、月子教授は「まあ、そうだろうねぇ」と笑う。
クスクスと肩をふるわせて笑う姿は年相応に見えて、舞花さん達と話しているような感覚になった。
「君は、単純に私に変化させようとしただけ……私の本性に変化させてしまったのは、君にとってはイレギュラーということだからね」
月子教授の目線月近くなったこともあって「そうだね」といつもより素直に頷ける。
すると、月子教授は「おや」と口にしてから笑みを深めた。
何かを言われるという直感に、少し身体に緊張が走る。
その反応にもクスリと笑われた後で、月子教授には「林田京一の姿より、同じ年齢の女の子の姿の方が緊張しないみたいだね」と言われてしまった。
多少なりと自覚があったことだけに、その言葉はもの凄く刺さる。
頬や耳が過熱していき、身体の感覚がグンと遠ざかった。
「ああ、ごめんごめん。君を辱めるつもりはなかったんだ」
月子教授はそう言いながら、私に抱き付いてくる。
ギュッと抱きしめられた私に出来たのは「えっ!?」と驚きの声を上げることだった。
「いやぁ、懐かしい感触だ」
そう言いながら、月子教授は腕に込める力に強弱を付けてくる。
「月子教授?」
「嫌だったらそう言ってくれ」
「い、いやじゃないですけど……なんだか花子さんみたいです……ね」
思わず月子教授の手の動きに、妹の花子さんを連想した私に、月子教授は「まあ、姉妹だからなぁ」と口にしてから、抱きしめる腕に力を込めてきた。
「私も本当はこうして人に触れ合うのが好きなんだよ」
とんでもないことを口走っているのに、花子さんのように引き離そうと思えない。
しみじみ尼言われた言葉にどこかもの悲しさのようなものを感じてしまったからだ。
だから、少し遠慮がちになりながらも、月子教授の背中に腕を回して、抱きしめ返す。
「……君は、暖かいねぇ」
月子教授がそう口にした後、私たちは無グンでしばらくの間抱き合っていた。
しばらく抱き合った後、お互いに熱っぽくなってしまったことでどちらからとなく離れた私たちは、並んで椅子に座り直した。
そこからほんの少し間を開けてから、月子教授はじっと床に視線を落とした姿で話し出す。
「君は幻術についてどういうイメージを持っているかわからないけどね。意外と視覚を騙すのは簡単なんだよ」
「そう……なんですか……」
「脳には元々、目で得た情報を自分に都合良く錯覚する機能があるからね」
月子教授の言葉に私も聞き覚えがあったので「なるほど」と頷いた。
すると、月子教授はこちらに顔を向けて「だがね」と言った後、私の腕に自らの手を置いて握る。
「触覚は違うんだよ」
「そうなんですか?」
繰り返し同じ言葉を返してしまったものの、発した声は先ほどよりもするりと言葉になった。
それがおかしかったのか、月子教授は軽く笑ってから「まあ、人間の感覚だからね。直接見ていないと触られた指を誤認する程度には鈍いんだけどね」と言う。
「けど、大人だと思っていた相手を抱きしめた感触が子供だったら、流石にわかるだろう?」
「そ、そうですね」
自分の語彙力が明らかに下がっているのを感じながら、月子教授の言葉に頷いた。
「というわけで、私が触れ合えるのは、家族くらいなものだったわけさ……まあ、子供の頃は別だけどね」
そこまで聞き終えて、ようやく私は理解する。
月子教授は幻術を纏って生活をしているが故に、本当を知っている家族以外には触れられなかった。
だからあんなにも長く私と抱き合っていたんだと思うと、もの凄く抱きしめたい気持ちになる。
そんな私の気持ちを読み取ったのか、月子教授は私の前にぴょんと跳ねるように立ち上がると、くるりとこちらに向き直った。
目一杯両手を広げて「抱きしめて良いよ、凛花ちゃん」と月子教授は笑う。
思わずたちあがったところで、私は自分の頬を自分の手で叩いた。
パァンと乾いた音が響いて、頬が少し火照っていて痛い。
誘われるまま抱きしめていたら、何か不味いことになりそうという思いが、私の口から「あ、あぶなかった……」という言葉になって転がり出た。
そこに「プッ」と吹き出した月子教授の声が聞こえる。
視線を向ければお腹を抱え身体を丸めた月子教授が大笑いしていた。
何か言い出そうとする度に、堪えきれない衝動で笑いが止まらず言葉になら無い。
しばらく、そんな月子教授の大笑いを眺めていると、ようやく立て直しが終わった月子教授が「別に今は女の子同士なんだから、抱き合っても問題ないだろう?」と言放った。
「教授、学生と教授の間には適度な距離感が必要です……これ、月子教授のセリフでしたよね?」
私の切り返しに、月子教授は「それはだね」と口角を上げる。
「私の身体が子供だとバレないためだ。真実を知っている君なら、むしろハグ大歓迎だよ?」
そう言う月子教授は、またも両手を広げて私を誘ってきた。




