壱之拾玖 雪子学校長の語り
「今回は……」
花子さんの言葉を繰り返したところで「林田先生、話は出来そうかな?」と第三者の声が聞こえてきた。
声に気付いて、保健室の入り口に視線を向けると、雪子学校長が立っている。
その容姿は、先ほどよりも若返っていて、花子さん寄り少し年上くらいに見えた。
何も言わなかった僕に、雪子学校長は「ふむ」と一言口にしてから、改めて問い掛けてくる。
「これから、私たちの現状を説明しようと思うが……いいかね?」
いいかと聞かれれば、正直、心の準備が出来ているとは言えなかった。
だが、知るタイミングを先延ばしにしたところで、状況が好転するわけもない。
ならば選択肢は一つだ。
「……お願いします」
僕はベッド、雪子学校長は椅子に腰を下ろして、僕達は向かい合った。
花子さんは子供達の様子を見に行くと言うことで、既に席を外している。
二人きりの保健室で、雪子学校長は「さて、何から話すか」と考える素振りを見せた。
確かに、たくさんのことが起こりすぎていて、僕としても聞きたいことは山程あったが、その中でも一番気になっていることに、最初に踏み込むことにする。
「まずは『放課後』について、教えてください」
雪子学校長は「そうだね」と重々しく声を発してから、大きく頷いた。
「まずはその説明が必要かね」
「お願いします」
ここで心変わりをするとは思えないが、それでも言いにくそうな雰囲気を纏っているので、僕は敢えて念を押す。
すると、改めて頷いた雪子学校長は「林田くんは、神霊や神道、仏教など宗教に関する知識はそれなりにあったね?」と尋ねてきた。
確かに僕は歴史でも宗教との関わりや民間伝承などの研究をしてきており、卒業論文では『現代の都市伝説と神話や寓話における事象の類似性について』をテーマにしている。
一般にオカルトと言われる知識は、それなりに豊富だという自信はあった。
もっとも、この目でそれを目撃するとは思っていなかったし、そもそも半信半疑と言うよりは、心理的思い込みや偶然だろうと考えていたので、正直なところでいえば『信』よりも『疑』の方が僕の中では大きかったと思う。
別に絶対にあり得ないと思っていたわけではないが、それこそ特殊な環境下にある人や、そういう才能を持った人だけが垣間見る世界程度に考えていたのだ。
だが、これからは違う。
自分自身がそちら側に入り込んだ認識をして、常識と比べるのを抑えて、事実を事実として捉えるようにしないと、取り返しのつかないことになるかも知れないと、僕は気持ちを引き締めた。
なにしろ、僕はこの目で東雲くんの腕が弾け、それが元に戻る過程をしっかり目撃しているのである。
加えて、花子さんが口にした『今回は』という一語がとてつもなく重かった。
現代ではほぼあり得ない、次の無事が約束されない事態だからこそ、常識なんてこだわる意味もないと僕は思っている。
それになにより、僕は『これまでを捨てる覚悟』をしたのだ。
子供達の直面する問題、その根幹であろう『放課後』とは何なのか、僕なりにしっかりと認識しなければと、意識を集中させる。
そうして、僕は雪子学校長の話の始まりを待った。
「正直なところ、私たちでさえ、何を相手に戦っているかを、はっきりと断言することは出来ない」
雪子学校長の言葉に、そんな馬鹿なと言いたくなったが、それは話の腰を折りかねないと考えて、続く言葉を待った。
「具体的に現代の言葉……科学的な呼称では、ふさわしいモノがないといった感じだよ」
「つまり、スピリチュアルのような?」
「おおむね、その通りだけど……ニュアンス的には『災厄』と言った方が良いのかも知れない」
余りに抽象的な表現に、僕は顔を渋い表情をしたのだと思う。
雪子学校長は苦笑しながら言葉を足してくれた。
「放っておくと、地震を引き起こしたり、疫病を蔓延させたり、雷を落としたり……要は放置すると悪いことが起こる……その火種と言ったところだろうか……」
その追加された説明に、僕はなるほどと頷く。
確かにそう言った現象の原因だというのなら、『災厄』という形容は的確だと思えた。
けど、だとすると疑問が出てくる。
「そんなモノとどう戦うんですか?」
そもそも概念のような何かと戦う術があるのかという意味も込めて、そう尋ねると雪子学校長は「その昔、洪水が起こる土地では、龍が暴れるからと考え、それが伝承に残っていたりするだろう?」と口にした。
「順序としては逆だが、それに近い現象がおきていてね。形を取るんだよ『災厄』は……龍、鬼、蜘蛛……何らかの形をね」
なるほどと僕は頷く。
文字通り、龍退治に、鬼退治、大蜘蛛退治というわけだ。
そして、それらを退治出来れば、その『災厄』を打払えるといったところだろう。
「それが『放課後』」
僕の呟くような一言に雪子学校長は深く頷いた。




