漆之弐拾捌 対処
「そん……な……」
自分の命が危険にさらされていたこと自体は、当然ショックだった。
けど、それ以上に、そんな私を救うために雪子学校長が身を挺してくれたのだという事実の方が重くのしかかってくる。
「凛花さん!」
強めの口調で月子教授が私の名前を呼んだ。
けど、私はそれに反応することが出来ない。
「凛花!」
パシィンと乾いた音が響いた。
それに遅れること数瞬、私は視界が代わっていることと、頬にほてりがあることに気が付く。
「え……」
「しっかりしなさい。君のせいじゃない!」
身体を強めに揺すられて、それをしている月子教授と視線が交わった。
「つ、月子教授?」
呆然とその名を呼んでしまったのは、月子教授が本来の、林田京一だった頃によく見ていた姿に変わっていたからである。
「あの、姿が……」
私は瞬きをしながら、一番気になった容姿について指摘をすると、月子教授は大きく溜め息を吐き出した。
「月子教授?」
「まったく、君は、心配を掛けるのが得意なようだな」
困り顔なのに目は優しくて、口元に笑みが浮かんで見える不思議な表情を、月子教授は浮かべる。
「凛花さん。しっかりと聞いて欲しい……先ほども言ったが、雪姉のことは君のせいじゃない。そもそも私たち監督者の三人が揃って実験を推奨したんだ。君自身、あんなに飛び上がるとは思っていなかっただろ?」
「でも……」
「君が自分の能力を完璧に把握していてやらかしたなら君のセイだが、あの場は実験の場だ。わからないことを試す場だ……つまり、責任を問える相手はいない……むしろいるとすれば、私たち監督者であり、雪姉はその監督者だ。責任を果たしただけに過ぎない」
月子教授がいくら言葉を重ねてくれても、私の心の中にあるモヤモヤした感情がそれを受け入れを拒絶していた。
理屈の上では、月子教授の言うことも一理あるのではと思うが、それ以上先、受け入れに至れない。
そんな私に月子教授はまたも大きな溜め息を吐き出した。
「仕方がないな」
「え?」
この話の流れで、出てきた『仕方がない』という言葉に、私は思わず身構える。
少なくとも、私の気持ちを和らげるように、掛けてくれる言葉を辞めると言うことだというのはなんとなく察することが出来た。
「雪姉の現状と原因に関する記憶を吹き飛ばすことにしよう」
「へ!?」
にっこりと黒い笑みを浮かべた月子教授の言葉に、私は戦慄する。
なぜなら、月子教授はそれが出来る能力を持っていて、それを躊躇なく出来る合理的な思考が出来る人だからだ。
「そ、そこまでする必要があるんでしょうか!?」
思わず後退りながら、月子教授に問えば、間を置くことなく頷かれてしまう。
「あるね」
最早問答無用といわんばかりに、私に手が伸ばされた。
ほんの少し前、頭を撫でてくれたあの優しい手が、私の記憶を消そうとしているのだと思うと怖い。
そう思って、両腕をくの字に曲げて、頭を隠すように上げたところで、私の頭の中に『月子教授の能力を拒否する必要があるのか』という疑問が浮かんだ。
忘れてしまえば、こんな心苦しさも消えてしまうはずだ。
そう思うと抵抗の意思を示す必要もない気がしてくる。
いつの間にか身体の緊張が抜け、自分を庇うように上げていた腕が自然におり始めた。
「って、だめです! そんなこと、感謝する理由を忘れて良いわけがない!」
気が付くと私はそう声を張り上げていた。
何でそんなことを口走ったのか、思考が飛んでしまって上手く思い返せないが、大声を張り上げたお陰か、妙にすっきりしている気がする。
そんな私を、月子教授はじっと見詰め続けていた。
月子教授に見詰められていると、急に不安定になったり、いきなり声を上げたり、かなり感情的になっていて、精神的におかしくなっている自覚が湧いてくる。
自覚が湧くと、如何に私が自分をコントロールできていないかというのを¥突きつけられている気がして、情けなさと恥ずかしさで胸が一杯になった。
その間もじっと私を見ていた月子教授が「大丈夫そうだね」と伸ばしていた手を夫引っ込める。
「へ!?」
思わず驚きをそのまま声に出してしまったが、月子教授は一瞬でその姿を雪子学校長に変え、私から少し距離を取りながら「君、危ないところだったんだよ」と口にした。
「危ない?」
「凛花さんの中に、良くないものが入り込んでいたんだよ」
「へ?」
まったく理解が出来ない月子教授の話に、戸惑いしかない。
すると、月子教授は私の胸、心臓の辺りを指さして「モヤモヤしたものが消えてないかい?」と言放った。
そう言われて私は指さされた自分の胸に視線を落とす。
「モヤモヤしたもの……」
直前にすっきりした気持ちになったが、何故かと言えば、モヤモヤしたものが晴れたからだと、何の根拠もなく思った。
そんな私に、月子教授は「君はそのモヤモヤに精神を支配される可能性があった。囚われてしまうと自分に対する負の感情が強められ、自傷行為に発展するような、内向きの暴力性を抱くようになってしまう」と言う。
「なんで……」
私がそこまで口にすると、月子教授は「君が『穢れ』に触れてしまったからだよ」と言い切った。




