漆之弐拾弐 飛翔
「次、行きます」
私はそう宣言して足を踏み出した。
が、踏み出した右足は想定した一段上の地面を擦り抜けて、今立っているのと同じ高さまで下りる。
左足と同じ高さまで右足は下り、感覚的には平面が続いているような感じだ。
何故階段のように、一段上がれないのか、疑問を覚えつつも、左足、右足と順番に前に出す。
「リンちゃん!」
黙々と繰り返した結果、名前を舞花さんに呼ばれた時には、プールの中央付近まで来てしまっていた。
地面よりもそれなりに高い位置に入るモノの、それ以上上がりも下がりもしないので、私は一旦皆のそばに戻ることにして、来た道を引き返す。
水の上を歩くと言うよりは相変わらず、堅いグミの上の上を歩く感覚を足裏に感じながら、プールに落下することも無く、無事プールサイドまで戻ることが出来た。
「リンちゃん、大丈夫?」
「急に足場が消えたりとか、足下が安定しなかったりと言うことは無かったですね」
心配そうに私を見上げている舞花さんに、何でも無いと伝わるように、淡々と感じたままを口にする。
けど、私の想定に反して舞花さんの表情は浮かなかった。
なので、私は慌てて言葉を付け足す。
「え、えっと、大丈夫でしたよ?」
言葉のチョイスに不安があったからか、語尾が疑問符交じりになってしまったが、舞花さんはほっとした表情を見せてくれた。
私はその反応に、選択を間違わずに済んで、ホッとする。
安堵したそのタイミングで、那美さんが「やっぱり飛ぶのは難しいのかしらぁ?」と首を傾げた。
「飛ぶ……」
那美さんにそう言われて、初めて私が『飛ぶ』事を考えていなかった事に気が付いた。
「そう言えば、やや堅めのグミのような、目に見えない床の上を歩いている感覚だったので、飛ぶって言う意識は無かったですね」
そんな私の発言に、結花さんが「そう言えば、翼、動いて無かった気がする」と呟く。
「私もずっと観察してましたけど、翼は教室から開いたままでした……壁とかも擦り抜けてましたし……」
志緒さんにそう言われて、私は思わず声を大きくしてしまった。
「えっ! 翼が?」
私にとっては結構衝撃的な発言だったんだけど、皆はそうでも無かったようで、私の驚き具合に首を傾げている。
「普通に通り抜けてたから、リンちゃん知ってるのかと思ったよ」
舞花さんの言葉で、私が手を広げたくらい長い翼なのに、ここまでの移動で引っかかっていなかったことに今更ながらに気付かされた。
「い、言われてみれば、この大きさだと、引っかかるよね……」
首を回して翼を見ながらそう口にすると、結花さんが「あー」と声を上げた。
「リンちゃん、考えてもいなかったのね。引っかかるかもって」
「うぐっ」
私が図星を指されて言葉に詰まると、途端に皆の中に笑いが起こった。
とても恥ずかしいけど、自分が原因なので、敢えて笑いを受け入れる。
そうして恥ずかしさに耐えていると、私の様子に気付いたらしい志緒さんが少し申し訳なさそうに声を掛けてきた。
「わ、私は、リ、リンちゃんらしくて、か、可愛いと思うな」
必死のフォローだけど、可愛いと評されるのは少し複雑である。
とはいえ、気遣って貰ったのは間違いないので「志緒さんありがとう」と感謝を伝えた。
「それじゃあ、今度は空を飛ぶイメージをしてみます」
私の言葉に対して、雪子学校長は頷きながら「プールの中央から真上に飛んでみたまえ。異変を感じたらすぐ辞めたまえよ?」と心配そうな視線を私に向けてくれた。
単純に、私を心配してくれている事が嬉しくて「心掛けます」と返して、深く頷く。
それからプール中央まで移動したところで、改めて皆に飛んでみる旨を伝えた。
「飛んでみますね」
私の発言に皆から応援の言葉が返ってくる。
それに頷いてから私は、グッとしゃがみ込んだ。
ここからジャンプの要領で空に飛び上がろうと思う。
というのも、私が頭の中で翼で空を飛ぶのが上手くイメージ出来なかったからだ。
一方で、ジャンプならば出来るという確信がある。
翼で羽ばたくというのからはかなりとぽいとは思うけど、私は空に向かって飛び上がった。
全身に強い圧力が掛かった後、視界が黒一色に塗りつぶされた。
時間にして秒にも見たいない一瞬だったが、視界の黒も圧力も消えた時、私の視界は少し濃いめの青だけが映っている。
その状況に驚いて下に視線を向ければ、足下には山々の木々と、ぽっかり開けた空間にいくつかの建物やプールと言った施設が並ぶ、恐らく学校の施設が見えた。
一瞬でもの凄い高さまで到達したのだと理解した瞬間、強烈な痛みが背中に走る。
「えっ」
身体が回転し、今までいた場所が視界に入った。
そこには、翼から抜け落ちた無数の羽が溶けて宙に消えていく様子と、何か、得体の知れない黒いもやのようなモノが存在している。
何か透明な壁のようなものがあるのか、黒いもやはこちら側に入り込めないようで、その透明な壁に沿うように広がっていた。
どうにかしないといけないと、咄嗟に頭が訴えたが、私は自分の身体に力を入れられず、どうすることもできない。
空中で静止していたかのような時間が過ぎて、私の身体は重力に引かれて加速しながら黒もやから離れ始めた。
視界の中には恐らく私の背中の翼から抜け落ちたのだろう無数の羽根が、宙に散っていく光景が見える。
何が起こっているのかわからないまま、私の一色は一瞬で黒に塗りつぶされた。




