壱之拾捌 衝撃の光景
僕は目の前で起こっている出来事に、対応出来ず、ただ呆然とすることしか出来なかった。
鳥居が現れた直後、雪子学校長と花子さんが子供達を挟むように立ち、そして目の前の現象が起きる。
それまで寝ていた東雲くんのベッドが跳ね、ベッドから天井に向けて何かが飛んだ。
重力に引かれ、とんだそれが、東雲くんのお腹の上に落ちる。
腕だ。
目を擦り、何度見直しても、人の腕にしか見えない。
あまりにも受け入れがたい光景に、それが何かのトリックやマジックの類いかも知れないと、僕は東雲来んの体の方に視線を向ければ、そこに眠る彼の体からは左の肩から先がなくなっていた。
「うっ」
胃を発した熱い液体が食道を逆流する感覚がして、両肩が勝手に跳ねる。
緊迫した空気の中で、逆流してきたモノを口から吐き出さないように、僕は必死に両手で口を押さえた。
そんな僕の視界に、信じられない光景が映る。
今し方ベッドに落ちたばかりの東雲くんの左腕が動き出した。
ずるりずるりと引き摺られるようにして、ベッドの上を、東雲くんに駆けられた布団の上を滑っていく。
そうして、腕の失われた肩まで辿り着いた腕はそのまま繋がっていった。
細かい無数の筋肉や神経、血管などがミミズか何かのように自在に動き、繋がっていく様は、一度堪えた吐き気を再び揺すり起こす程の強烈なものがある。
だが、それも、腕と肩が繋がり、肌が再生していく頃には、治っていくという信じられない光景への驚きが強くなって、嘔吐くことすらなくなっていた。
「他の子はどうだい?」
聞き慣れない低めの声が響いた。
僕はその声の主を探って、またも驚くことになる。
「雪子、学校長?」
「今は子供達だ」
僕にそう答えたのは、先ほどの花子さんとそれほど変わらない容姿から、更に年齢を経た容姿に変わった雪子学校長だった。
着ている服、立ち位置、何より東雲くん以外動いた気配がなかったことから、誰かがすり替わったということはないと思われる。
つまり、僅かな時間の中で、雪子学校長は年を取ったと言うことだ。
既に少女から女性への変化を目にしている以上、そうなのだと考えるしかない。
そう考えた時、僕の意識は、何故、雪子学校長の容姿が変化したのかへと向きを変えた。
鳥居が出現して、東雲くんの腕が飛んで、そして治った……並べると異常なことの連続だが、この裏で雪子学校長の姿は、何年分も年を取ってしまっている。
雪子学校長の変化が、どれかに関係しているなら、一番可能性が高いのは東雲くんの治療だ。
鳥居の出現後には、明確に覚えているわけではないけど、雪子学校長に変化はなかったと思う。
東雲くんの腕が飛んだ場面は、僕も意識が彼に向いてしまったので確認していないが、その直前に『来るぞ』と花子さんに声を掛けていたが、何かをするような素振りは見られなかった。
つまり、東雲くんの治療をした代償で、雪子学校長は年を取ったのではと、僕は推測する。
そこまで考えたところで、これから僕はそんな普通ではない世界に踏み込もうとしていることに、唐突に気が付いた。
ゾワリと肌が粟立つ感覚がして、体が小刻みに震え出す。
これまでの常識の通用しない世界へ踏み出すことの恐ろしさが、僕の気持ちを支配した瞬間だった。
「林田先生、大丈夫ですか?」
そう声を掛けてきてくれたのは、花子さんだった。
見上げないといけない場所に顔があったので、僕はようやく自分が座っていたことに気付く。
と、同時に自分が先ほどの地下の部屋ではなく、保健室として紹介された部屋にいることに気が付いた。
どうやってここに来たのかまるで思い出せない僕は、思わず震える声で「僕は……」と口にしながら、自分の手の平を見る。
そんな僕の態度に、花子さんは心配そうに「大丈夫ですか?」と声を掛けてきた。
すぐにお心配を掛けないようにと頷こうとしたタイミングで、花子さんが「ショッキングな光景をご覧になりましたからね」と口にする。
直後、花子さんの言葉を引き金に、目にした地下室での光景が、思考があやふやになる直前に感じた恐ろしさが蘇ってきた。
思わず震えだした肩を、強く掴んで震えを止める。
そんな僕の行動を花子さんは、じっと見詰めていた。
花子さんの目線に、見定められているという印象を強く感じた僕は、何を試されているのかに思考が向かう。
だからこそ、僕が今一番気に懸けなければいけないことに気づけた。
「花子さん、子供達は無事ですか?」
僕の問い掛けに、花子さんは一瞬驚いた顔を見せてから、少し沈んだような表情を浮かべる。
その蕗綱表情の変化に、東雲くんの腕が治った後にも何かがあったのではないかと、呆然としてしまった自分の不甲斐なさを悔やむ感情が吹き出してきた。
そんな僕の肩に、優しく手を置いてくれた花子さんは「すみません。変な誤解を与える表情を見せてしまって……大丈夫ですよ、子供達は」と穏やかな声で教えてくれる。
だが、続く言葉に僕は気を緩めることが出来なかった。
「あくまでも、今回は……です」




