壱之拾伍 取り残されて
雪子学校長の言葉に即断出来なかった僕は、ただ教室で一人佇むことしか出来なかった。
何が起こったのかはわからない。
けれど、確実に何かが起きて、花子さんも、子供達も、雪子学校長もその事態の収拾に動いたのだと推測は出来た。
その出来事の内容はまるで想像もつかないが、チラチラと存在を匂わされていた『放課後』のことなのだろう。
というよりも、それ以外に当てはまるモノが思い付かなかった。
子供達全員に加え、雪子学校長と花子さんまでもが関わる事態なのだから、人手がいるのは間違いないはずなのに、僕はここでの待機を命じられている。
情けない話だが、疎外感で気持ちが沈んできた。
まだ授業は初日で、迎え入れられたが、僕は未だ真を許すまでには至ってないと言うことだろうかと考えると、よりその思いは強くなる。
「命を懸ける覚悟とこれまでを捨てる覚悟?」
僕は雪子学校長の口にしたセリフを思い出して、その場でしゃがみ込んでしまった。
「なんだよそれ……」
「二時間か……」
何もしていないのに、体が凄く重かった。
自分でもはっきりした記憶がないが、僕はいつの間にか教室の前方にある教員用の席に座っている。
子供達を見送ったのは、教室の後方だったので、無意識にここまで来たようだ。
「どうするか」
とりあえずゆっくりと立ち上がると、関節が軋み、普段よりも体の動きが鈍いのを痛感する。
どうにか立ち上がって、大きく息を吐き出した。
それから思いっきり両手で頬を挟むようにして叩く。
バシィッと乾いた音がしてから、じんわりと滲むように頬に痛みが走った。
「子供達は何か大変なことをやっている……今僕はそれどんな事なのかをまるで知らない……なら、変に心配そうな顔を見せるよりも、何事もなかったかのように振る舞おう」
自分に言い聞かせる為にわざと声に出して、自分にその考えを刻み込む。
「……よし」
大分気持ちが落ち着いたのを感じて、僕は子供達が残していった問題集を確認していくことにした。
子供達それぞれの問題集の進み具合を確認し終えた僕に、再び思考する時間が巡ってきた。
「命と、これまでを捨てる……か」
呆然と立ちすくむことしか出来なくなった大きな原因の一つは、間違いなく雪子学校長に求められたその問いの言葉だったと思う。
僕がもう少し考えなしだったなら、何も考えずに覚悟を決めていたかも知れなかった。
だけど、命卯を懸けるなんて尋常じゃないし、これまでを捨てるという言葉が指すモノが何なのか、はっきりしていない。
正直、気易く決断出来る無いようじゃ無いと僕は考えた。
「……ちょっと、待て……よ」
辞典を自分のことに絞っていたせいで、肝心なことに自分が思い至ってないことに僕は気付く。
雪子学校長を追いかける為には、命を懸ける覚悟が必要だと言っていた。
ならば、その先へ進んだ、駆けていった子供達は『命を懸ける覚悟をしているのではないか?』という考えが頭を過る。
ゾクリと背筋が凍るような思いがした時には、僕の呼吸は酷く荒くなっていた。
子供達が同状況を理解して、何をしているかはわからないけれど、それでも覚悟を決めて参加している。
僕が役に立たないことなのかも知れないけど、それを知らずに引き下がることは今の僕には出来なかった。
冷静に考えれば、僕は『教師になる』という夢を叶えている。
ならば、次の夢を決めようと思った。
『子供達に誇れるような、僕の理想とする教師になる』だ。
その昔憧れた、子供達の為にどこまでも頑張る教師、それが僕の目指す教師像であり、なりたい自分に他ならない。
そして、そう考えたなら気持ちを整えるのは簡単だった。
もし、僕が子供達の為に親身になれる教師だったらどうするか、答えは決まっている。
まずは知ること、雪子学校長や子供達が伏せている『放課後』が何かを知って、僕が関われるなら積極的に関わっていくつもりだ。
子供達が命懸けで何かをしているかもしれないのに、僕がその言葉だけで日和るわけにはいかない。
もちろん、子供には安全で、大人には危険とか言う類いのモノかも知れないが、それならそれで選択肢は増えるはずだ。
どちらにせよ、何も知らなければ、何も出来ない。
新たな僕自身の夢の為に、憧れの教師になる為に、雪子学校長に「命を懸ける覚悟も、これまでを捨てる覚悟もした」と告げることを僕は決めた。
そして、その思いはこれからさらに二時間後、雪子学校長と再び顔を合わせた時に強まることになる。
なぜなら僕は『放課後』を終えた子供達の姿を見てしまうことになったからだ。




