陸之捌 対峙
「正直言えば、君が来る可能性は五分くらいだと思っていました」
椅子に深く座る林田先生は、そう言って私を見た。
「しかし、なるほど、分身できたんですね」
座ったまま動くこと無く、林田先生は狐姿の私を目で追っている。
林田先生が全て承知しているのだと察した私は、狐から人間の姿に分身を変化させた。
「ようこそ、卯木さん……しかし、もうすぐ深夜なのに、小学生の女の子が出歩くのは感心しませんよ」
変化を追えた私に向かって、林田先生はそう言って口を三日月の形にして笑む。
言い合いをしたいわけでも、それに意味を見出すことも出来なかったので、私は単刀直入に尋ねることにした。
「林田先生……あなたは誰ですか?」
私の問いに対して、林田先生は表情を変えること無く「誰って、林田京一ですよ」とシレッと言い放つ。
「それは、私です。そして、あなたは私じゃ無い!」
きっぱりと断言した私に対して、林田先生は「何を言っているんです? あなたは卯木凛花さんでしょう?」と返してきた。
その返答を聞くだけでこの問答が無意味だと察した私は切り口を切り替える。
「あなたの目的は何なんですか?」
私の切り返しが想定外だったのか、林田先生は少し目を瞬かせてから「なるほど、そうきましたか」と頷いた。
それから林田先生は少し考える素振りを見せてから「簡潔に言うと、あなたたちの担任を務めることですね」と言う。
那美さんの目や耳があればと思いながらも、それが出来ない以上、観察を重ねることで見抜くしか無いと、ジッと続く言葉を待った。
お互いに口を開かず視線を交わし合ってしばらく、ようやく林田先生が口を開いた。
「もう夜も遅いですし、話が無いのなら、休みませんか?」
困った様子でそう言おう林田先生に、私は睨み付けながら切り返す。
「何の説明も無く、自分を乗っ取られようとしているのに引き下がれませんよ」
私の言葉に、林田先生は低く響く声で「乗っ取られる? 何を言っているんですか?」と尋ねてきた。
「だから、私の名前をかたって……」
そう口にした私の言葉を遮るように林田先生はこちらに右の手の平を向けてくる。
「私の名前……ですか? 私が卯木さんを名乗っている?」
「え?」
林田先生の言葉に、私は一瞬混乱をした。
何を言っているんだという気持ちが強く出て、そこに怒りが上乗せされる。
「だって、林田先生が卯木凛花って名乗って……」
そう口走ってから、自分がおかしな事を言っているのに気が付いた。
「いや、林田先生は林田京一と名乗って……私は、卯木凛花で……え? 名前をかたって……?」
何かが違うとわかっているのに、確認するために声に出した言葉には矛盾が無い。
「卯木さん、落ち着いて聞いてください。貴女は『神格姿』を手にして混乱しているんです。落ち着いて、自分が誰か思いだしてください」
柔らかい林田先生の声が響く度に、頭の中に渦巻いていた疑問が解消されていく感覚がした。
「わたし……は……」
「貴女は?」
「凛花……卯木、凛花……」
とてもしっくりくる。
私の名前だし、私のことなんだから当然だ。
何でほんの少し前まで、林田先生に疑問を抱いていたんだっけ……良く思い出せない。
「卯木さん、大丈夫ですか?」
心配そうな表情で林田先生は、私とある一定の距離を保ったまま声を掛け続けてくれていた。
きっと林田先生は男の人で、私が女子生徒だから、触れてこないのだと思う。
分身だから構わない気がするけど、林田先生は生真面目なんだなと思うと笑ってしまいそうになった。
「卯木さん、僕は心配しているのですが……」
私が笑い出しそうになったのを目ざとく見抜いたらしい林田先生が困り顔を浮かべる。
「すみません、林田先生」
先生の言葉に、申し訳ない気持ちで私は頭を下げた。
すると、林田先生もそれに答えるように頷きで帰してくれる。
なんだかホッとしたような気分になったところで、林田先生は「自分のことを思い出せましたか?」と尋ねてきた。
正直、変な質問だなと思いながらも、私は「はい」と頷きながら返事をする。
「私は卯木凛花……凛花って名前は……お父さんとお母さんが……」
そこまで口にした私に、母が口にしていた名前の由来が脳裏に蘇った。
『京都の一条戻り橋で出会ったことが由来で、京都の京と一条戻り橋の一を取って京一にしたのよ。お父さんとお母さんにとって、一番大切な場所と大切なモノを同じな前ニしたかったのよ』
それを思い出すと同時に、私は「……リンダ」と口にする。
「ん?」
林田先生は、私が発したあだ名に疑問の声を上げた。
「あだ名です……林田の名前を音読みして、リンダ……」
完全に卯木凛花に塗り替えられそうになっていた意識が、そのあだ名を思い出したことで、私の中で息を吹き返す。
リンダを『リン、だ』と聞き違えられたことが、私の名前が『凛花』になる切っ掛けだった。
花子さんが、舞花さん、結花さん、そして自分の花子に因んで『花』の字を足したのが由来である。
母の惚気と屈辱のあだ名で自分を取り戻したのだと思うとなんとも微妙な気分になるのだが、経過はともかく、私は自分を取り戻したことには変わりなかった。
「卯木くん……」
私に変化が出たことに気付いたのであろう林田先生は笑みを消す。
改めて、卯木凛花の姿となった林田京一として、私は目の前の林田京一の姿の男に対峙した。
 




