伍之参拾肆 笑い声と共に
結花さんの言うとおり、元々人の名前を覚えるのが苦手という可能性はあるのだが、私は『時を戻したこと』が密接に関わっているようにしか思えなかった。
実際、那美さんは記憶の混濁というか、自分の学年を正確に把握していなかった事実がある。
身体の時間を戻す以上、それが何らかの影響を与えてると考える方が、私には自然だった。
あえて那美さんや雪子学校長に確認しようとまでは思わないが、それでも、私の使う能力や術がどんな影響を及ぼすのかをしっかりと考えたり、実証した上でなければ使えないなと思わせるだけの薄ら寒さを感じて、私は僅かに身体を震わせる。
そんな思考を私が巡らせている間、同じように何事か考えていた舞花さんが、結論を出したらしく「よし!」と大きく頷いた。
それから私の方に視線を向けて、舞花さんは「キャラクターの名前とか、簡単な説明とか、お顔と一緒にまとめてあったら、なっちゃんも雪ちゃんも覚えやすくなるよね?」と聞いてきたので、私は「そう思います」と頷く。
すると舞花さんはくるりと木の椅子を手に取ったばかりの結花さんに向けて「お姉ちゃん、パソコン室借りよう!」と声を張った。
「……いいけど、明日ね」
やる気満々の舞花さんをサラリとかわした結花さんは、そのまま、手に取った木製の椅子をカランの前にセットして腰を下ろし、体を洗う準備を始めてしまう。
完全に出遅れた舞花さんは、慌てて同じように浴室の隅から持ってきた椅子を、結花さんのすぐ隣のカランの前にセットして座りながら「や、約束だよ!?」と念を押した。
そんな舞花さんに対して、結花さんは「わかったから……あと、アイデアをくれた人にお礼」と浴槽に浸かったままの私と那美さんに視線を向ける。
すると、素直にその言葉に従った舞花さんが、折角座った木の椅子から立ち上がって「リンちゃん、なっちゃん、ありがとう」と頭を深く下げた。
「別に、お礼を言われることじゃないし、私たちのために作業頑張ってくれるのは舞花さんでしょう?」
私がそう返すと、舞花さんは「そうかもしれないけど、明日からもお姉ちゃん手伝ってくれそうだし」と心底嬉しそうに笑う。
やっぱり、姉である結花さんとの作業は楽しんだろうなと思うとともに、ふと、なかなか甘えにくいんだろうかとも思った。
だから、身体も火照ってきたし、なんだかんだと繋いだままの那美さんの手の扱いにも困っていたし、思いつきで「舞花さん、シャンプーしてあげようか?」と尋ねる。
「え!? いいの?」
「嫌じゃなければ」
私の返しにくるりと回転しながら勢いよく、先ほどまで座っていた木の椅子に舞花さんは腰を下ろした。
「嫌じゃないので、お願いしま~~~す!」
「はい、お願いされました」
舞花さんに返事を返してから、那美さんの耳に小さな声で「いってくるね」と告げてから、繋いでいた手を解いて立ち上がる。
僅かに、残念そうと言うよりは悲しそうに見えた那美さんの顔に罪悪感を覚えた。
「お客さま、かゆい所はございませんか?」
泡で何倍にもボリュームを増した舞花さんの髪を洗いながら、そう尋ねてみると、舞花さんは唸りだした。
どうしたんだろうと思っていると、舞花さんは「右のもう少し上の方?」と口にしたので、爪を立てないように気をつけながら、髪を洗いつつ地肌を刺激する。
満足頂けたようで、舞花さんから「あ、気持ちいい」という声が漏れてきた。
シャンプーを洗い流したら、花子さんに教わったとおりの順番で、トリートメントをしてから、乾いたタオルで軽く髪の水気を取った。
舞花さんは肩に掛かるぐらいの髪なので、浴槽に髪が浸かることは少ないだろうけど、一応タオルで、髪を巻き込みながら頭の上で私のように結い上げる。
「わぁ! リンちゃん、ありがとう!」
舞花さんの確認をとらずにしてしまったことに、お礼を言われてから気が付いた。
「あー、勝手に結んでしまって……」
私がそこまで言うと、舞花さんは「ん?」と首を傾げる。
「いや、勝手にやって申し訳なかったかなー……と」
改めて言葉をたしたが、舞花さんはまたも「ん?」と首を傾げた。
「なんでリンちゃんが謝ってるのかわからない」
ストレ-トにそう言われてしまったので、私は「確認せずにやってしまったから、そこは良くないなと思って」と理由を明確にする。
「……んー、でも舞花はやって貰って嬉しかったから……あ、そうだ、じゃあ、相手が嫌だって言わなかったら、謝るのナシにしよう。だって、嫌じゃ無いって、つまり嬉しいって事だもんね!」
笑顔と共に舞花さんが口にした言葉に、思わず笑みがこぼれてしまった。
「そう……だね」
私は一度頷いてから、舞花さんの考え方を想像しながら「嬉しいと思ったことを謝られると、嬉しくなくなるね」と付け足す。
「あはは、そこまでじゃないけどね! でも、仲良しなら、嫌じゃ無いことならどんどんやってオッケーだよ!」
舞花さんの言葉に重なるように『それが舞花たちのやり方だよ』という声が聞こえた気がして、那美さんの能力ってこんな感じだろうかと想像して可笑しくなってしまった。
そんな私に、後ろから声が掛かる。
「リンちゃん!」
「何、結花さん?」
「髪洗って貰うの、私、嫌じゃ無いわよ」
結花さんの言葉に私は「わかりました、じゃあ、次は結花さんの髪を洗いますね」と応える。
「お願いね-」
澄まし顔でカランに身体の正面を向けた結花さんの後ろに立つと、浴槽の方から声が掛かった。
「もちろん、私も予約するねぇ、リンちゃん?」
那美さんのオーダーに、結花さんの髪にシャンプーを垂らしながら「はーい、那美さんの予約承りました」と返す。
すると、那美さんが「ふふふ」と笑い出し、いつの間にかお風呂場は笑い一色で包まれた。
 




