伍之弐拾玖 秘めたモノ
「……リンちゃんには、正直困ってしまう……なぁ」
それは、口調も話し方も普段の那美さんと違わないのに、別人の声のように不安そうに響いて聞こえた。
「困る……ですか?」
何が困るのか心当たりがないので、私としても困ってしまう。
改善しようにも、問題点が明確で無いと対応のしようが無いのだ。
「ふふふ」
「え、また笑ってますか!?」
那美さんの声に反応してそう尋ねれば「今、困ってるでしょう?」と返される。
「そりゃあ……まあ……」
そう返すと、那美さんは「やっぱり!」と声を弾ませて、ギュウッと私を抱く腕に力を込めた。
「え!? 那美さん?」
嬉しくなったから、抱き付きを強くしたのか、他に何か理由があるのか、わからないのでどうしたら良いか混乱してしまう。
「今度は困惑して、混乱して……どうしよってオロオロしちゃってる……」
「そ、そうですけど……」
那美さんは何を言っているんだろうという思いが強くなってきた。
完全に那美さんのペースというのもあるので、気持ちが落ち着かない。
すると、那美さんは「私ね、目を閉じているのぉ」と静かな、でも弾んで聞こえる声で囁いた。
「えーと……目を閉じてる?」
「ふふふ、困ってる困ってる」
笑いながら『困っている』なんて連呼されたら不快になりそうなのに、相手が那美さんだからか、仕方ないなという気持ちが強くて、私も釣られて笑いそうになっている。
なるべく声を乱さないように気をつけながら「困っているので、離してくれませんか?」と訴えてみた。
けど、那美さんからは「だぁめ」と間を置くこと無く否定の言葉が飛んでくる。
「なん……」
『で』を言う前に那美さんが「相手の色を見ないで話す練習だから」と口にした。
それはどういう意味だろうと、思考を巡らせる間に那美さんは言葉を付け足していく。
「こうして密着してたら、リンちゃんの色を見ないでお話し出来るでしょう?」
「それはそうかも知れないですけど……」
「私ね……この人の気持ちがわかる力に縛られてるの」
那美さんの声が重く響いた。
そんなことは無いとは間違っても言えない。
「嫌だな、使いたくないなって思っているのに、皆との距離を間違いたくなくて、結局頼ってるの」
那美さんの抱えるジレンマは、とても残酷だと思った。
何の能力も無い私でさえ、友達が口にした言葉と違う本音を抱いていることを知ってショックを受けたことがある。
悪意ある言葉が本音ならばストレートに、建前の裏に隠していても那美さんはそれをはっきりと耳にしてしまうのだ。
聞き間違いだと否定しようにも、感情の色でそれが裏付けられてしまう。
だから、そんな能力要らないと考えても自然だと思った。
けど、一方でその能力で那美さんは相手との距離、皆の気持ちを汲んで行動の指針にしてしまう。
那美さんの『縛られている』という言い回しに、とてつもない重さを感じて、私は掛ける言葉を見失ってしまった。
少しお互いに沈黙していた。
どのくらいか、体感では曖昧で、時計を見ていないのではっきりとしないが、その沈黙は唐突に終わりを迎える。
那美さんが口を開いた。
「リンちゃんってわかりやすいよねぇ」
「えっ」
「あ、今嫌だなって思ったでしょ」
「……お、おもいましたけど……」
那美さんそこで一拍おいてから「だから……縛られてないって思えるの……いま、能力を使わないでリンちゃんの気持ちが読み取れているって」と本当に消え入りそうな程小さな声で囁く。
その声を聞いていると、仕方ないかという気持ちが強くなって、何も言えなくなってしまった。
単純だと言われている気がするので、そこは気持ちがざらつく部分ではあるけど、でも、その反面、那美さんは多少なりジレンマから解放されている。
そう思うと役に立てているのだし良いかという気持ちになった。
が、そんな気持ちに浸る間もなく、那美さんが爆弾を落としてくる。
「リンちゃんは、本当に大人なのか怪しくなるくらい純粋で素直で、自分が嫌になるわぁ」
「えっ!?」
思わず自分の耳を疑った。
でも、確かに、那美さんは『大人なのか怪しくなる』と口にしたと思う。
その表情を確認したくて、私は今一度那美さんから体を離そうと試みるが、それを彼女の言葉が止めた。
「私もね、本当は子供じゃ無いの」
「え……」
感じていた、子供らしくないと……確かに感じていたけど、それは大人びているという意味で思っていたことで、子供じゃ無いとまでは思っていない。
「あ、驚いてる驚いてる」
クスクスとい笑いながら言う那美さんに、私は何を言って良いのかわからず、黙り込んでしまった。
それから少しの間を挟んで那美さんは「私は自分のこの力に縛られているの」と先ほどの言葉を繰り返す。
「私は、嫌だと、忌避しながら、それでも手放せない……私の親……いえ、血縁者も手放させたくない……」
重い言葉だと思った。
特に、親といった後に血縁者と言い換えたことに業を感じる。
それが、最早親と思いたくないのか、それとも親とは別に糸を引く人間がいるのか、そこまでは判断がつかなかったが、那美さんの能力を使いたいと思っている人間がいるのは察せられた。
「だから、雪子先生の力で、大人になってしまったら、子供に巻き戻して貰っているの」




