伍之陸 現場検証
「スマホの練習は後回しだ。先に、私たちは仮の入り口に向かう。そのアプリの機能なら、連絡も容易だろう」
「そうですね。分身ちゃん以外での動作テストもしたいですが、仮の入り口が『神世界』との接続を維持できなくなる可能性もありますからね」
雪子学校長と花子さんの会話を聞いて、私は「それじゃあ、先に移動ですね」と確認すると二人は同時に頷いた。
「目的地は、あのモップに書かれてたクラスの教室ですか?」
私の質問に、補足付きで雪子学校長が答えてくれる。
「私たちが向かうのは、四年教室だ。教室自体は長年使っていないが、この学校が普通の小中学校として、この街の生徒を受け入れていた頃に文字通り四年生の教室として使われてた教室だ」
私が「なるほど」と頷くと、雪子学校長は特訓場の入り口を抜けて移動を開始した。
普段授業で使っている教室棟の二階には、他の校舎とを繋ぐ渡り廊下からは一番遠い建物の端にある階段以外の通路は無かった。
雪子学校長の後について辿り着いた二階は、普段使っている教室や更衣室のある一階とは空気が違っているように思う。
流石に、床に埃が積もっているということは無かったが、どこか埃っぽく感じられた。
更に床が木造なので、一歩踏みしめる度にギィと軋む。
思わず足下に視線を向けて足を止めてしまっていた私に、雪子学校長は「大丈夫だ、今の君の体重では床板を踏み抜くことは無いよ」とだけ告げて、自分はさっさと先へ進んでいった。
そんな後ろ姿を少し眺めたところで、置いてかれてしまうと慌てた私は、急いでその背を追い掛ける。
「そんなに慌てなくても、流石においては行かないよ」
足を止めてこちらを振り返った雪子学校長は「あー」と何かを思い付いたらしく、私の目を見た。
「そういえば……狐は夜目が利くんじゃ無かったかね?」
雪子学校長に唐突にそう尋ねられた私は、何か答えを返さなきゃとは思ったものの、考えがまとまらず固まってしまう。
そんな私に代わって答えを口にしたのは、私だった。
「狐の瞳孔は人よりも光の感受性が高く、縦長ですけど、凛花さんの場合は人間の姿はもちろん、狐少女の姿でも丸いですね」
スラスラと私の口から出た言葉に、私は花子さんが書き込んだテキストを私の体が読み上げたのだと気付く。
そんな私を放置して、私の体……を操る花子さんと雪子学校長の会話は続いた。
「狐の方は瞳孔が縦長でしたから、もしかしたら夜目が利くかも知れませんね」
「フム……試してみたいが、今は『神世界』との道を優先しよう」
「了解です」
自分の体が話をしているのに、私自身はそれを他人事のように受け止めている。
頭が混乱しそうな状況だったが、雪子学校長が「卯木くん、教室に移動だ」と声を掛けてくれたことで、我に返ることが出来た。
雪子学校長の後について辿り着いた教室は、壁側に机や椅子が寄せられていて、中心部が広く開けられていた。
窓には暗幕が掛けられていて、外の様子を覗うことは出来ない。
そんな教室の開けた場所では無く、机と椅子が寄せられたのとは反対側の壁に掛けられた黒板とその下の壁に二本ずつ、合計4本の棒が突き出していた。
恐らく反対側、こちらから見えない逆の先端にはあの球体が取り付けられているんだろう。
つまり、黒板と壁から突き出た四本の棒によって形作られた目の前の四角形が『神世界』との出入り口ということだ。
私がそんなことを思いながら棒の作る四角形を眺めていると、ギィと軋むような音が響く。
音の出所を探して視線を巡らせると、いつの間にか教室の隅にあった縦に長い直方体に付けられた扉を開ける雪子学校長の姿を見た。
雪子学校長は扉の中に手を突っ込んで『神世界』で目にしていたのと同じ掃除ブラシを取り出す。
そのまま、掃除ブラシを手に黒板の前に立つと、雪子学校長は「もう少し教室の中心に移動してくれたまえ」と私に指示を出した。
雪子学校長の指示に従って、黒板から遠ざかるように、教室の真ん中へ移動する。
その場所で良いと判断したのであろう雪子学校長は「さて」と言いつつ、手にした掃除ブラシをクルクルと回転させ始めた。
「見ていてくれたまえ」
雪子学校長はそう言って回転を止めると、ブラシがついているとは反対の先端をコンと黒板に当てた。
コン、コン、コンと掃除ブラシの柄がぶつかる度に、黒板は軽い音を立てる。
「君たちが帰還する直前はここまで開いていた」
雪子学校長はこれまでと同様に黒板と下の壁とを結ぶ縦の線に掃除ブラシの柄を当てた。
「だが」
言いながら雪子学校長が四つの棒が作る四角の中へと、黒板に掃除ブラシの柄をぶつけながらスライドさせ始める。
幾度も、コンという黒板と柄は接触を示す音を立て続けていたが、不意に同じリズムで重ねられていた音が途絶えた。
その音の変化を切っ掛けにして、私が目向けると、掃除ブラシの柄は見事に黒板の中に沈み込んで見える。
私はそれだけで、この四角が『神世界」と繋がっているのだと、感動したが、雪子学校長には良くない結果だったようだ。
「花子、卯木くん、これを見てくれ」
雪子学校長は親指と人差し指を大きく開いた後で、四つの棒が形作る四角の縦ラインと掃除ブラシが沈み込むギリギリの場所に近づけて、棒の作る四角形のラインからの距離を示す。
「既にこれだけ縮小してしまっている……我々の今の技術では、ずっと開けておくことは不可能だな」
残念そうな声で呟いた雪子学校長へ、私の口をテキストによる指示で動かして花子さんはフォローした。
「それでも、これまでは出来なかったことが出来ているんです。根気よくやりましょう」
「……もちろんだ」




