謎解き愛好倶楽部へようこそ
謎解き愛好倶楽部へようこそ
謎は謎のままがいい。その方が面白いし不思議なことは不思議なままにしていた方が世の中はうまく回るというものである。謎というものは解いてしまえば案外たわいもないもので、謎のままにしていた方がよほど人生の深みを味わえる、というのが多くのミステリー小説を読んだ僕の見解である。そもそも日常の謎などそう簡単に遭遇するものではない。
と言うと友人の笹原はいつも呆れ顔になる。
「お前、それでミステリー読んで面白いか?」
「面白い」
僕は胸を張って答えた。日常の謎は小説の中にあってこそ輝かしい。米澤穂信しかり北村薫しかり。古今東西、小説の中では賞賛に値する名探偵たちも、現実にいたら面倒くさいだけである。
「そもそも現実に日常の謎があっても僕は気づかないからね。十中八九スルーすること請け合いだ」
「胸を張って言うことか」
笹原は内心僕にミステリー小説を貸したことを後悔しているようだがそれは僕の知ったことではない。
向かい合ってコーヒーを啜る。チェーン店ではない、少し高級な香りのする喫茶店だ。珍しく笹原が奢ると言う。どういう風の吹きまわしなんだか。これも日常の謎といえば謎かもしれないが、推理するのは柄ではないので何も考えずおいしいコーヒーをごちそうになる。
笹原はコーヒーに手を付けていない。冷めたらおいしくないのに。
「お前が探偵向きでないのはよく分かってる。人選ミスなのもよく知ってる。だがこうするしかないんだ」
どこか思いつめた表情で、笹原は一枚の紙きれを突き付けた。
「黙ってこれにサインしてくれ」
婚姻届けかな。
笹原の鼻先でひらひらとはためくその紙には、およそロマンスとはかけ離れた文字が書かれていた。
謎解き愛好倶楽部。
「廃部の危機なんだ。あと一人どうしても必要なんだ。萩野、頼む」
しばしの沈黙ののち、僕はおもむろに口を開いた。
「僕は自分に嘘はつきたくないんだ」
「嘘も方便と言うだろ」
意味が違う気がするが笹原は意に介さない。
「どこにも入ってないのはお前だけなんだ。名義貸しでいい」
「一気に犯罪臭くなったな」
「幽霊でいいから」
僕、殺されたのかな。
「創部四十年を超える謎解き愛好倶楽部を、俺の代で潰すわけにはいかない立場を察してくれ」
「部長だもんなあ」
入学以来帰宅部一択の僕には縁遠い世界だ。それだけでも笹原は尊敬に値する。しかしそれとこれとは別の話だ。
「謎は好きだけど、謎を解くのは好きじゃない。謎は謎のまま楽しむのが僕の流儀で」
「お前面倒くさいな。知ってたけど」
なら聞くなよ。
僕は残りのコーヒーを飲み干した。ううむ、香り高く味わい深い。本格派だ。この喫茶店を教えてくれたことだけは感謝しよう。
「話がそれだけならもう行くよ。今日は塾だから」
すると笹原はおもむろにコーヒーカップを持ち上げた。
「萩野、謎解きカフェって知ってるか?」
「は?」
「ここのマスターはうちの高校のOBで、」
笹原の言葉を受けて、カウンターの向こうの渋いおじさんが軽く会釈をした。
何だろう。嫌な予感がする。
「何を隠そう謎解き愛好倶楽部創設メンバーの一人だ」
嫌な展開だ。まさか。
「希望者には、謎を解かないと出口が分からない仕組みになっている」
「希望してないぞ」
「俺がオーダーしておいた」
笹原は入部届をテーブルに置いた。
「嘘から出たまこと、と言うじゃないか。入ってみたら萩野も謎解きに目覚めるかもしれんぞ」
この時サインしてしまったことを僕はずっと後悔している。嘘から出たまこと、タダより高い物はない、あと何だっけ。
まさか自分が、謎解きにこんなに夢中になってしまうとは。
「いらっしゃい、笹原君、萩野君」
倶楽部OBの渋いマスターが僕と笹原を見て微笑みかける。
笹原以外全員幽霊部員、創部四十余年の謎解き愛好倶楽部に部室はなく、もっぱらここを溜まり場にしているのだ。笹原は確信犯だったわけである。
「今日はどんな謎がいいかい」
淹れたてのコーヒーの豊潤な香りが漂ってくる。
人生は予想外の連続である。
とにかく嘘は本当になってしまったのだった。