Like Baumkuchen
……彼女が、精一杯の勇気を振り絞って、告白してくれた瞬間。
僕が何をしていたかを問われたら、これは簡潔に答えられる。
簡潔に────腰を抜かしていた。
我ながら情けないが、本当に、そのくらいの衝撃がある出来事だったのだ。
仮に今この瞬間、目の前に隕石が落ちてきたとしても、この告白よりは驚かないだろう。
間違いなく、今までの人生の中で、一番の衝撃を感じていた自信がある。
それこそ、百合姉さんの結婚を知った時よりも、強いインパクトがあった。
──神代が……?
何か言葉を返さなければならない、と思いながらも、僕は何も言えずに口をパクパクと開閉させる。
気分としては、酸欠の金魚だ。
情報量の多さに、身動きが出来ない。
ここに来る瞬間まで、予想だにしていない話だったのだから、無理も無いが。
……いや勿論、話を聞く中で、多少は察していた。
神代自身「恋心」と明言していたし、それが僕に対する物でなければ、話に筋が通らない。
というか、彼女の話を聞いているうちにそうとしか思えなくなって、正直話の最後の方は耳に入らなかったくらいだ。
だけど、それでも。
神代のような美少女が、頬を染めて僕に告白しているという今の状況は、そんな中途半端な理解など吹っ飛ばすくらいの破壊力があった。
比喩でもなんでもなく、頭が真っ白になってしまう。
「……だめ?」
何も言わない僕に痺れを切らしたのか、神代は頼み込むようにして下げていた頭を元の位置に戻し、さらに僕の顔を覗き込む。
余程緊張しているのか、彼女の頬は強張り、瞳には薄く涙が湛えられていた。
涙すらもこの人は綺麗だな、などと、場違いな感想が頭をよぎる。
……しかし、何にせよ、これは不味い。
彼女にこんな顔をされると、自分が物凄く悪いことをしているような気分になる。
だからなのか、僕は反射的に手を振った。
「い、いや、そんな……ダメとか、そういう意味じゃなくて」
「じゃあ、良いの?」
期待するようにして、彼女が頬を僅かに上げた。
頑張ってぬか喜びしないように抑えているのだろうけど、それでも隠し切れない歓喜が見える。
「いや、その、そうとも言ってなくて……」
全く決断できずにそう言ってみると、途端に彼女の顔がしゅん、と落ち込んだ。
それから、煮え切らない僕の態度に業を煮やしたのか、微かに唇を尖らせる。
拗ねているらしい。
──何か、この短時間で今まで見たことの無いような表情を連続して見ているような……。
唖然としながらも、僕はそんなことを頭の片隅で考えた。
しかし、そんな思考も許さず、神代が唇を尖らせたまま続きを口にした。
「桜井君にとって突然の話なのは分かっているから、今ここで答えを出す必要は無いけど……。それでも、大体の印象、教えてもらいたいな……」
「印象?」
「そう。今の時点で、アリかナシかぐらいは」
そう言って、また神代は緊張した顔をする。
その表情は「どんな答えだろうが受け止める」と明白に語っていた。
どうやら、余程の覚悟を背負ってこの場に来たらしい。
彼女に相対するだけで、その覚悟が実体化して見えるようだった。
しかし、その覚悟を決めた彼女の言うことには、少し疑問も湧く。
「……でもそれ、アリはともかく、ナシって言ったらどうするんだ?僕がその、君のことがどうしたって無理、みたいなことを言ったら」
答える前に、その疑問を聞いてみた。
すると、間髪入れずに返答がなされる。
「その時は……潔く、諦めるわ。恋愛一つにここまで執着する私が、気持ち悪いとか、怖いとか思うのなら、それはもう、仕方がないもの」
そう言って、神代は軽く、寂しそうに笑う。
それを見た瞬間、何というか、こう────見ていられなくなった。
ちゃんと、彼女を安心させてあげたい、と思う。
そして、僕なりの答えを、真剣に返さないと、と決意する。
ここまで真剣に想いを伝えられた以上、それが僕の義務だろう。
だから僕は、力が抜けてしまった腰に活を入れて。
ゆっくりと、言葉を紡いでいくことにした。
僕が今まで、心の中で考えてきたこと。
そして今、彼女の告白を聞いて考えたこと。
その全てを束ね、纏め、返答へと変えていく。
僕の正直な気持ちと────その中で思いついたある提案を、伝えたくて。
「まず……僕は今まで、神代のことを気持ち悪いと思ったことなんて、一回も無いよ。だから、少なくともそこは心配しなくてもいい」
「……本当?」
「本当だよ。もしそんな酷いことを思っていたのなら、そもそもこの場に来ていない」
自然と、諭すような言い方をして、神代に語っていく。
同時に、それを言いながら、僕は自分の内心を確認した。
けっして、誤魔化しなんかじゃない。
僕の心の中をどう探しても、神代に対する嫌悪感なんて物は存在しない。
見つかる物と言えば、感謝の念と、純粋な憧れと、好感を抱いた記憶だけだ。
だから、多少驚いたり、軽く引いたりした記憶はあっても、僕が神代を嫌う、なんてことは有り得ない。
ここまで彼女の過去を知ったのなら、猶更だ。
ただ、同時に────。
「だけど、その、じゃあ付き合おうか、となると……それも、ちょっと違うと思う」
「……どうして?」
「だって、ええと……」
あまり綺麗に言語化できず、少しだけ言葉に詰まる。
しかし、語調を気にしている場合でも無い。
結局、ストレートに伝えることにした。
「神代は僕のことを昔から見ていたのかもしれないけど……僕は神代のことを、まだ十分に知らないから」
そう告げると、神代は少し、意外そうな顔をした。
自分と僕の間の認識の差を、あまり気に留めていなかったのか。
キョトン、としたような、あどけない顔をする。
──この表情も、初めて見るものだな……。
彼女の動きを見て、そう思う。
同時に、ああ、ここなのだろうな、と思った。
僕が神代に対して、「まだ十分に知らない」と思うのは。
彼女と知り合って、一ヶ月強。
それなりに慣れてきてもよさそうな時期だというのに────未だに僕は、彼女について知らないことが多すぎる。
それこそ、この場で「初めて」色とりどりの感情を見たように。
まだまだ、表層の方しか見ていないのだ。
仕方が無いと言えば、仕方が無いことではある。
彼女は今まで、「四つの謎」を提示していて、素性を隠していた。
加えて僕の方も、彼女を一人の女の子として見るよりも先に、「第五の謎」の真相を気にしていた────要するに、素性不明の謎の少女のように見ていたところもあったのだから。
今までは、それでよかったのだろう。
僕は探偵役で、神代は犯人役だったのだから。
だけど、今は。
謎解きならともかく、恋愛絡みになるのであれば、それでは駄目だろう、と思う。
僕は、もっと、神代のことを知りたい。
神代が、僕のことをただ過去の似ている相手としてではなく、桜井永嗣という個人として見るように変化したのと、同じように。
僕もまた、神代真琴という一人の少女を、もっと見てみたい。
そうじゃないと、アリもナシも、答えが出ない。
答えを出すだけの材料すら、十分には揃っていないのだから。
そう言うことを、僕はつっかえつっかえ、伝えてみた。
「例えば……誕生日がいつなのか、どんな食べ物が好きなのか、趣味は何なのか、得意な教科は何なのか。そんな、基本的なことすら、僕は知らない。……出来れば僕は、そう言うのをちゃんと知ってから、神代の告白に答えたいと思うんだ」
「……言われてみれば、ちゃんとした自己紹介すらしたことが無かったわね、私たち」
ある種、呆れるようにして、神代が頷く。
言われてみれば、それもそうだった。
本当に、一方的な認識のまま、互いにここまで来たのだ。
知っていることと言えば、相手の初恋の事情のみ。
それ以外の個人情報は、全くの未知。
僕が言うのもなんだけど、普通、逆だろう。
世の中の普通の男女の場合は、相手の基本的な情報に詳しくても、かつてどんな人が好きだったのか──元カレとか元カノとかだ──は全く知らない、という例が多いだろうに。
僕たちはどうも、世間の逆を突っ走ってきたらしい。
その、逆走してきた日々のツケというか、代償が今なのだろう。
そう思いながら、僕はこの提案のまとめに入る。
ある意味、告白の返事としてはテンプレートな提言を。
「だから、さ。告白の返事としてはよくある奴だけど……『まずは、お友達から始めましょう』っていうアレを、したいんだ。そうして、仲良くなって、それから決めたい。我が儘かもしれないけど」
「お友達、か……」
「そうだ。ほら、僕と神代は、今まで、ちゃんと友達にもなっていなかった気がするから」
というか、「第一の謎」からこっち、友達でも恋人でも無い、妙に浮いた関係を持続させてきてしまった気がする。
他人と呼ぶには近すぎて、恋人というには遠すぎた。
故に、そこを綺麗に整えておきたかったのだ。
彼女と、ちゃんと向き合うために────彼女のことを、もっと好きになるために。
そう思いながら、僕はこの話を締めた。
「だからそれで、互いによく知るところから、始めるっていうのは、駄目かな……?」
言いながらも、ちょっと、言葉尻が小さくなる。
僕としては素直な気持ちを語ってみたのだが、いくら何でも弱腰だと思われないか、心配になったのだ。
場合によっては、神代に怒られるかもしれない。
しかし────意外にも、或いは予想出来たように。
神代は、納得したように頷いた。
「……そうね。言われてみれば、その方が良いかもしれない。私も、桜井君に私のことをもっと知ってもらいたいし」
おお、と神代の決断力に、かなり驚く。
先程から、緊張を強いるような場面を連続させているだろうに、彼女の律儀な姿勢はブレるところを知らない。
提案した僕の方が、逆に心配になる程だ。
「自分で言って置いて何だけど……本当に良いのか?多分、世間的にはこういうのを『キープ』って言うんだと思うけど。君にも、その、片想いを強制するような形になっちゃうし」
「良いのよ、その程度。私、片想いには慣れているから。第一……」
────今までの長さに比べたら、こんなのは誤差みたいなもの、でしょう?
そう言って、神代は朗らかに笑った。
それは何というか、見ているだけで彼女のことを好きになってしまいそうな。
惚れ惚れするほど、格好よくも綺麗な笑みだった────。
「じゃあ、早速始めましょうか、自己紹介!」
「え、もうやるの?」
「勿論。『ナシ』じゃないのであれば、早いところ、桜井君に私のことを好きになってもらいたいもの……あ、すいません、ホットミルクティー追加で」
そう言いながら、彼女は場所代のつもりか、近くに居た店員に追加注文をして、さらにむん、と気合を入れていた。
どうやら、僕は彼女のやる気に火を点けたらしい。
「ええと、それなら、私からする?それとも桜井君からする?」
「あ、じゃあそっちから……」
「分かったわ。だったら、名前と、誕生日と……」
知ってもらいたいネタが多すぎたのか、話をまとめるように、うんうんと彼女は考え始めた。
伝えたいことは、本当にたくさんあるらしい。
──何せ、一ヶ月以上遅れた自己紹介だしな……そうなるか。
軽く苦笑して、僕は彼女の言葉を待つ。
そうやって、神代のことを見つめながら────ふと。
かつて、自分が神代にした告白のことを、僕は思い出した。
よく知りもしないで、やけっぱちでしてしまった、今から思えば空虚な告白。
神代からすればもっと前から始まっていたらしいけど、僕の主観としては、この関係の始まりとなっている出来事。
あれから、随分と遠いところにまで来てしまった。
あれを告げた時には、まさか一ヶ月後に、自分がその少女からこうも心の籠った告白をされるとは思わなかった。
勿論、その後にちゃんとした自己紹介をすることになる、なんてことも、想像できていなかった。
そう考えてみると、今のこの状況は、不謹慎ながらちょっと面白い気もする。
片方が片方に告白をする、というあの時と全く同じ状況を繰り返しているようでありながら、その想いとか真剣さに、物凄く大きな差が生まれているのだから。
これまでの日々が、彼女と解いた「日常の謎」を介しつつ、あの空虚な告白を、こんなにも優しい告白に繋いだのだ。
──そう言う意味では、アレだな。似たようなことを繰り返しているようで……僕たちはちゃんと、前に進んでいるんだな。
そんなことを考えながら────今度は何となく、バウムクーヘンを連想した。
僕が嫌いで、もうここまでくるといっそ好きな気までしてくる、バウムクーヘンを。
よく知られているように、バウムクーヘンというお菓子は、まず生地を張り付ける芯棒が用意され、それをグルグルと回転させながら作られていく。
芯棒に何層にもわたって生地が巻き付くことで、バウムクーヘンは完成に近づくわけだ。
同じことを繰り返しながらも、確かに生地は積み重なり、次の層へと進んでいくのである。
僕たちの関係も、きっと。
それと同じ理屈なのだろう。
彼女も僕も、自分の過去を振り返る中で、「同じことをしてしまっている」とか、「また間違った」というような後悔を語ったけれど。
自分の成長のなさを、疎ましく思ったことすらあったけれど。
なかなかどうして、全く変化していない、なんてことではないようだ。
同じところをグルグルと回っているようで、確かに僕たちは変化している。
僕たちが経験した初恋とその失恋が、多少なりとも今回の「四つの謎」に生かされてきたように。
これから新しく体験していく「何か」は、過去の似たような経験とは、全く違う「何か」になって行く。
だから、今から行うこの自己紹介だって、以前の繰り返しとはなり得ない。
きっと、もっと大切な何かに、変わってくることだろう。
告白から始まって、自己紹介で終わるというのは、字面だけで言えば奇妙に思えることだろうけど。
それでも、ちょっとずつ、ちょっとずつ。
次の段階へと、進むのだ。
「……よし、まとめたわ!桜井君、聞いてくれる?」
「ああ、勿論」
ようやっと思考に一区切りついたらしい神代が、明るい顔をこちらに向ける。
それに対して、僕は自然な笑みを返した。
さあ、始めよう。
僕と彼女との、新しい関係を。
それがどんな結末に至るのかは、全く分からないけれど。
僕がそう決めて顔を向けると、すぐにその「自己紹介」が始まった。
「まず、一応名前ね……神代真琴です、よろしくお願いします」
「じゃあ、こっちも……桜井永嗣です、よろしくお願いします」
「ちょっと、堅苦しいわね……ええと、次に、好きな物かしら」
「そうだね、どんなの?」
「好きな人は、桜井君で固定として……そうね、好きな物というか、行動かもしれないけど、料理は好きよ。昔から得意だったから、今でもよく作るの……」
「へえ、食べてみたいな……」
「桜井君が食べたいのなら、いつでも……」
リズミカルに、或いはテンポよく。
僕たちは、互いについて再確認と情報提供をし続ける。
もしかすると、この世で行われた自己紹介の中で、最もスムーズに進んだ自己紹介かもしれない。
……多分、傍から僕たちの会話を聞いた人には、随分と不思議な言葉に聞こえることだろう。
自己紹介をしている割に、互いについてよく知っているようだし。
話し慣れた雰囲気を醸し出しているくせに、内容は基本的な情報ばかりなのだから。
それこそ、僕たちのこの会話こそ、「日常の謎」のように思える。
場合によっては、この謎の解明に挑む暇人もいるのだろうか。
だけど、もしそんな人がいたとしら、随分と困ったことだろう。
何せ、この謎はそう簡単には解けない。
三つほど、必要なヒントがある。
バウムクーヘンと、彼女と、謎解きと。
それら全てを知って、ようやく解ける謎なのだから。
「桜井君はどうなの?趣味とかは?」
「うーん……もう知っているとは思うけど、推理小説とか。最初は見栄みたいなものだったけど、習慣になったというか」
「へえ……私、本はあまり読まないから、何となく不思議」
「現代風のが好きだから……面白いんだよ、あれも」
「そうね。じゃあ、私も……」
もう昼近くになってしまった、空港内のカフェの片隅で。
僕たちは、告白を超えた自己紹介を、グルグルと続けるのだった────。
これにて完結です。
御読了ありがとうございました。
宣伝ですが、拙作「アイドルのマネージャーにはなりたくない」に本作とのコラボエピソードが存在します。
ご興味があれば、ぜひご一読ください。
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