バウムクーヘンエンドに反逆を[後編](Episode reverse 終)
────ここまでの流れを、一息に語ってから。
ようやく一区切りついたと思い、私は口を閉じた。
さらに、意識を過去から眼前の現実に戻す。
あまりにも長く語りすぎて、喉がカラカラだ。
とりあえず水を飲んで、渇きを癒しておく。
そうしてから、視線を上に戻すと────目の前では。
桜井君が、見たことも無いくらい珍妙な顔をしていた。
こう、アンバランスな顔、というのだろうか。
二つの表情を無理矢理合成して、何とか一つの顔にしたかのような、彼には珍しい不格好な表情を浮かべている。
顔の半分が混乱していて、もう半分は理解を拒むように硬直していた。
──よっぽど、予想外の話だったんだろうなあ……。
彼のこんなに混乱した顔を見るのは、例の告白直後、私が「四つの謎」を提示した時以来だ。
そんな場面でもないのに、ある種の懐かしさを感じてしまう。
同時に、可愛い、と思った。
──まあ、桜井君、ずっと私に自棄になって告白していたことを気にしていたみたいだし……まさか、私が彼個人に興味を持ち始めたなんて、想像しなかったんだろうなあ。そう思うと、混乱するのも当然かな?
今までの彼の行動を回想し、私は一人納得する。
これまでの交流で分かったことだけど、桜井君は、基本的に悪いことが出来ない人だ。
ちょっとでもそんなことをすると、すぐに顔に出る。
だから、私に対して本気でも無い告白をしたことについて、彼がずっと謝ろうとしていたことは察していた。
丁度、彼が失恋から自ら立ち直ったらしい時期──「第三の謎」と「第四の謎」の間の時期──から、如何にも私に対して申し訳なさそうな、謝罪のタイミングを計っている顔ばかりするのだから、すぐに分かってしまう。
結局は、レアが日本に居るうちにはやめておこう、となったようだけど。
そして、未だに謝罪が終わっていない分、彼はそれを引け目にしていた。
それが、彼の推理をちょっとした解釈違いに招いたのだろう。
まさか自分が、この神代真琴という少女に好かれているはずが無い、とばっちりでこんなに迷惑をかけているんだから────そんな、どうでもいいことを考えてしまっていた、ということだ。
勿論、実際には私が怒っているとか、そんなことは全然無い。
巻き込んで迷惑をかけているのは、こちらの方なのだから。
いやそもそも、途中からは純粋に彼のための振る舞いだったかどうかも怪しい。
私の過去の説明も終わったし、まずはそのあたりの最後のまとめをした方が良いだろう。
元々、話の発端は私の動機に関してだったのだし。
「……さて、桜井君。今までの話で、私のこれまでの動機、分かった?とりあえず、私が貴方からのお礼を止めた理由くらいは」
「まあ、大体は……」
未だに現実を受け止めきれない、という顔をしながら、桜井君が返事をしてくれる。
感情が混乱していても、理性が現状を把握したのだろう。
「……要するに、あくまで今までのことは、神代が自分のためにしたことでもあるから、お礼を言われるほどの事じゃない、ということ?」
「ええ、その通りよ。特に後半は、完全に自分のためだったもの……そもそも、貴方が立ち直った一件は、私が用意した謎ですらないしね。その点でも、感謝されることじゃないわ、本当に」
少し苦笑いを浮かべながら、私はそう断言する。
自分で言いながら、その通りだな、と思った。
ああ、そうだ。
彼はあくまで、自分の力で立ち直り、そしてここまで来た。
私が助力した部分は、実際のところかなり小さいだろう。
そんなことを思っていると、桜井君はやや納得出来なさそうな顔で、頭を掻いた。
何か、反射的に反発心を抱いたらしい。
「どうしたの?」
「……いや、確かにそうかもしれないけど、それでも神代には感謝した方が良いんじゃないかな、と思って」
「……何故?」
「だってほら、もし僕が告白した相手が神代じゃなかったら、僕はもっと変な方向に向かっていたかもしれない訳だし。……神代だったからこそ、上手い具合に転がったというか」
そう言われて────ああ、なるほど、と思う。
言われてみれば、確かにそれはそうだった。
大前提として、桜井君が私に告白してきたのは、別に私という個人に注目したから、というわけじゃない。
嫌な言い方をすれば、適当に見栄えのいい子から目星をつけただけだろう。
極端な話、自棄になっていた彼からすれば、誰でも良かったのだ。
だから、当然というか、私以外の女子に桜井君が告白をしに行く可能性は、十分に存在した。
そして、もしそれがなされていた場合────事態は、もっとややこしくなったことだろう。
だってその告白された女子は──当たり前だけど──桜井君の事情について、何も知らないのだから。
普通に桜井君が振られたとしても、或いは受け入れられたにしても。
どちらにしても、桜井君も、相手の子も、どちらも傷つくような結果になったかもしれない。
仮に首尾よく付き合えたとしても、桜井君は罪悪感から途中で折れただろうし。
相手の子も、完全な見ず知らずのところから、上手く行けたかどうかはかなり怪しいだろうから。
周囲を巻き込んだ挙句、ただただ傷心が酷くなって終了、という可能性も有り得た。
そう言う意味では、あの時、桜井君が私に告白してきたのは、絶妙というか、実に幸運なことだった。
私は、あの学校で唯一、桜井君にどう巻き込まれようが──全ての事情を知っている上に元から興味があるので──傷つかない相手だったのだから。
こう考えると、あの日の告白は、ある種最適解だった気すらしてくる。
偶然ではあるだろうけど、私たちは珍しく、一番後悔を残さない選択肢を選べていたのだ。
何となく、感慨深い話だった。
「そうね……まあ、所詮は偶然に過ぎないかもしれないけど、あの時桜井君が適当にでも私を選んでくれたのは、ファインプレーだった、ということになるわね」
「まあ、結果論だけどね……偶然って、怖い」
そう言って、軽く桜井君は笑う。
ようやく、混乱は落ち着いて来たようだった。
……その表情を見て。
私は、そろそろかな、と思う。
私は、ありったけの過去を吐き出した。
一応だけど、彼も落ち着いた。
だったら、今こそ告げる時だ。
ここまで取っておいた、あの言葉を。
もし、「第五の謎」が解かれたなら────私の正体を看破される日が来た時は、その時こそ告げることにしておこう、と決めていた言葉を。
本当は、今言うべきことでは無いのかもしれない。
もっと二人とも落ち着いてから、実行した方が良いのかもしれない。
それでも、私は。
全ての過去を告げ終わった、まさにこの瞬間に言って置きたかった。
その一念で、私は口を開く。
「……桜井君、聞いて」
唐突な言葉になることを自覚しながら、私は彼にそう告げて、さらに姿勢を正す。
すると、自分でも驚くほど、周囲の空気が引き締まったことが分かった。
ただの空港のカフェに過ぎなかったはずのその場所が、異様に緊張感のある場所になる。
張り詰めた、とまではいかないけど、それでも体感温度が二、三度下がった感覚。
通りすがりの店員すら、まるでその雰囲気に呑まれたかのように、こちらに視線を向けたのが分かった。
勿論、それは目の前にいる桜井君も例外ではない。
彼は何度か瞬きをしてから、私と同様に姿勢を正す。
内容は分からずとも、今までの話以上に、生半可な心持ちでは聞けない話だ、ということを察したのだろう。
そして、彼の推測は正しい。
今から私が言おうとしている言葉は、本来それだけの重みを持っている物だ。
言う側も、聞く側も、それなりの覚悟がいる。
……今まで以上に、心臓が跳ねる。
空港内のBGMなんてものは全く聞こえなくなり、自らの鼓動だけが頭に響いた。
最早それはドクドクとか、ドキドキとかそういうレベルじゃなくて、グワングワンと警報のように鳴っている。
異常が起こったのは、心臓だけではない。
肌は不思議なくらいに紅潮し。
頬は無意識に熱を持とうとする。
気がつけば、指の先が震えていた。
体は熱いくらいなのに、膝はまるで寒がっているかのようにガクガクと揺れる。
──自棄になっていたとは言え、桜井君、よくこれが出来たなあ……。
努力して動揺を抑えながら、私はそんなことを思う。
今この瞬間、私は桜井君のことを今まで以上に尊敬したかもしれない。
いや、考えてみれば、桜井君だけではないか。
お兄ちゃんも、百合さんも、私の両親も。
それどころか、世界中の多くの男女が、どこかのタイミングでこれを告げたことがあったはずだけど────その全ての行為が、今の私には偉業に思えた。
怖い、と思う。
辛い、とすら感じる。
だけど、やらなくてはならない。
ここで何も告げなかったら、「初恋」の時のように、私はまた後悔する。
何度も、同じことを繰り返すわけにはいかない。
また、引き出物のバウムクーヘンを家に持ち帰って、一人で食べるのはごめんだ。
彼との関係を、私はそんな終わり方で締めくくりたくない。
正直、レアの去ったこのタイミングでこれを告げるのは、ズルでは無いか、とも思っていたけど。
卑怯ではないか、という誹りは甘んじて受ける気でもあるけれど。
それでも、今、桜井君に言いたい。
そう思って、私は頬を赤く染めたまま、息を整えて。
頭を下げながら、ようやっと言った。
ありきたりで、ありふれていて、だけどとても勇気の要る、その言葉を。
「…………好きです、付き合ってください」