バウムクーヘンエンドに反逆を[前編]
それからは、似たようなことが続いた。
例えば、二人が出会った直後に、レアが桜井君に唐突に抱き着いたのを見て、慌てて引っぺがしたり。
風呂上がりに二人がオンライン通話で話しているのを見て、まだ服も来ていないのに乱入したり。
最初は、自分でも分かっていなかった。
ただ単に、レアのことを窘めているだけだ、と思っていた。
彼女は、桜井君のことが余程好印象だったのか、結構スキンシップが多い振る舞いをしていたから。
実際、常識的な考えでは窘めが入るのも当然、と思う程度には、彼女は桜井君と距離感が近かったのも事実だった。
探偵好きなレアとしては、実際に探偵としての力を持つ桜井君に出会って、随分とテンションが上がっていたようだったから。
なまじ日本に来て、どうやら期待していたほど推理小説通りではないらしい、と薄々察していた分、リアルに探偵のような振る舞いをする桜井君は得難い存在だった、ということだろうか。
だからと言うか何というか、特に日本に来たばかりの頃のレアは、ちょっと健全な中学生男子には目の毒になるような行動をよくとっていた。
もうちょっと自分の容姿の良さを意識して欲しい、と思ったことも、一度や二度ではない。
桜井君の方も、特に知り合った当初はかなりドギマギしていた記憶がある。
彼に助け船を出すようにして、私は何度もレアの行動を制止した。
……だけど、どうだろう。
当時から私には、それ以外の感情も、結構あった気がする。
普通に、レアのことを大切に思い始めていたのに。
こんなに楽しい子がホームステイに来てくれて嬉しい、とも思っているのに。
同時にレアと桜井君が一緒に居る姿を見ると、私の心の一部が、微かに、「ざらつく」。
「嫌がる」でも、「不快に思う」でもなく、「ざらつく」としか表現しようのないあの感覚。
レアが桜井君と仲良く話しているのを見るたびに、私はいつも、それを感じていた気がする。
誤解しないで欲しいのだけど、これは、私がレアのことを実は嫌っていたとか、そういう話じゃない。
ざらついていたのは、心の奥底の、ほんの一部だ。
心の大部分は、「レアはいい子だし、彼女が私の家に来てくれて良かったな」と思っていた。
だけど──レアは何一つ悪くないのだけど──私からレアに向ける感情が、「好き」一辺倒では無かったというのも、また事実だった。
この辺り、また私の中の面倒くさい部分が出てきていて、自分でも嫌になるのだけど。
レアの、桜井君以外の男子への振る舞いと、桜井君への対応の差。
それを見ることで、私の「ざらつき」は加速した。
……桜井君は、知っているだろうか。
レアは、自分の編入したクラス──私の所属するクラス──では、同級生の男子の誘いなんて、軽く躱しているということを。
下心を含んだ顔で遊びに誘ってくるクラスの男子たちを、「用事がある、です!」の一言で断っているということを。
……桜井君は、知っているだろうか。
レアは、日本語を話す時に、同性相手には下の名前で呼ぶけれど────異性相手は、普通は名字で呼んでいることを。
あんな風に、「エイジ」なんて嬉しそうに呼ぶ相手は、桜井君以外に居ないことを。
……桜井君は、知っているだろうか。
レアは海進中学校に居る間、様々な部活に顔を出していたけど、どこに行っても、「何か違う」とでも言いたげな顔をしていたことを。
如何にも、「ここも楽しかったけど、エイジやマコトと一緒に居た方が楽しいな」みたいな顔をして、それから慌てて、「楽しかったです!」と部活メンバーに感想を述べていることを。
……桜井君は、知っているだろうか。
レアが、何度か、桜井君に「ガールフレンド」が居ないのか、私に聞いてきたことがあった、ということを。
本当に、本当に。
桜井君は、知っているだろうか。
……まあ、知らないんだろうけど。
ウダウダと書き連ねるのもアレなので、いっそ断言してしまおう。
ああ、そうだ、認めるしかない。
私は微かに、レア・デュランという少女のことを恐れていた。
レアと桜井君が、着実に親しくなって行こうとしている、ということが、なまじ近くに居る分はっきりと感じ取れて。
その分、レア・デュランという少女が──特に桜井君のような異性の目から見て──どれほど魅力的なのか、痛感して。
それ故に、恐れていた。
当時から、直感していたのだ。
桜井君とレアが、このまま仲良くなり続けたら。
その場合、私が今感じているこの「ざらつき」は、「悲しみ」に変わるのではないか、と。
私は、二人に対して「良かったね」などと無邪気には言えないのではないか、と。
……では、何故言えないのか?
お兄ちゃんと百合さんの結婚式ですら、私は素直に「おめでとう」と言えたのに。
何故、桜井君とレアに対して、そう思えないかもしれない、という予感があるのか?
それについて、「第三の謎」から「第四の謎」の間に、何度も考えた。
だって、理屈から考えれば、これは凄く非合理な話だ。
そもそもにして、私が桜井君に対して願っていたのは、「彼が失恋から立ち直って欲しい」ということなのだから。
見たところ、桜井君はレアと話している時、何だかんだ言いながらもとても楽しんでいるように思える。
それこそ──私が狙っていたことでもあるけど──レアに謎解きをしている時などは、失恋のことも忘れていそうだった。
いや、それどころか、まるでレアから元気をもらっているかのように、この頃の桜井君の雰囲気は明るくなっていった気がする。
レアは、そう言う子だった。
話しているうちに、何となくこっちも元気になるというか。
過去の失恋なんて吹っ飛ばすくらいのエネルギーを周囲に与える少女、とまで言い切ってしまっても、過言ではないと思う。
何が言いたいかと言えば、この時から私は、「『四つの謎』になんて頼らずとも、桜井君はレアと交流していれば、その内失恋から立ち直るのでは?」と考え始めた、ということだ。
そのくらい、レアと仲良くなっている桜井君は、時間を楽しんでいたようだから。
そして、この推測が事実なら────それはとても、喜ぶべきことだ。
過程はどうあれ、桜井君は私のように七転八倒することは避けられたのだから。
失恋の傷を、別の女の子との交流で癒す。
実に、正当派な手段だ。
何なら、自棄になって私に告白してきた桜井君は、本当はこう言うことを目的としていたのかもしれない。
新しい恋をすれば、昔の恋心なんてどうでもよくなるだろう、と期待して。
その相手が、海外から来た美少女と言うのだから、グレードアップしたとも言えるだろう。
私の考えた「四つの謎」なんてものは、所詮は情報が少ない中作り上げた妄想みたいなもので、極端な話、桜井君が別の手段で立ち直ったなら、やってもやらなくても構わない。
そもそもにして、手段であっても目的では無いのだから。
だから、もし私が純粋に桜井君の立ち直りを望むのなら。
レアと桜井君をもっと仲良くさせる、というのが一番正しいだろう。
桜井君は失恋の傷をその内忘れられるだろうし、レアは念願の探偵と仲良くなれる。
一ヶ月でレアがフランスに帰ってしまうのが欠点だけど、今の時代、海外と連絡を取る手段なんていくらでもあるはずだ。
何なら二人を煽って、日本にいるうちに恋人同士にしておく、というのもアリかもしれない。
誰にとっても損が無い。
ハッピーエンド、と言っても構わない結末だろう。
強いて言えば、色々と計画した割に、私には何も返ってこないことになるけど。
それに関しても、元から見返りを期待していた訳じゃない。
基本、自己満足だったのだから。
……そう、分かっていて。
だけど、私はそうしなかった。
理屈ではそれでもいいはず、と分かっていても、感情が抵抗していた。
というか、そう言う終わり方を考えていると、私の中の「ざらつき」は強くなるくらいだった。
そして、その「ざらつき」が極限まで達した頃。
ようやく、私は自分の感情の変化に気がつけた。
いくら私が、自分の感情の変化に気がつくのに遅いタイプだったとしても。
流石に、ここまでくれば分かってくる。
ああ、そうか、と。
……簡単なことだったのだ。
私のそれからの行動の全てに、その感情の変化は関わっている。
細かく見ていけば、分かる話だった。
何故私が、「第三の謎」と「第四の謎」の間に起こった一件──百合さんの持ちかけた地図の話──で、桜井君が立ち直ったらしいことを察して尚、「四つの謎」を続けたのか?
もうやる必要はないと分かっていながら、自分の正体を明かさなかったのか?
何故私が、レアのことを好きになりながらも、最後まで「ざらつき」を捨てられなかったのか?
彼女のお別れ会の最中に、まるで間接キスを防ごうとするかのように、「第四の謎」なんてものを頼んでしまったのか?
それはきっと、たった一つの感情に起因しているのだろう。
微笑ましく思える程みっともなくて、見苦しいけれど暖かい感情。
理不尽かつ残酷で、だけれども確かに人を動かすもの。
私は、その想いに突き動かされて、これまで桜井君に謎解きを頼んできた。
私が、桜井君に関わり続けてきたのは。
レアが桜井君と仲良くなることに、心理的な抵抗を感じる程に入れ込んだのは。
決して、同情からではない。
無論、憐憫でも無い。
ましてや、哀れみや優しさであるものか。
桜井君は、私が純粋に彼への同情から今まで彼のために行動した、なんて解釈違いの推理をしてしまった様だけど。
そんなあやふやな感情だけでここまで行動できる女の子なんて、そうそう居ない。
ボランティア精神だけで計画を練ることが出来るほど、神代真琴は人間が出来ちゃいないのだ。
だって私は、もっと面倒くさい女子だもの。
多少容姿が良いとか、振る舞いが綺麗とかで褒められることはあるけれど、だからと言って心の内側が面倒くさくない訳じゃない。
私の心の中は、もっと独善的で、もっと自己中で、そしてもっと年相応な感情で、既に埋まっていた。
私を動かしてきたのは、ただ一つ。
新鮮でありながらも懐かしい、この恋心に於いて他ならない。
レアのことは、勿論大好きだ。
だけど……いや、だからこそ、譲れない。
桜井君とレアがくっつくという終わり方が、二人にとってどれほど幸せなものだろうと、世界で私だけはモヤモヤしてしまう。
自分から仕掛けておいて──二人を知り合わせたのは、私が発端だ──物凄く身勝手な話だとは自覚しているけど、心がざらつく。
……ああ、本当に。
我儘で、どうしようもない、醜い感情だ。
恋する少女というのは、時に凄まじく見苦しい振る舞いをする、というのは過去の経験から知っていたけれど、ここまでとは。
だけど、多分。
こういうのも含めて、私なのだろう、とも思う。
あらゆる物事をスパッと割り切れず、いつも恋愛脳で、そのくせ空回りばかりしている、面倒臭い思考回路の、十四歳の女の子。
それが、等身大の「神代真琴」なのだ。
お兄ちゃんや百合さんが語るところの、「年下の可愛い幼馴染」ではなく。
同級生たちが噂にする、「学年でも目立っている女子」でもなく。
桜井君が推理した、「面倒見のいい人」ですらない。
本当の神代真琴は、呆れる程、思春期の女子なのだ。
普通に恋をして、普通に引きずる、そう言う子なのだ。
言い訳のようになるけれど────そう言うことで、勘弁してもらおう。