罪悪感と私の関係
当時の桜井君の表情というのは、何というか、まあ非常に分かりやすいものだった。
私が言うのもアレだけど、いかにも、というか。
視線は虚ろで、目の前に物があろうが注視しない。
休み時間中は、ボーッとした顔で黙っている。
友達に話しかけられても、生返事ばかりで要領を得ない。
全て、私からすれば「あるある」と言いたくなるような反応だった。
こう言うところでも、私たちは似ているのだろうか。
尤も、私の共感を抜きにしても、廊下から偶々見かけただけでここまで分かってしまうくらいなのだから、かなり大きな変化だったと言って良いだろう。
実際、深宮というあの生徒を始め、彼と仲の良い生徒はそれなりに心配しているようだった。
彼らとしては、その落胆が失恋によるものなのか、それ以外の物によるのかすら分からないだろうから、本気で怖かったはずだ。
学校に来たら友人が生返事しかしなくなっているというのは、それ単体で結構なホラーとなる。
ただ、勿論。
私の方は、その変化は百合さんが近い内に結婚することを知ったからに違いない、と確信していた。
これは、今までの出来事や、失恋経験者としての勘もあるけれど────それ以上に、私がこの時点で聞いていた、とある連絡も大きかった。
というのは、桜井君のこの様子を見る前の日、我妻家のおばさんから連絡が来ていたのだ。
内容は、ごく単純。
お兄ちゃんと百合さんの結婚に関する続報で────「式場選びや新居探しにバタついていて遅れたけど、十月くらいに式を挙げようと思う」という話だった。
おばさんとしては、「だから真琴ちゃんも出席して欲しい」という旨の連絡だったようだけど。
私はその話を聞きながら、ずっと、「もしかしてこの連絡は、桜井君にも行っているのではないか」と思っていた。
いくら百合さんと桜井君の会話が減っているにしても、結婚式の開く時期が決まったとなれば、連絡くらいは行く可能性がある。
というか、仲が良かったのなら、普通出席するよう誘うだろう。
出席確認の手紙を出すまでもなく、直接聞ける立ち位置に居るのだから。
そう考えると、桜井君がその連絡によって、自分の失恋を悟ったのではないか、という推測は容易だった。
しまった、私から事実を伝える前に、状況が動いてしまった────そんな危惧を抱いて、その日の私は急いで学校に来ていた。
勿論、探し当てた桜井君の表情からわかる通り、既に手遅れだったのだけれど。
……そして、呆然自失としている桜井君を見つめて、私は。
色々と、思考を巡らせていた。
まず抱いたのは、罪悪感だったと思う。
再三言っているように、私はまた、遅すぎたのだから。
──私が伝えるかどうか迷っているうちに、こんなことになっちゃった……。
自己弁護するなら、多少は仕方の無い側面はあった。
二年生になってクラス替えがあっても、私と彼が同じクラスになることは無く。
進級して学級委員長が変わったことで、彼が代表委員会に来ることも無くなっていた。
加えて、私には生徒会活動が放課後にあったけど、帰宅部である彼は授業が終わるとすぐに家に帰ってしまう。
そのせいで、放課後に時間をとる、という事自体が難しい。
要するに、以前よりもさらに、私に彼との接点は無くなっていたのだ。
嫌われ役になってでも百合さんの結婚を伝えに行こう、と思っても、そもそも彼を捕まえられないことが多かった。
尤も、所詮これらは全て、言い訳なのだけど。
ああ、いつもそうだ。
神代真琴という少女は、ここぞという時に勇気が足りない。
「初恋」の時もそうだった。
決意して何か重要なことを伝えに行くという行為において、成功した例がない。
……しかし、自分のこの性格を後悔していても始まらない。
既に、彼は失恋を自覚してしまい、大きく傷ついてしまったのだから。
こうなった以上、過去に立ち戻ることは出来ない。
乾いた瞳も、ボサボサの髪も。
虚ろな視線も、閉じているのか開いているのか分からない口も。
全て、もう再起不能なのではないか、と錯覚しそうなほどの寂しさを内包していて────それに見覚えがある分、辛くなってしまう。
最早、見ているだけでこちらが辛い。
その悲しみに、自分が多少なりとも関わっているというのだから、なおのことだ。
だから、私は罪悪感の次に抱いた感情として。
口出しできる立場にありながら、何もできなかったことの償い────今からでも何かできないか、と考えた。
──百合さんたちが結婚した以上、彼が失恋すること自体は止められなかった。でも、せめてその傷を早く回復させることくらいは……。
それは、同じ立場の経験者としての、同情心故だったのか。
結果的に傍観に徹してしまった日々に対する、罪滅ぼしだったのか。
それとも、当時からそれ以上の感情を私は持っていたのか。
何にせよ、今度こそ何かしたい、という思いに変わりはなかった。
お節介で、非常識で、とも知れば異様な行動なのかもしれない。
何かできないかと言いながら、また彼を傷つけてしまうことだって有り得る。
だけどもう、見ていられなかった。
また、傍観者になってしまうというのは、流石に違う。
私が、失恋を受容できずに七転八倒した四ヶ月以上の期間────あれを、繰り返させたくはなかった。
大して役に立てない可能性は高いけれど、それでも似たような環境に居た先輩として。
だから、私が自分の経験を出来るだけ振り返って。
その日、家に帰ってから、早速計画を練り始めたと思う。
「まず……今の状態だと、多分外から何を行っても無駄、かな。しばらくは、誰の言葉も耳に入らないだろうし」
部屋に入って、念のため扉まで閉めてから、そんなことを呟いて。
私は、机に置いたメモ帳に、「声かけ……×」と書いてみる。
もし、周囲からの励ましで何とかなるのなら、いくらでも話しかけに行くつもりだった。
だけどあの状態は、最早周囲の声全てを拒絶しているように思える。
多分彼は、何かショックなことが起こると、周囲を頼るというよりも、周囲からの干渉を拒絶してしまうタイプなのだろう。
だから、ああいう呆然とした感じになったのだ。
「個人的には、分かる感覚だけど……変に話しかけられるのが、一番傷つくし」
そう言って、うんうんとメモ帳の前で頷いてしまう。
つまるところ、今彼が実行しているのは、何を言ってくるか分からない周囲と関わるより、呆然としたまま耐え忍ぶ方がまだマシ、というスタンス。
彼としては無意識に選択した行動なのかもしれないけど、私も似たようなタイプなので、結構共感できた。
振り返ってみれば、私も失恋を自覚した時、それを他人に相談する、ということは一切しなかった。
それは、私がお兄ちゃんのことを好き、ということを知っている人が殆どいなかったし、そもそも自分の「初恋」を他者に知られたくなったというのもあるけれど。
多分それ以上に、無神経な言葉を投げかけられたくなかったんだと思う。
特に私や桜井君の場合、十歳年上の人に恋をしているという状況であるため、仮に相談しても、慰められるというよりは諭されてしまう危険性がある。
そんなの当たり前だよ、叶うはずないよ、とか。
同年代の子を好きになればいいのに、何なら紹介しようか、とか言った、少々無神経な言葉だ。
私たちのような人にとっては、こういう諭し方が一番傷つく。
勿論、言っていることは正論だし、最終的には私もそう言う理解に辿り着いたわけだけど────自分でそのことに気がつくのと、他人からそう思うように諭されるのは、大分違うと思う。
だからこそ、桜井君が自分の感じたショックについて、決して他者に相談していないのは、よく理解できた。
仮に、いつか彼が友人にそれを相談するようになったとしても、それはもう少し立ち直ってからのことだろう。
今は、無理だ。
要するに、しばらくは敢えて変に話しかけないのが無難、となる。
その上で、考えるべきことと言えば。
いつまでもそのままでいいのか、という問いだ。
他者の干渉を拒絶するのは、まあいい。
だけど、呆然としたままで上手い具合に失恋から立ち直れるかは、分からない。
というか、単純に自分の世界に引きこもったまま、一歩も前に進めない、ということも有り得る。
「そうなると、やっぱり周りから働きかけるというよりも、彼本人に別のことをしてもらった方がいいかな……。私にとっての、生徒会選挙みたいな」
自然、そういう思考になった。
所詮は、一時しのぎの解熱剤でも構わない。
それでも、何か、心の痛みを多少はマシに出来るような物があれば、考えたのだ。
私の場合でも──すぐに効果がなくなったとは言え──生徒会選挙をしている間は、一応ショックは和らいでいた。
というか、四つも面倒くさいことがあって、考える暇がそうそう無かった。
あの時の私にように、何か別のことに夢中になれれば、立ち直ることは出来ずとも、あの「見ていられない」という状態からは脱却できるかもしれない。
こう考えてみると、案としては、そう悪くない物に思える。
失恋旅行とかもそうだけど、失恋を切っ掛けに敢えて活動的になる人も、世の中には結構いると聞くし。
ただ、問題があるとすれば。
「でも、桜井君が夢中になれることって、私、知らないな……趣味とかがあるなら、そっちを勧めるんだけど」
そこで、私は壁にぶつかる。
よくよく考えれば、私は桜井君の恋愛事情については異様によく知っているけど、それ以外のことは碌に知らない。
誕生日さえ知らないのだ。
失恋を一時的にでも忘れられるくらいの趣味など、知るはずもない。
強いて、思い浮かぶものがあるとすれば────。
──要するに、蓮にとっての真琴ちゃんみたいなポジションの子なの。推理小説とかの本が好きな、中学生の男の子なんだけど……桜井永嗣って、聞いたことがない?
百合さんが言っていた、その一言だけだった。
「推理小説、か……」
ふむ、と。
私はそれこそ、事件解決の手掛かりを得た探偵のような顔をした。