お節介と私の関係
普通に考えれば、この問題は、「別に伝えずとも構わない」という答えになることだろう。
別段、私は桜井君に失恋の事実を伝えるような義理はない。
いくら事情の殆どを知っていようが、基本的には他人事なのだから。
いつか、百合さんから教えられて桜井君も知るだろう、と判断して、それで終わりにするのが、常識的な対応なのだと思う。
もっと言えば、仮に私が桜井君に自己紹介をして、百合さんとお兄ちゃんの関係について教えたところで、それを彼が信じるのか、という問題もある。
これは、お兄ちゃんに失恋する前の自分のことを想像すれば、おおよそ想像できた。
もし、私がお兄ちゃんのことを大好きだった時。
よく知らない他人が、「実は我妻蓮さんは別の女性と付き合っているよ」と伝えてきたとしよう。
その場合、当時の私がその連絡を信じるかどうか考えると────絶対に信じなかっただろうな、という確信がある。
あれこれと理由を付けて、認めなかったのではないだろうか。
お兄ちゃんの口から聞かないと納得できない、みたいなことを言い出した可能性すらある。
加代さんや百合さんについては、私がその存在を知った時点で、どちらもお兄ちゃんの傍に居た。
だからこそ、私も彼女たちがお兄ちゃんの彼女であるという事実を、認めざるを得なかった。
だけど、仮にあの場にお兄ちゃんが居なかったのなら。
私は彼女たちがお兄ちゃんの彼女であるという事実を、すぐには信じなかったのではないだろうか。
初恋真っ最中の私には、そう言うところがあった。
まあ、これは極端な例なのだろうけど────この経験を参考とすれば、桜井君が似たような状況に陥る可能性はそれなりにあると思う。
ただでさえ、桜井君については私が一方的に知っているだけで、向こうの認識としては完全な他人なのだから。
私が教えたところで、他人が意味不明なことを言っている、と怪しまれるだけだろう。
だから、総合的に考えて、彼にお兄ちゃん関連の事情を教える必要は無い。
仮に教えたところで、話がややこしくなるだけだ。
だけど────そこまでわかっていながら。
何もしない、という選択は、私には中々出来なかった。
だって、そんなのはもう、見ていられない。
彼のその「初恋」は、もう報われないことが確定してしまっているのに、彼はまだそれを知らないまま、なんて。
いくら何でも、可哀想だと思った。
所詮は、勝手に桜井君を私と同一視しているにすぎないにしても。
ただでさえ、失恋というのは、私たちくらいの年齢の子には非常に苦しい。
その上で、自分の失恋が確定したことを、長らく知らされておらず、かなり後になってから気づいてしまったのなら?
それは、普通の失恋よりも、さらに苦しくなってしまうのではないか────完全な空回りの期間が、長くなってしまうのだから。
……こんなことを考えていると、桜井君のことを、とても他人とは思えなくなっていた。
お節介でも、疑われてしまってもいいから、早いうちに百合さんとお兄ちゃんの関係を知るべきではないか、と思ってしまう。
──でも、言ったところで信じてもらえない可能性は高いし……有難迷惑でもあるだろうし……本当に、どうしよう?
頭がオーバーヒートする。
二つの選択肢の間で、自分がゆらゆらと揺れる様を幻視する。
そうやって、議事録を片手に、言葉も無くうんうんと悩んでいる間に────桜井君たちは、廊下から立ち去ってしまっていた。
この日の代表委員会は、そんなことをしている内に終わってしまった。
しかし、この「言うべきか、言わざるべきか」という問題に関しては、その日から、消えることなく私の中に滞留し続けた。
滅茶苦茶悩む、というのとは少し違うけど、頭の奥底に引っ掛かっている問題、というか。
ふとした瞬間に、「あー、あの件解決していなかったなあ……どうしようかな……」と思い出してしまう懸念事項、というか。
言ってみれば、心のしこりだ。
本当に、授業中だろうが帰宅途中だろうが、ふと思い出してしまうのである。
ああどうしよう、伝えようか、どうしようか、と。
そこまで気にしてしまうくらい、私は桜井君がこれから味わうであろう失恋の苦しみについて──一方的な憐憫に過ぎなくても──真剣に案じていた、ということでもあるし。
同時に、私はそれくらい、桜井君と自分を同一視していた、ということでもある。
文字通り、自分の事のように、私は悩んでいた。
図らずも全ての事情を知る側になった以上、何とかしたい、という思いはあって。
だけど、伝える方法を思いつく度に、それでは桜井君を余計に傷つけてしまうのではないか、と足を止める。
何とか、桜井君を傷つけずに、彼に事実を伝える方法は無いのか。
何とか、私の言うことを信用してもらえる方法は無いか。
頭に浮かぶのは、そんな事ばかりだった。
解決策も、幾つか考えた。
私から言っても信用してもらえないのなら、お兄ちゃんや百合さんに伝えるように促そう、とか。
それとなく桜井君と仲良くなって、その上で私のプロフィールについて教えて、信用してもらおうとか。
ただ、これらはすぐに私の中では却下された。
前者は、百合さんやお兄ちゃんに桜井君の初恋について教えているような物で、別方向から桜井君を傷つけてしまう。
後者は、そもそも親しくなる切っ掛けすら見当たらない──クラスも部活も違うのだから──以上、怪しまれるのは避けられない。
考え続けて分かったことと言えば、一方的に知っているだけの関係の人に対して、デリケートな真実を、相手を傷つけないように伝えるというのは、中々難しい、ということだけだった。
今思うと、私が勇気を出して彼に事情を全て伝えるのが、一番手っ取り早く一番効果的だった気もするけど────その時の私には、中々その勇気が出なかった。
だからこそ、私はかなりの期間、そのことで歯噛みすることになる。
中学一年生が終わり、二年生に進級しても、密かに気にしていたくらいだから、この悩みも相当なものだ。
生徒会活動や、普段の授業こそ普通にこなしていたものの──ここでも小学生時代から磨いた演技は役に立った──心の中に潜む澱のように、その悩みは続いていた。
────そんなこんなで、私が静かに悩み、桜井君は普通に初恋を続けているうちに。
とある変化が起きた。
その変化が起きたのは、桜井君に、ではなく。
私だった。
端的に言えば────この時期から、私は家族にこんなことを言われるようになったのである。
「……真琴、最近表情が明るくなったね」
「そうだな、ため息も減ったし」
最初が母、それに続いたのが父の発言である。
中学二年生になったばかりの頃、珍しく二人が家に居た時に、彼らが私にかけた言葉だった。
この言葉を投げかけられた時、思わず、「え?」と問い返した記憶がある。
同時に、何を言っているんだこの人たちは、とも思った。
というのも、その日の私は、リビングでぼんやりとしながら、「桜井君に失恋関連のことを上手いこと伝えるやり方ってないかなあ……」と考えていたのだ。
要するに、絶賛悩み中である。
どこをどう見れば、その私の表情を見て、「明るくなった」などと言えるのか。
「だって、そうじゃない。半年くらい前は、何してても暗かったし」
「そうだな。明るい時もあったけど、心の底から楽しんでいないというか……まあ、生徒会の立候補で、忙しかったのかもしれんが」
そんなことを言いながら、両親はうんうんと頷く。
どうやら、その時期の私のことを、思い返しているようだった。
──まあ確かに、その時期は暗かっただろうけど……。
家にほとんどいない親であっても、意外とこちらのことを見ているものだな、と思いながら、私は少し納得する。
親の言う半年前というのは、丁度私が失恋し、生徒会選挙に出ていた時期だ。
それはまあ、親から見ればわかる程度には暗かっただろう。
自分では多少隠していたつもりだったのだけれど、常に演技が完璧、とはいかなかったらしい。
「その頃に比べたら、最近の真琴は表情が明るいでしょう?だから……」
「……そんなに、明るい?」
母の言葉を不思議に思って、私は自分の頬をぷにぷにと触った。
そんな、明るい表情をした記憶はないのだけど。
「明るいというか……こう、新しく別のことに夢中になっている感じだな。だから、暗く感じないんだ」
フォローするように、父親がそんなことを言った。
──別のことに夢中……?
いよいよ、分からなくなる。
最近、何か新しい趣味でも始めたのならともかく、そんなことはしていない。
ということは、この二人の言う変化というのは、もしかすると。
──もしかして、私が桜井君について考えていることを、新しく夢中になれることを見つけたと誤解しているの?
そう思い至った瞬間、なーんだ、と思った。
そうだとしたら、見当違いも甚だしい。
これは、夢中になることでも無ければ明るくなることでもない、純粋な悩み事なのだから。
だから、私は「違うよー、何言ってるの?」と笑い飛ばそうとして。
笑い飛ばそうと、して。
……不意に、あることを考えついた。
──あれ、でも、そう言えば……桜井君について考え始めてから、お兄ちゃんに失恋したことについて、私、あんまり考えてない……?
そのことを、自覚した瞬間。
桜井君の失恋問題は全く解決していないのに、私の失恋に関しては、大きく動くのだった。
……こういう例も、情けは人の為ならず、というのだろうか。