失恋情報と私の関係
「あんまり言わないでくれよ、恥ずかしいから」
「あ、ごめん。でも、小学生の頃からの知り合いなら、多分普通に通じる話だと思うぞ……」
動揺する私を尻目に、彼らの会話は続いていく。
少し、からかうようにして彼の肩を小突く、「深宮」と。
それに応じて、多少の苦笑いを浮かべつつ、それを上回るくらいの必死さで手を振る「桜井永嗣」。
そんな二人の様子を確認したあたりで、彼らの会話は、正確に聞き取れなくなった。
というのも、流石に周囲のこと──帰ろうとしている最中とは言え、代表委員会に出席していた生徒が周囲にいる──を気にしたのか、彼らは会話の音量を落としたのだ。
生徒会書記の席から動けない私としては、それ以上の盗み聞きは困難だった。
──でも、せめて雰囲気くらい……。
そんなことを考えて、チラチラと様子を伺ったと思う。
いくら何でも、ガン見することは出来ない。
向こうは私のことを一切知らないだろうから、そんなことをしてしまうと、不審がられてそこで会話が終わってしまう。
だから、出来るだけ他人の振り──振りも何も、実際に他人ではあるのだけど──をして。
私は、桜井君がどんなふうに学生生活を送っているのか、知ろうとした。
私と似た境遇に居るかもしれないその存在が、今、どうしているのか。
我ながら怖いというか、仮にストーカーとして警察にでもつきつけられたら、一切言い訳が出来ないくらいの奇行だったけど。
私は、自分を止められなかった。
妄想かもしれないと思っていた、「桜井永嗣は百合さんに片思いしている」という推測が的中しているようだと分かって、テンションが上がったという側面もあったと思う。
ここまで来たら、より正確に確かめたい、というか。
ただし、会話の音が聞こえなくなった以上、それ以上の事情を推し量るには、純粋な観察しか手段がない。
だから私は、人生でこれほど集中したことは無い、と断言できるほどの集中を以て、桜井君の様子を観察した。
彼の方は、まさか一方的にここまで注目されているとは、夢にも思っていなかっただろうけど。
……そうして、しばらく彼らの様子を見つめていると。
未だに「百合さん」に関連してからかわれているらしい桜井君の様子から、様々な心情が透けて見えた。
例えば、こんな風に。
──話している限り、結構恥ずかしがってる。あの友達に、積極的に恋愛相談をしている、というわけじゃないのかな。基本的には周囲にも隠している?
──でも、友達の方はからかいの仕草が手慣れてる……やっぱり、ずっと昔から彼が百合さんのことを好きなのは周知の事実で、前々からからかわれることもあったのかな。
──一応、手を振って否定してる……でも、本気の否定じゃない。軽々しく「好き」と断言するのも嫌だから、表面上はそんな感じにしている、とか?
自分が、似たような「初恋」を経験していたからだろうか。
驚くほど克明に、私は彼の考えていることというか、どう考えてその振る舞いをしているのかを察することが出来た。
何なら、その振る舞いに対して、私はその場でデジャヴを感じてしまったくらいだ。
だって、彼の行動はそっくりそのまま、少し前までの私のそれだったのだから。
私がまだ失恋していなかった頃、他人に「誰か好きな人いる?」と聞かれたら、こんな感じの返事をしていなかったか?
そう思い返せば、彼の言動は大体推測出来た。
私の「初恋」も、変なところで役に立つ。
──初恋に熱中している人って、どんな人でも似たような振る舞いをしちゃうのかな……。
議事録を書く振りをしながら、ぼんやりとそんなことを考えた記憶すらある。
もしかすると単純に、私も桜井君も、根が単純なのかもしれないけど。
……それから、もう一つ。
彼の様子を見ながら、私は、もう一つの確信を得た。
──桜井君、凄く楽しそうに話している?……様子から見て、もしかして彼は、まだ自分の失恋を知らない?
そんなこと、あるのだろうか、と一人思考する。
普通、近い内に結婚したいと思える相手が現れたというのは、すぐに伝わってくる情報のはずだけど。
しかし、桜井君の様子を見る限り、彼はまだ失恋していないようにしか思えなかった。
何せ、廊下の隅で、プレゼントの選定を手伝う約束をしている彼の表情には、一切の悲壮感がない。
深宮という生徒が、何度も口にしているらしい「百合さん」という単語に対しても、恥ずかしさや躊躇いを返すことは会っても、隔意や悲しみを押し出すようなことはしていなかった。
もし、彼が既に私と同様の失恋を経験しているのなら、「百合さん」という単語を出された時点で、もうちょっと違った反応を返すのではないだろうか。
それこそ、私が一種のアレルギーみたいになってしまったように。
勿論、既に桜井君が失恋をすっぱり乗り越えていて、全く気にしなくなっている、という可能性もあるけど。
しかし、しかし、だ。
その場合でも、ここまでの明るい表情ではないのではないだろうか。
要するに、会話の雰囲気を見る限りは。
桜井君は未だに、百合さんの婚約も知らず、百合さんへの片想いを続けている真っ最中のようにしか思えない、ということだ。
──……じゃあ、百合さんは、彼にはまだ、自分の婚約のことを教えていないの?
何故、とすぐに思った。
百合さんと桜井君が、私とお兄ちゃんレベルで仲が良かったのなら、そんなことは本来あり得ない。
普通、彼氏側の実家に報告に行ったのなら、彼女側の実家にだって近い内に行くだろうし。
仮に報告に行かずとも、親同士の世間話とか、別のルートから話が入ってきそうな気もする。
それでも、例外が起きたとすれば────。
──でも、百合さんは確か、「最近素っ気ない」とか、「途端に会話しなくなった」とか言ってた……だったら、話さないというのも有り得るの?お兄ちゃんだって一時期、「真琴に嫌われたのかも」とか言ってたくらいだし……。
これまた、自分の経験に置き換えてみると、分かりやすくなる。
かつて、私がお兄ちゃんを好きすぎるあまり、お兄ちゃんとまともに話せなくなっていた時期のことだ。
あの頃は、私は本当にお兄ちゃんの様子を何も知らないような状態だった。
お兄ちゃんの方も、私に話しかける際に──嫌われているのかもしれないという思いもあって──苦慮していたと思う。
お兄ちゃんの場合は、子ども好きな上にマメな人なので、それでも私に構ってくれたけど────もし、百合さんがそういう対応をしなかったのなら。
普通に、「話しかけてこないということは、理由は分からないけど、もう話したくないのかな」と思って、話しかけるのを遠慮してしまう、ということも有り得そうな気もする。
もし、桜井君と百合さんが、桜井君が話しかけなくなったことで、そのような状態に陥ったのなら。
婚約という一大事すら知らない、というのも有り得ない話じゃない……気もする。
周囲の親だって、わざわざ会話の少なくなった二人の間に割り込もうとはしないだろうし。
つまり、彼の思春期ゆえの恥ずかしがりが、悪い方向に作用したのだ。
初恋相手の婚約すら、互いの遠慮によって、伝わっていない。
だから彼は、未だにあんな楽しそうな表情をしている。
──じゃあ、桜井君は私と同じじゃないんだ……まだ、失恋は自覚していない……。
そんなことを思って、私はもう一度彼の姿を盗み見した。
視線の先には当然、照れたような顔を引っ込めて、普通に友人と買い物の段取りを決めようとしている彼の姿がある。
……それを見ながら、私はつらつらと思考を進めた。
と言っても、考えることなど一つしかない。
彼はまだ百合さんとお兄ちゃんの関係について知らないらしい、と思った時から、私に頭にはそのことしか浮かばなかった。
失恋についての心の痛みすら、一時的に忘れたくらいだ。
そのくらい考えたことというのは、次の一点。
──どうしよう……これ、私から伝えるべきなの?お兄ちゃんのこと……。彼の「初恋」が、もう終わっちゃったこと……。
彼の、恐らくは「初恋」であろう、その想いが。
実のところ、既に敗れてしまっているという事実。
仮に、百合さんが彼に婚約のことをまだ伝えておらず、家族などからも連絡が行っていないのであれば。
それを彼に伝えられるのは、もしかすると、私一人なのではないか────そう、思い至った瞬間。
私は、今まで以上の悩みが、自分にのしかかってきたことに気が付いた。