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バウムクーヘンと彼女と謎解きと  作者: 塚山 凍
Episode reverse:謎解きと彼とバウムクーヘンと
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「永ちゃん」と私の関係

 確か、十二月の初め頃だったと思う。

 土曜日だというに、生徒会活動があった日のことだ。

 ルーティンワークと化した生徒会活動を終えた私は、やや俯いた顔をしながら、家までの帰路を歩いていた。


 精神状態としては、中の下から下の上、くらいか。

 時間経過によって多少はマシになったと言え、立ち直りには程遠い、くらいの状態。


 それまでの間に、生徒会活動に精を出してみたり、舞の家に遊びに行ったりといろいろしていたが、大きな効果は無く。

 何となく下を見つめながらも、歩道が海底のように見えていたのを覚えている。

 深海魚みたいな顔をした野良猫が、のったりと私の足元を通り過ぎていた。


 ……そうして、俯いていたからだろうか。

 私はその日の帰り道、うっかり、前から歩いていた人にゴツン、とぶつかってしまった。

 互いに、前を見ることが出来ていなかったのか、間抜けなことに正面衝突する。


「あ、すいません、大丈夫ですか……?」


 反射的に、謝ったと思う。

 いくら気分的に低空飛行だろうが、流石に礼儀までは忘れていない。


「いえ、こちらこそ、ごめんなさい。ちょっと、地図を見ていたから……」


 すぐにそう言って、ぶつかってしまった相手も謝ってきた。

 それを境に、顔を上げた私は相手の姿を見つめる。


 まず目に入ったのは、相手の服装。

 暖かそうなコートを着た女性だな、ということを最初に認識した。

 そこからさらに、私は下に向かっていた視線を、何とか相手の顔にまで上げて────。


 ────視線を上げて、相手の顔を見た瞬間、私は固まった。

 その顔に、見覚えがありすぎて。


「あ……ええと、真琴ちゃん、真琴ちゃんね?」


 向こうも私の顔を思い出したらしく。

 私がぶつかった相手────百合さんは、嬉しそうな表情を浮かべた。




「良かった、知ってる人に会えて。今、ちょっと迷っているところだったから、道案内を頼みたくて……」


 地図らしき紙をピラピラと振りながら、そう言って百合さんはにこやかに笑う。

 私との再会を、本心から楽しんでいるように。

 それを確認しながら、何とか辛うじて私は口を開いた。


「……どうしたんですか?お兄ちゃ……蓮さん、いないみたいですけど」


 出来るだけ平静を装って、そんなことを聞く。

 みっともなく取り乱す姿なんて、絶対に見られたくなかったから、態度だけは気を付けていた。


 小学生の頃から磨かれていた、周囲を騙すための演技技術が変なところで役に立つ。

 これのお陰で、内心はともかく、外面だけはある程度整えられたのだから。

 実際、その時の百合さんも、私の様子をおかしいとは感じていないようだった。


「うん、今日はちょっと、蓮は用事があっていないの。だけど、お母さんに呼ばれたから、そちらの家に伺うことになってて」


 料理を教えてくれるらしいから、と言いながら、百合さんは自分の顔に浮かべる笑顔を、苦笑いに変えた。

 近い内に姑となる人が、妙に張り切っていることに、少なからず驚いていたのか。


「それで、蓮に家までの地図を書いてもらったんだけどね。ちょっと、読みづらいというか……それで困っているところに、真琴ちゃんに会ったから」


 今日の私、ラッキーみたい、と百合さんははにかむ。

 さらに、補足説明代わりに、私にその地図を見せてきた。


 ──お兄ちゃん、昔が字が汚いから、それかな……。


 地図を見る前から、脳内にそんな考えが湧いた。

 昔馴染みとして、よく知っていたことだったから、推測は出来る。


 お兄ちゃんの書く字は、形が汚すぎて、時に新しい漢字すら生み出してしまうレベルだ。

 慣れていないと、読むのが結構難しい。

 酷い評価だと思われるかもしれないが、実際その時にも、お兄ちゃんが書いたその地図には、妙な文字列が存在していた。


「ええと、『ハロイ亭』……?」

「あ、そうだよね?パッと見だと、そうとしか読めないよね!?」


 途端に、嬉しそうに百合さんが顔を近づける。

 自分と同じミスを共有できたことで、心の距離を近づけたのか。


 しかし、慣れや経験もあって、私たちの感覚共有はすぐに絶たれる。

 もしかして、と思える読み方に思い当たったのだ。


「あ、だけどこれは、バス停のことかも……」

「え、そうなんだ?そう言えば、さっきそこにバス停があったのを見たけど……」

「あ、はい、多分。昔から、濁点を雑に書くし、文字と文字に間隔をあけないことがあるから、それで。『濁点とス』が、『ロ』になったんじゃないかな、と思います」


 私がそう説明すると、百合さんはおおー、と素直に感心したような声を上げた。

 そして、子どもを褒めるような口調で、こう続ける。


「真琴ちゃん、慣れてるね。私、全然分からなくて……幼馴染って、やっぱり凄いね」


 ……そう言われた瞬間、ズキン、と胸が痛んだ。

 多分百合さんは、純粋に私のことを褒めてくれたんだろうけど、その言葉は今の私にとってはキツすぎた。


 こんな、昔からの知り合いというアピールをして、お兄ちゃんの書いた文章が読めたところで、仕方が無いのだ。

 何の意味も無い。

 お兄ちゃん選ばれた百合さんの方が、私なんかよりよっぽど凄いのだから。


「……ええと、それよりも、頼みたいのは道案内ですかね。蓮さんの実家は、向こうですから」


 案内しましょう、と言って、私は百合さんに背を向ける。

 ただでさえ、二人のことを考えるだけでダメージを負うレベルのアレルギーになっているのだ。

 ここで、これ以上の会話をしたくは無かった。


「ごめんね、ありがとう、真琴ちゃん。土曜日なのに、わざわざ……」

「いえ、どうせ、私の家の方向もそっちですから」


 私の演技は、中々堂に入っていたのだろうか。

 特に不思議に思う様子もなく、百合さんはついてきてくれる。

 おかげで私は、スムーズのお兄ちゃんの実家にまで歩いて行くことが出来た。




 ……しばらく、テクテクと二人して無言で歩いた記憶がある。

 私の方からは、特に話したいことは無く。

 百合さんの方も、ほぼ初対面の中学生相手に何を言えば良いのか困ったようで、すぐには声をかけてこなかった。


 ただ、間の悪いことに、私が百合さんとぶつかった位置というのは、お兄ちゃんの実家から多少の距離がある場所だった。

 案内が躊躇われるほどの長距離ではなく、しかし無言のまますぐに終わるほどの短距離でも無い、実に中途半端な距離。

 要は、沈黙が気になってしまう程度には長い道のりだ。


 だから、その沈黙を破りたいと思ったのだろう。

 百合さんは、不意に私に話しかけてきた。


「真琴ちゃん、確か海進中学校に通っているんだよね?」

「……ええ、そうです」

「じゃあ、蓮の後輩になるんだ」

「そうですね……百合さんは、違うんですか?」


 ふと、そんなことを問い返したのには、特に意味があったわけじゃない。

 自分のことを話すよりも、相手に語らせて聞き流す方が、まだマシだと思っただけだった。

 実際、私の狙い通り、自然に会話の流れが、百合さんが自分のことを語るそれに変わる。


「そうね、私も家はこの辺りだから、校区的には海進中学校に通ってもおかしくなかったんだけど……受験で私立の中学校に行ったから、当時は海進中学校には行かなかったな。もし通っていたら、その時点で蓮の同級生だったんだろうけど」

「へえ……」


 聞き流すつもりだったけれど、つい、反応してしまった。

 地元が同じという話の通り、そこまで互いの実家間は近かったんだ、と思って。

 もしかすると今までも、互いに気が付かずにどこかですれ違っていたかもしれない。

 

 そんなことを黙々と考えているうちに。

 百合さんが不意に、何かを思いついたような顔をした。

 そして、思わず、と言った態で口にする。


「あ、でも、真琴ちゃんが通うのが海進中学校なら……もしかして、永ちゃんと知り合いなのかな?」

「永ちゃん?」


 突然投げかけられたあだ名らしきフレーズに、思わず聞き返す。

 誰それ、と純粋に不思議だった。

 呼び慣れた感じからすると、百合さんにとっては非常に親しい人のようだけれど。


「ああ、そっか。そう言えば真琴ちゃんに説明したことなかったね。蓮には話題の中で言ったことがあったから、混同しちゃってた」


 そう言って軽く謝りながら、百合さんはその「永ちゃん」について説明してくれる。


「……ええとね、一言で言えば、私と昔から仲が良い近所の子なの。その子の家と、ウチの家が前から仲良くて。その子が赤ちゃんの頃から知っている、年下の幼馴染、みたいな」

「それが、永ちゃん、さん?」

「そう。年齢は私の十歳下だから……丁度、真琴ちゃんと同い年だと思う」


 そう説明してから、百合さんはもっと良い説明を思いついた、という顔で補足を入れる。


「要するに、蓮にとっての真琴ちゃんみたいなポジションの子なの。推理小説とかの本が好きな、中学生の男の子なんだけど……桜井永嗣って、聞いたことがない?」


 ……生憎と、聞いたことが無かった。

 そもそも、私はあまり異性の友達が居ない。


 海進中学校に通っているというのなら、学内のどこかには居るのだろうけど、同じクラスになったことも無いのなら、知らないのが当然、というくらいだ。

 だから、率直に首を振って否定すると、百合さんは残念そうな顔をする。


「そっか……まあ、中学生くらいだと、異性間の距離って変に遠かったりするし、仕方ないかもだけど。永ちゃん、私とはよく話すんだけどな……あ、でも最近は、ちょっと素っ気ないかも」

「……素っ気ないんですか?」

「うん。中学生になって、途端に会話しなくなったというか……もしかすると思春期だから、女の人と話すなんて恥ずかしい、とか言い出す時期なのかな。昔は、よく手紙をくれたのに」


 こっちとしては寂しいんだけどね、と言って百合さんはまた苦笑いを浮かべる。

 それに対して、なるほど、と軽く頷いて。

 次に、いや、ちょっと違うのでは、と思った。


 連想して、頭の中でとある光景が思い出される。

 それは────小学生時代の、私の姿。

 お兄ちゃんを相手にして、会話ができなかった頃の、神代真琴


 嫌いだから話せなかったのではなく。

 相手が好きすぎるからこそ、まともに顔も見れなかった頃の、私の立ち振る舞い。

 それが不意に、今話を聞いたばかりの少年の振る舞いに、重なろうとしていた。


 ──もしかして、その「桜井永嗣」って人……。


 何の根拠もなく。

 私は、会ったことも無い「桜井永嗣」について、ある推測を考え始めていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 会ったことがない人に失恋したと気付かれるのか… [一言] ほぼ同一人物だ
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