解熱剤と私の関係
────一先ず、思い出すことも出来ない祝辞のことは置いておくとして。
そこからの私の奇行について、説明をしようと思う。
ただ、この説明は大幅に省略できる。
だって、これについては、桜井君がした推理の中で、十分すぎる程説明されているから。
二回、同じ相手に失恋する──しかも、事実上の婚約を宣言されたことで、これ以上その相手を好きでいられなくなる──という経験を経て、また私は呆然自失としてしまって。
その動揺を抱えたまま、変な行動につき走った。
生徒会選挙に出て、しばらくの間何も考えないようにする、という奇行に。
桜井君は、私のこの行動を、「自分を強制的に忙しい状況に追い込み、失恋のことを考えないようにする対処法」と推理してくれたけど。
ぶっちゃけた話、当時の私の精神状況を考えると、そこまで色々と考えていたかどうかは、かなり怪しいと思う。
勿論、そう言う期待を込めての立候補ではあった。
だけど実情を言えば、ボーっとしているうちに、生徒会選挙のポスターが目に入ったので、何となく申し込みをしてしまった、という方が正しい気もする。
例えばあれが、生徒会選挙ではなくアフリカ留学のポスターだったなら、私は今頃アフリカに居ただろう。
或いは、あれが山登りの誘いだったのなら、富士山だろうがエベレストだろうが、呆然としたまま向かっていたのではないだろうか。
そのくらい、主体性の無い行動というか、流された末の振る舞いだった。
尤も、そうは言っても、あの行動にそれなりの意味があったのも、また確かだった。
適当な振る舞いだったとしても、一応の効果はある。
レアにも後に説明したことだけど、たかが中学生内で行われるだけの選挙だというのに、ウチの中学校の選挙はやることが多い。
将来、選挙権を持つようになった頃のリハーサル、という意味もあったのかもしれないけど、何かと仰々しい上に手続きが多く、失恋について考える暇が無いのは事実だった。
だからなのか、この時期の私は、確かに心にショックを抱きながらも、泣くとか悲しむとか、そう言うことはしなかった記憶がある。
小学三年生の頃の、最初の失恋とは、その点で様子が違った。
それが、単純に選挙に参加したことで、泣くことにエネルギーを費やせなかったのか。
或いは、まだ失恋を受け入れられていなかったのか。
この時点では、正確に分かっていなかったけど。
……続きと行こう。
生徒会選挙は、そんなことを考えているうちに、何とか終わりを告げた。
一つだけ、問題を残して。
その問題というのは、選挙でうっかり当選してしまったこと────じゃない。
確かに、こんな不純な動機で始めながら、当選したのには驚いたけど──立候補している時は、心のどこかで流石に落選するだろうと思っていた──それ自体には、そこまで困らなかったと思う。
先述したように、お兄ちゃんのアパートに通うために、中学入学当初から、私は部活に入っていなかった。
だから、生徒会活動を行う時間の余裕自体はあるし、部活の両立がどうのこうの、といった揉め事は無い。
仕事に慣れるのが大変とか、そういう苦労は無いわけでは無かったけど、悩むほどでは無かった。
だから、生徒会選挙を終えた私に残った問題というのは、そこではなく。
もっと、根本的な問題だった。
簡潔に言えば────生徒会選挙が終わっても、私は全然失恋から立ち直っていなかったのだ。
ここが、桜井君の推理が間違っている点であり。
同時に、私のいじましいというか、未練がましい点だと思う。
一ヶ月近く、選挙によって目に回るような忙しさの中に居ながら、それでも私は、お兄ちゃんのことを全く忘れられなかったのだから。
桜井君が推理を間違うのも、こればかりは仕方が無い。
こんな、鬱陶しい女子の、面倒臭い感情を完全に当てるなんて、誰にも出来ないだろう。
自分自身でも、呆れてしまったくらいなのだから。
……より詳しく言うと、生徒会選挙に出たことが、全くの無駄だったわけじゃない。
散々言ったように、確かに目にも回る忙しさは、私から失恋について考える時間を奪った。
私はその時期、選挙活動で身を費やすことで、上手い具合に平静を装うことくらいは出来たのだ。
だけど、それはあくまで、一時的な物だった。
当たり前と言えば当たり前の話なのだけど、選挙期間中しかその効果は続かず────当選して時間に余裕が出た瞬間、普通に失恋に落ち込む時間が増えたのだ。
思うに、私にとってのあの選挙活動は、例えるなら解熱剤のような物だったのだろう。
病気をした時のことを思い出すと分かると思うのだけど、解熱剤を飲むと、結構大きな病気であろうと、スッと熱が下がる。
場合によっては、病気なんて全くしていないかのように、元気に動くことすら出来る。
だけどあれは、本当にただ、熱を止めているだけだ。
病気を治しているわけじゃない。
あれは単純に、痛みと炎症を抑えるためだけの薬なのだから。
軽い風邪だと、痛み止めが聞いているうちに身体が病期に対処するので、さも、「薬のお陰で病気が治った」かのように見えるけれど。
実際には、解熱剤自体には病気や傷を治すような力は無い。
せいぜい、「病気が治りやすいように環境を整える」までだ。
つまり、当然のことながら、もっと重い病気に解熱剤だけを使うと、薬の効果が切れた段階で、また熱がぶり返すことになる。
そしてそれは、身体が病原体を退治しきるまで続くだろう。
解熱剤は所詮対処療法であって、根治を目指す物じゃないのだから。
当時の私の状態というのは、まさにこの「解熱剤の効果が切れた患者」そのものだった。
選挙活動という痛み止めがなくなったことで、心の痛みを抑える物が無くなってしまったのだ。
生徒会活動自体はあるけれど、慣れてしまえばそう忙しいものではなく、解熱剤の効果は無い。
そうなると、私が不意に落ち込んだ時とか、失恋した時の様子とかを思い出した際、それを止める物はどこにもない訳で。
私の落ち込みは、深く、酷くなっていった。
当時の思考がどのくらい酷かったかと言うと、ほんの少し放課後に空き時間が出来ただけで、「ああ、以前ならこういう時間はお兄ちゃんアパートに行っていたんだけどな」などと思い出して、それだけで泣いてしまっていたくらいだ。
それどころか、無関係の人からお兄ちゃんや百合さんの話題を聞くだけで、身体が強張り、息が浅くなっていた。
つまるところ、私はすっかりアレルギーのような状態になっていた。
しかも、普通のアレルギーなら、原因物質を取り込まないようにすれば症状が良くなるけど。
私の場合は、考えまい考えまいとしても、原因物質たる二人のことを、どうしても考えてしまうところがあった。
あの二人は今、結婚の準備をちょっとずつしているのかな、とか。
私のことは、特に考えていないんだろうな、とか。
……全部、私の独り相撲だったのだろうな、とか。
そんなことを一々考えては、しっかり落ち込んでいた。
我ながら純情というか、異常というか。
……しかし、今思えば。
選挙活動が解熱剤に過ぎなかった以上、これは妥当な展開だった気もする。
だって私は。
失恋を乗り越えるとか、心の中で整理を付けるとか、そう言うことを一切せずに。
ただ、逃げたのだから。
それについて深く考えるのは心が痛みすぎるから、と考えて。
別のことで、一時的に気を紛らわせただけなのだから。
しかし、いくら逃げても、気を紛らわせても。
失恋したという事実と、それに対して感じたショックは変わらない。
解熱剤を飲んでも病気が治らないように。
別のことを考え続けても、失恋の傷が癒えるとは限らない。
そう言う意味では、最初の失恋をした頃の私の方が、失恋からの立ち直りという点では中学一年生の私より優れていた。
遥かに、ちゃんとしていた。
だって、あの時の私は、誰にも言わず、一人で頑張って──再燃する程度の未練は残しつつも──立ち直ったのだから。
泣いて、苦しんで、色々変な演技をしながらも、その想いを風化させる域まで辿り着いたのだから。
この時の私とは、雲泥の差だ。
これほどの差が生まれたのは、今回は婚約という、もう手が届かないところにまで相手が行ってしまったせいか。
或いは中学生になり、より恋愛について深く理解したせいだろうか。
何にせよ、私はこの時、一人では立ち上がれなかった。
私がその辺りに整理を付けるのは、もう少し後。
桜井永嗣という少年について、知ってからのことだった。
ここが、桜井君のもう一つの推理ミスとなる。
分からなかったのも、無理はないけど。
ああ、そうだ。
桜井君について知ったのは、この時期のことだ。
決して、つい最近、お兄ちゃんたちが結婚してからの話じゃない。
時期としては、その一年前。
私の生徒会選挙が終わり、多少の時間が経った頃。
中学一年生の冬の時点で、私は一方的ながら、桜井君のことを知るようになっていた。




