初恋の亡霊と私の関係
……この言葉を受けてから、私はどうしたのだろうか。
素直に、喜んだのだろうか。
それとも、順当に当惑したのだろうか。
少なくとも、短絡的に「やった、これでまたお兄ちゃんにアタックできる!」みたいな、そんなことは考えなかったと思う。
年齢的にも、もう中学一年生になる頃の話だ。
元々──自分で言うのも変な話だけど──大人びた感じのある子どもだった私は、以前よりもさらに成長して、冷静な思考が出来るようになっていた。
だからその時点で、私はちゃんと、色んな事実を客観的に考えることが出来ていたと思う。
例えば、おばさんのその申し出はあくまで昔からの知り合いだからこそ頼んでいるだけで、別に私の初恋を応援してのものではない、という認識。
或いは、お兄ちゃんが歓迎してくれるといっても、それはあくまで幼馴染と久しぶりに会えるからであって、依然として私が恋愛対象としては相手にされていないのに変わりはない、という推測。
そう言うことを、私はちゃんと理屈として理解できていた。
簡単に言えば、過度な期待をしないよう、自分を律するくらいのことはもう出来ていて、だからこそすぐに喜ぶようなことはしなかった、ということだ。
もっと言えば、理屈だけでなく、感情的にもすぐには喜べなかった。
これは偏に、状況の激変についていけていなかった、という理由による。
だって、仕方がない。
この時の私の心境は、低俗な比喩を使うなら、「外れだと分かって捨てる予定だった宝くじに、まだ一等当選のチャンスが残っていることに気が付いた」みたいな感じだった。
既に終わったものと見なしていた場所に、新たな可能性が生えてきたというか。
こういった、ゼロから百への急変化は、歓喜よりも当惑を呼ぶ。
私もその例外ではなく、すぐにお兄ちゃんに会いに行こう、またあの人のことを好きになろう、とは中々思えなかった。
────そう言った理由から。
私はしばらく、住所まで教えられた新しいお兄ちゃんの家に、行くことはしなかった。
中学校の制服が届いて、親しい人に制服姿を見せに行きなさい、と言われても。
我妻家の人が入学祝をくれる、と言ってきても。
お兄ちゃんに対して、少なくとも私の方からは、直接会いに行くようなことはしなかった。
多分、それは上述した当惑のせいでもあったし。
同時に、本当に心の行き先を決め切れなかったから、なのだろう。
再びフリーになったお兄ちゃん相手に、またあの初恋を持続させるべきなのか。
或いは、この三年程で、かなり失恋の傷を癒してきたのも事実なのだから、もう脈は無いと思って諦めるのか。
理屈から言えば、このまま諦める路線で進むのが正しそうなのは分かっていて。
しかしそれでも、自分の心の中を探し回れば、当然お兄ちゃんを真剣に好きでいる気持ちが無いわけでは無くて。
思わぬ形で蘇ってきた初恋の亡霊に、私は悩み、苦しんでいた。
こんな形で始まった私の苦悩は、かなりの間続いたと記憶している。
それこそ、中学校の入学式を終え、四月も終盤を迎える時期になっても、まだ悩んでいた。
おばさんの話を聞いてから、二ヶ月近くもの間、私はこの亡霊を相手取っていたのだ。
……まあ、ただ。
今振り返って思うのだけど。
なんだかんだ言いながら、この時期に、私が部活に入らなかった時点で、その心は決まっていたのかもしれない。
いくら海進中学校が、部活動について自由参加と定めていて、桜井君のように最初から入る気が無い生徒が多かったにしても。
私の周囲には、部活に入っている子が結構いて、何なら多数派ですらあった。
その中でも、私が頑なに部活に入らなかったのは、多分。
部活に入れば、お兄ちゃんのアパートに行く時間が減ってしまうと、無意識に考えた結果なのだろうから。
……もしこの推論が正しいのなら、私の無意識は、自覚している私の思考より、余程未来が見えていたことになる。
だって、五月に入り、ゴールデンウィークになった頃。
私はいよいよ根負けして、お兄ちゃんのアパートに向かったのだから。
私の無意識が察した未来は、的中した。
しゃあしゃあと、「入学以来ドタバタしていて、中々来る機会が無かった」などと嘘を言って。
初めての失恋以来、無駄に磨き上げられた演技力で、その嘘を貫き通して。
私はまた、お兄ちゃんの家に入り浸り始めた────。
お兄ちゃんにとって新居となるそのアパートを、私が訪れた時。
久しぶりに会うお兄ちゃんの対応は、昔と殆ど変わらなかった。
まず、「大きくなったなあ」というお決まりの挨拶があって。
その後、少額だけどお小遣いをくれて。
一緒に最近の互いの話をして。
食事とかをしてから、程々のところで帰る。
お兄ちゃんが帰省するたび、何度もあったやり取りだ。
それを、未だにやってくれていた。
お兄ちゃんの方も、就職したばかりということで、色々と疲れていたはずなのに。
我ながらチョロイと思うのだけど、たったこれだけのことで、私の中の「初恋」はものすごい勢いで再燃していったと記憶している。
そもそもにして、明確に振られたとかじゃなくて、私が一人で処理を付けたような形で失った初恋だ。
諦める理由がなくなり、さらに直に会ってお兄ちゃんの優しさを身に染みてしまうと、もう止まるのは無理だった。
しかも不味いことに──当時の私としては嬉しいことに──中学生になったことで、私はスマートフォンを所有するようになっていた。
当然、現代らしく「じゃあお兄ちゃん、友達登録するからQRコード出して」という話になる。
そうなるともう、距離すら大して関係が無かった。
お兄ちゃんの方も仕事があるので、昔ほど頻繁にとはいかなかったけど、それでも以前と同程度の親密さを獲得するようになるまで、大して時間はかからなかったはずだ。
声を聴くくらいなら、もうどうにでもなってしまうのだから。
お兄ちゃんに初任給が入ったからご馳走でもしよう、と言ってきた時にはぞろぞろとついて行って。
彼が新しく車を買ったと聞けば、意味もなく見に行って。
とにかく、接点を持とうとしていたと思う。
少し前までとは、完全に逆転した対応だ。
おばさんや私の母親は、「昔の真琴を思い出すねえ」とか、よく言っていた。
お兄ちゃんからしても、その様子は微笑ましい物に映っていたのだろう。
アパートを訪れるたびに、お兄ちゃんは昔以上によく可愛がってくれた。
そのことが、私の想いをさらに加速させて、私はまた通い詰めて。
それを受けて、お兄ちゃんがまた可愛がってくれる。
こんなサイクルを、中学一年の夏休み明けくらいまで続けたと思う。
ある意味では、私の初恋の絶頂期は、この時期だったのかもしれない。
以前よりも連絡が取りやすく、かつ親しくなれて、お兄ちゃんが就職したことで移動範囲も増えている。
あらゆる条件が私にとっては幸運で────存分に、「恋する乙女」が出来たのは、幸福だったと言えるだろう。
だが、しかし。
少し、これまで語ったことと矛盾するような振る舞いになるけど。
私は、この状況でも、決して告白はしなかった。
毎週のようにお兄ちゃんのアパートに通いながら、だ。
いや、それ以前に、私がお兄ちゃんを真剣に好きでいることを、悟られるようなことが無いように努めていたと思う。
例の、小学三年生からの演技は、この時点でも続けることで、そこは乗り切っていたはずだ。
この辺り、いくら初恋が再燃したとはいえ、私も多少は冷静だったのだろう。
なまじ、中学一年生という、恋だの愛だのが生々しく感じられる年齢に────かつて言われた、「ケッコン」の意味も十分に理解できる年齢になったからこそ。
お兄ちゃんのような社会人が、いくら幼馴染とはいえまだ中学生でしかない私と付き合う可能性について、リアルに計算できるようになっていた。
だって、普通に考えれば、社会人と中学生のカップルなんて、まず無理だろう。
仮にそれが成立して、私に手を出した場合、お兄ちゃんはまず間違いなく法に触れる。
そう言う事情は、流石に分かるようになっていた。
……だから、当時の私は「もう少し時間が経ってから自分の想いを伝えよう」などと考え始めることになる。
今気持ちを伝えたところで、どう考えてもお兄ちゃんを困らせてしまう。
だったらせめて、高校生くらいになり、私を子どもと言えない年齢になってから、告白しよう、と。
ずっと好きだった、と。
昔から変わっていない、と伝えよう。
後で知った話だけど、この辺りの考え方は、後に出会う桜井君の初恋相手に対するそれと、ほぼ同じ思考だったらしい。
やっぱり私たちは、どうしようもなく似ている。
本来疎んでいたはずの年齢差を、勇気が出ないことを隠す理由付けにしてしまう点が、特に。
ああ、それと、もう一つ。
そんなことを考えていたせいで、相手に訪れていた変化に気が付かなかった、という点も、よく似ていた。
だって、私は、気がつけていなかったのだから。
お兄ちゃんが加代さんと別れた、という話は聞いていても────新しい彼女が出来ていない、と断言されていないことに。
私は、「その時」が来るまで、気がつけていなかった。