表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バウムクーヘンと彼女と謎解きと  作者: 塚山 凍
Episode reverse:謎解きと彼とバウムクーヘンと
77/94

初めての彼女と私の関係

 全て、後から聞いた話だ。

 その加代さんという女性は、お兄ちゃんにとって初めて出来た彼女だったのだという。


 二人の知り合う切っ掛けは、どんなことだったか。

 確か、大学のサークル活動とか、言っていた。


 何でも、シンカンのノミカイ──当時の私は単語の意味も知らなかったが、多分「新歓の飲み会」だろう──で偶然席が隣になり。

 それ以降親しくなって、ゴールデンウィークあたりでさらに仲良くなり。

 ……気が付いた時には、もう付き合い始めていた。


 そんな経緯を、お兄ちゃんは両親に説明していた。

 何でも、おじさんやおばさんの方も、息子に彼女が居るなら、一度会ってみたい、という感じのことを前々から言っていたらしい。

 お兄ちゃんは、その約束を果たした形になっていたようだ。


 そして、家に入ったお兄ちゃんがそんな説明をする中。

 私は、一体────どんな顔をしていたのだったか。


 悪態をついた記憶はない。

 泣き喚くようなこともしなかった。

 ただただ、呆然としていたと思う。


 ある程度は、仕方が無いだろう。

 私としては、初恋の人と、ようやくの再会、という気分だったのだから。


 その場で突然、彼女出来たから、と言われても、反応が思いつかない。

 結果、何の反応も返せず、その場でフリーズしてしまっていた。


 少し前なら────クラスの男子に馬鹿にされただけで、喧嘩を吹っかけていたくらい、直情的だったあの頃なら。

 もしかすると、地団駄踏んで抗議したのかもしれないけど。


 流石にもう、そんなことは出来なかった。

 やったところで、お兄ちゃんを困らせるだけだと、分かってしまっている。


 「好き」という気持ちを、人を傷つける理由にしてはいけない。

 他ならぬお兄ちゃん自身に、教えてもらったことだ。

 それを破って、私が加代さんに何かした場合、私がどう見られるかなんて、想像する必要すらなかった。




 だから。

 私はせいぜい、愛想笑いを浮かべて。

 その夏休みの間、場を流すことだけに、終始していたと思う。




 ……唯一、この時の私にとって幸いだったことは、その時の加代さんが、あくまで顔見せに来ただけだった、という点だ。

 彼女は、その日一日我妻家に滞在していたが、その後は普通に自分の実家に帰って行った。


 というより、これは話が逆で、加代さんの実家がこの県内にあることから、実家への帰省前に我妻家に寄ってもらった、という流れだったらしい。

 あくまで、我妻家に帰省したのはお兄ちゃんだけであり────事実、それ以降私は加代さんと、直に顔を合わせる機会は無かった。


 これは、当時の私の精神状態を考慮すれば、かなりの幸運だったと言えるだろう。

 仮に、その後も加代さんが近くに居て、私が外に出るたびにバッタリ出会うくらいだったなら、ただでさえショックを受けていた私は、より一層情緒不安定になっていたことだろうから。

 何なら、お兄ちゃんの教えすら忘れて、何か変なことでも口走ったかもしれない。


 だからこそ、私が加代さんに会わなかったのは、お互いにとって幸福だったのだが────悲しいかな、帰省してきた張本人たるお兄ちゃんに関しては、そうはいかない。

 だって、自分の実家に戻った加代さんはともかく、お兄ちゃんの方は、夏休み中我妻家に居るのだから。


 そして当然ながら、私の初恋に気づいていないお兄ちゃんは、それから夏休みの間、普通に話しかけてくる。

 以前のように。

 何かとマメで、優しい、近所のお兄さんとして。


 本当は、ずっと望んでいたことだ。

 望んでいたはずのことだ。

 お兄ちゃんが、またこうやって近くにいるようになることは。


 だけど────その時は、無理だった。

 自分の受けたショックすら、まだ十分には処理できていないくらいだったのだから。

 彼女が居て、大学生特有の長い夏休みも手に入れて、随分と幸せそうな顔をするお兄ちゃんとは、とても話せる状態じゃなかった。


 まだかな、まだかな、と言っていた夏休みは。

 いつの間にか、早く終わらないかな、と思ってしまうような時間になった。

 まだかな、まだかな、と最後の日の到来を待ち望む、そんな時間に。


 ……それでも、家の位置関係的に仕方が無いのだが、お兄ちゃんは夏休みの間、普通に話しかけてくる。

 そうでなくとも、狭い地域の話なので、何かとバッタリ会ってしまう。


 だからだろうか。

 この頃から私は、随分と演技が上手くなっていったように思う。

 お兄ちゃんに、本心やかつて考えていたことを悟られないための、演技が。


 およそ、小学生に求められるようなスキルでは無いのだろう。

 だけど、その演技は、私が私でいるために、どうしても必要なものだった。


 ただでさえ、初恋の人に彼女が出来た、というだけで十分すぎる程ダメージを負っている。

 それに加えて、「え、真琴、もしかして俺の事、本気で好きだったの?ごめん、気が付かなかった」などとお兄ちゃん本人に言われるのは、どうしても耐え難い。


 というより、それは何の地獄だ。

 普通に告白して振られるよりも、ずっとキツイ展開になってしまう。

 どんな努力をしてでも────お兄ちゃんに、私が失恋してショックを受けている、ということを悟られたくは無かった。


 ……そう決めていたからこそ、私は夏休みの間、お兄ちゃんと完全に関係を断ち切ったり、無視したりすることはしなかった。

 それだと、私がお兄ちゃんを好きだったことが悟られてしまう。


 お兄ちゃんが少しでも私の様子を不審に思って、「何か最近真琴が冷たいな……もしかして、俺に彼女が出来たからか?」とか言い出したら、それだけでアウトだ。

 万一謝られたり、正式に振られたりしたら、それはもうキツイを超えて、惨めですらある。


 ただ、より親しくなる────要するに、加代さんからお兄ちゃんを奪うとか、そう言うことも、私には出来なかった。

 そもそもにして、そんな度胸は無いし。

 そうでなくとも、お兄ちゃんが私のことをそう言う対象として見たことが無いのは、加代さんのことで証明されているし。


 それ故に、お兄ちゃんと会話せざるをえない時には、出来る限り普通に。

 以前の、「親しい幼馴染」くらいのスタンスで、会話するように努力する。

 仲良くはあるが、それ以上ではない、という立ち位置を、持続させる。


 そんな演技を、夏休みの間中続けていた。

 ただただ、自分の心を守るために。


「……去年あたりは何かそっぽ向いていたけど、やっぱりあんたたち、仲良いわねえ」


 詳しい事情を知らないおばさんや、私の母親は、そんなことをよく言っていた。

 如何にも、微笑ましいものを見つめるようにして。

 私がその奥で、どうにも見苦しいあがきを続けているとは、露ほども想像していない様子で。




 この演技は、私にある程度負担のかかる振る舞いだったが────これまた幸いというか何というか、夏休みと言う物はどうしたって終わりが来る。

 四十日近くそんなことをしているうちに、何とか小学三年生の夏休みは終わった。

 お兄ちゃんも大学近くのアパートに戻り、とりあえず、私の精神を揺らす危機は去ったのだった。


 お兄ちゃんがアパートに戻ったことを確認して、心底、ホッとしたことを覚えている。

 良かった、お兄ちゃんの前で無様を晒さずに済んだ、と。

 しかし同時に────そう考えていること自体が、哀れでもあった。


 だって要するに、私はお兄ちゃんに気持ちを伝えることも無いまま。

 ひたすら、その想いを隠すことだけに努力をしてきたという事を、その安堵によって証明しているのだから。

 安堵と言えば、普通は安心を引き連れてくるものだが、その時の私にとっては、哀惜を伴うものだった、ということだ。


 尤も、この感覚を境にして、演技で頭が一杯になっていた状態から冷静になり、自分を見つめ直す機会となったので、悪いことばかりでも無かったけれど。

 演技をする必要すらなくなって、ようやく────私は、「失恋」という物を自覚し始めたのだから。


 ……多分、神代真琴という少女は、恋をするにしても、それを失うにしても、自覚までに時間がかかるタイプだったのだろう。

 初恋を自覚するまでに、それなりに時間がかかったのと同様に。

 失恋を自覚するまでにも、夏休み一杯が終わるまでの時間が必要とした。


 一か月以上の時間をかけて、ようやく。

 私は、初めての「失恋」を自覚した。

 ……十歳も年齢差があるのだから、成就しないことの方がある種当然なのだ、という常識と共に。


 これが、私の一回目の失恋だった。




 それから私がやったことは、まあ、普通の反応だったと思う。

 夜中にこっそり泣くだとか。

 お風呂に入っている時に、不意に悲しくなるだとか。


 そう言う、失恋した女の子がしそうな大体のことは、ここでコンプリートした。

 それをしたところで、気分が晴れる訳でも無かったけど、やらざるを得なかったというか。

 自然と、身体がそんな方向に動いてしまった、という感じだった。


 最初は、ただただ泣くことを続けて。

 その次に、ひたすら落ち込む段階を続けて。

 その果てに、やっぱり未だに好きだなあ、という感情を確認する。


 そんなサイクルを、一週間くらい、飽きることなく続けた。

 それほどまでに、私の初恋は重たく、しつこく────同時に、私にとって大切なものだった。


 この反応は、もしかすると、あまり一般的な物では無いのかもしれない。

 人によっては、「初恋」なんてものは、気が付かないうちに忘れていたり、失恋しても数日で忘れてしまったりする場合もあるらしい、と聞いたことも有る。

 私のように、しばらく泣き暮らすような女子は、珍しいタイプなのかもしれなかった。




 ただ、この泣き暮らすサイクルもまた──他人に見られたらドン引きだっただろうけど──悪いことばかりでは無かった。

 というのも、それ程までに重い通過儀礼をこなしたおかげか、次の年からのお兄ちゃんの帰省に関しては、私は最初の時より、遥かに上手く対応できたのだ。


 極端に動揺することも無く、極端に悲しむことも無く。

 ちゃんと、「久しぶりに会う年上の知り合いを迎える女の子」の演技をすることが出来るようになっていた。

 終いには、「こんなに私と遊んでいると、彼女さんに怒られるよ?」なんて、からかいの種にしていたくらいだったのだから、かなりの回復と言えるだろう。


 もしかしたら────もし、このまま時間が経過していたなら。

 お兄ちゃんが、加代さんと上手く行き続けていたのなら。

 私にとっての一回目の失恋は、そのまま静かに終わっていたのかもしれない。


 その内、昔はお兄ちゃんが好きだった時期もあったなあ、と偶に思い出す程度の、想い出に変わって。

 また、別の人を好きになることだって、出来たのかもしれなかった。




 ……しかし、その失恋から三年近く経過して。

 私が小学六年生になろうか、という頃になって、また事態は動き出す。

 というか、ややこしくなってしまう。


 だって────お兄ちゃんが、加代さんと別れた、というのだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] ヘビーな過去だ [一言] 小学生の芸当じゃない
[良い点] 読んでいて「うわー!」っと心で叫んでしまいました。 神代さん一度じゃなくて、二度だったんですね。 [気になる点] 永嗣の推理の中で「神代さんが随分と献身的」な点も気になっていましたが、「神…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ