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バウムクーヘンと彼女と謎解きと  作者: 塚山 凍
Episode reverse:謎解きと彼とバウムクーヘンと
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初恋と私の関係

神代視点の回想です。

幼少期の振り返りから始まりますので、長くなりますが、どうかお付き合いください。

 蓮のお兄ちゃん、と言えば、私にとっては家族以上に見知った存在だった。

 一緒に居ることが当たり前、というか。

 会話しない方が、不自然に思えるくらいというか。


 何というか、お兄ちゃんは、さながら空気のように。

 私の近くに存在しているのが当然、という認識の相手だった。


 どれくらい古い付き合いなのか、分かりやすい例を出すならば────私の人生において、時系列的に最も古いであろう記憶が、「お兄ちゃんと一緒に遊ぶ記憶」になる程、と言えば理解できるだろうか。

 幼少期の神代真琴と、一番触れ合った人は誰か、と問われたのであれば、間違いなく彼になる。


 ……まあ、自分で振り返っておいて、なんだけど。

 昔ならともかく、現代でこれほど親しいご近所さんというのも、ちょっと珍しいのではないかと思う。


 実際、私やお兄ちゃんの家からほど近いところに住んでいる舞──すずもり文具店の娘だ──は、お兄ちゃんとはあまり親しくない、とかつて言っていた。

 いくらご近所さんとはいえ、私と舞のように年齢が近いとか、そう言うことがなければ、大して仲良くもならないのが、普通だ。


 それなのに、私とお兄ちゃんは仲良くなれた。

 これには、当然だけれども、理由がある。

 大きく分ければ、二つ、だろうか。


 一つは、私の家庭環境。

 旅行会社勤務という事で出張の多い父と、主婦ではあるが、病気がちな両親──私の祖父母だ。丁度私が生まれた時期から、身体を悪くしている──の世話をしている母。

 

 そんな夫婦の間に、私は生まれた。

 要は、両親とも家を空ける時間が長く、誰かに私の世話を頼む必要があった、ということ。


 そしてもう一つが、私の母と、お兄ちゃんの母親──私は昔から、おばさんとだけ呼んでいる──の関係。

 実はこの二人、高校の先輩後輩の関係で、昔から親しかったらしい。

 厳密に言うと、私の母が所属していた吹奏楽部に、OBであるおばさんが指導をしに来ていた、というのが関係の端緒だったそうだけど。


 そもそも、私の両親がこの地域に新居を構えたこと自体、おばさんの誘いがあったからだ。

 学校も近いし、住み心地が良いから、という理由で勧めたと言っていた。


 ────要するに、我妻家と神代家は、ただ家の位置が近いのではなく、私が生まれる前から親しくしていた、ということだ。

 そう考えると、私にとってお兄ちゃんの存在が「当たり前」となったのは、ある種自然なことだったのかもしれない。

 桜井君に説明した通り、留守番も出来ないほど幼い頃は、しばしば我妻家に預けられていたのだから、猶更。


 無論、私の主観だけでなく、我妻家人の方も、それを昔から「当たり前」としてくれていた。

 私は当然覚えていないが、お兄ちゃんは十数年前、私のオムツを取り換えたことすらあったというのだから、その関わりは随分と深い。

 私の人生は、その大部分を実の両親と、我妻家の人々に見守られるようにして流れていた、と言ってもいいだろう。


 会社員をしているおじさんは、しばしばこっそりとお小遣いをくれたし。

 塾の講師をしていたおばさんは、学校の先生よりも分かりやすく授業を教えてくれて。

 そして────十歳年上のお兄ちゃんは、いつも、私を可愛がってくれた。


 今でも思うのだが、お兄ちゃんは────すなわち、当時まだ中学生から高校生くらいだった我妻蓮という人は、我妻家の中でも、飛びぬけて優しかったと思う。

 もっと言えば、何というか、非常にマメな人だった。


 多分、元から子ども好きな人だったのだろう。

 彼は昔から何かと私を気にかけてくれていて、一緒に遊んでくれた。

 トランプにせよ、オセロにしろ、女児向けアニメにしろ────嫌な顔をせず、付き合ってくれた。


 それも、私の方から一緒に遊んで、と頼んだ末にそうしてくれる、というわけではない。

 どちらかというと、お兄ちゃんの方から「真琴、暇してないか?」と言って、率先して遊んでくれていた。

 お兄ちゃんと一緒にいる限り、私は退屈を感じたことがないと言ってもいい。


 総じて、言えば。

 私の幼少期は、計り知れないほどの愛に包まれていた、という事だ。


 本当に、幸せすぎてどうしよう、と思うくらい。

 幼少期の私は、毎日が楽しくて仕方がなかった。




 ……こういう環境で育ったからこそ、思う。

 私が、我妻家の人と仲良くなるのが、自然な流れであったように。

 私が、お兄ちゃんに────我妻蓮に初恋をしたのは、必然だったんじゃないかな、と。




 ……いつから、その想いを自覚していたのだろう?

 自分は、この「お兄ちゃん」と呼ぶ人の事が、どうしようもなく好きなのだと。


 幼稚園に通う頃には、既に好きだ好きだと繰り返し言っていたらしい、とは互いの親から聞いたことはあるのだけれど。

 それを言い始めた時期に関しては、あまり覚えていない。


 ただ、一つ分かっているのは。

 あくまで、その時期の「好き」というのは、親愛の域を出ていなかっただろう、という推測だ。


 恐らく、その頃の「好き」は、あくまで子どもの言うところの「好き」でしかなかった。

 仕方が無いことではあるのだが、ちゃんとした恋愛感情からは遠かったはずだ。


 その頃はまだ、恋人とか恋愛とか言う概念も知らない時のお話。

 自分が両親の子どもとして生まれてきたのは、コウノトリが働いてくれたからだと、本気で信じていた時期の理解。


 私が「お兄ちゃん大好きー!」と幼稚園やら小学校やらで繰り返し言っていたのは、その意味を理解していたからではなく。

 あくまで、自分に優しくしてくれる人に返す、お礼の言葉のような物だった。


 小さな子どもが、父親に向かって「大きくなったら結婚してあげるね!」というのと、状況としては近いんじゃないかな、と思う。

 私の場合、父親よりもお兄ちゃんの方が接する機会が多かったので、対象が彼になっていた。


 だからというか、何というか。

 私のそんな言葉は決して本気にされておらず、お兄ちゃん本人ですら「はいはい、分かった分かった」と流していたくらいだった。




 では────その、子どもらしい愛情表現が。

 本当の意味での、「初恋」に変わったのは、何時だろうか?




 これに関しては、自分でも意外なのだけど、はっきりと覚えている。

 確か、小学二年生の、夏の時期だ。


 当時、私は普通に、自宅から一番近い小学校──桜井君とは別の校区だったので、彼とは違う小学校だ──に通っていて。

 凄く勉強が出来る訳でも、全く出来ない訳でもなく。

 友達との関係に悩むほどではないが、仲の悪い生徒が居ないわけでも無い────そんな、ごく普通の小学生ライフを送っていた。


 そんな中で、一度。

 私の方から、揉め事を起こしてしまったことがある。

 それこそ、「初恋」の端緒になった。




 ……きっかけは、どんなことだったか。

 私の記憶が正しければそれは、放課後に誰に家で遊ぶかで、クラスメイトたちが盛り上がっていた時のことだったと思う。


 クラスメイトの人数が少ないせいか、その話し合いは男子も女子も、一緒くたになって話していた。

 今日はどこに行こうか、とか、どのゲームソフトを持ってこようか、とか。

 そんな話を、休み時間を使って行っていた。


 しかし、その日、私はその輪の中に居なかった。

 というのも──詳細は忘れたが──その日は、我妻家の方で、ちょっと用事があったのだ。

 多分、私も連れて外食をしてくれるとか、そう言う感じの話だったと思う。


 そう言う訳で、私は放課後になると、すぐに家に──我妻家へ──帰らなければならなかった。

 つまり、クラスメイトたちの言うその遊びには、時間的に参加することは出来ない。


 だから、私はクラスメイトたちの話に加わることなく、淡々と休み時間を過ごしていた。

 よくあることだ、とは思いつつ。


 ……しかしそれを、誰かが見咎めたのだろう。

 あれ、真琴ちゃん、今日は一緒に遊ばないの?という風に。


 当然、私は事情を説明しようとしたはずだ。

 しかし、私がそれを言う前に、口を挟んできた人物がいた。

 話し合いに参加していた、男子の一人だ。


「いいじゃん、そいつ、また『お兄ちゃん』と一緒なんだから。俺たちと遊ぶ気なんて、どうせ無いよ」


 字面だけでは分かりにくいと思うのだが、この言葉は、子どもには似つかわしくない程、憎々し気に語られていた。

 相手を馬鹿にしていることが丸わかりのセリフ、というか。

 そして彼は、次にこう続けた。


「十歳上とか、絶対ケッコン出来ないのに、馬鹿だよな、ほんと!」


 多分、その言葉の意味を、全く分かっていなかったと思う。

 だけれど、それを言ってから、へへん、と彼は得意そうな顔をした。

 言ってやったぜ、という感じというか。


 ……今思い返しても、酷い発言だ。

 およそ、他者に投げかける言葉ではない。


 ただ、かなり後になってから思ったのだが────あの男子の方も、必死だったのかもしれない。

 平たく言えば、彼はどうしても、私の注意を引きたくて仕方がなかったのだろう


 私は、この時までも何度か、「お兄ちゃんと用事があるから」と言ってクラスメイトからの遊びの誘いを断ることが多かった。

 きっとあの男子は、それを面白く思わなかったのだろう。

 そこまで行かなくても、もっと一緒に遊びたいのに、と思っていたのかもしれない。


 そう言う子からすれば、何かと私が遊ばない理由に持ち出す「お兄ちゃん」のことは、どうしたって好意的に見れない。

 寧ろ、「お兄ちゃん」よりもこっちを優先して欲しいのに、と思っていたはずだ。

 そんな思いの果てに、大人たちから妙な単語を聞いてきて、例の発言に至ったのだろう。


 或いは────もしかするとあの子は、幼いながら、私のことをちょっと気になっていたのかもしれない。

 好きな子ほどイジメたくなるという、アレだ。


 それで、必要以上にちょっかいをかけ、悪意的な言い方をした、という可能性もある。

 こっちの方を向いてくれよ、みたいな意味合いで。


 ……まあ、要するに何が言いたいかと言えば。

 所詮は小学生の挑発であり、意味が分かって言ったわけでは無いだろう、という事だ。

 言われた私でさえ、結婚だの何だの言うことは、よく分からなかったのだから。


 私に分かったことは、ただ一点。

 どうやら、お兄ちゃんに関連して悪口を言われたらしい、という事だけ。


 しかし、それだけでも。

 当時の私が怒るには十分すぎた。

 あっという間に私は理性を失くし────その男子に、拳を固めて殴りかかった。


 ……そこからはもう、目も当てられないくらいの大喧嘩。

 もう少し年齢が上なら、男子と女子の喧嘩では勝負にならなかっただろうけど、生憎と小学二年生の男女差というのは、かなり小さい。

 私たちの場合も、その差は小さく────何なら、私が優勢だったくらいである。


 恐らく、そのままやり続けていたら、私は勝っていただろう。

 しかし、私たちが喧嘩をしたその場所は、先述した通り教室だった。

 当然、喧嘩が始まって数分経った頃には教師が乱入してきて、私と相手方の男子は職員室に連行される羽目になった。


 それ以降の流れは、鮮明には覚えていないけれど、大体想像出来る。

 事情を聞かれて、手当もされて。

 両方悪い点がある──男子は暴言、私は先に手をあげた点──という事で、教師から長々と怒られた。


 説教の途中からは、叱られてしょぼんとしてしまった男子は、何度も謝ってきた記憶がある。

 ……最後まで、私は謝らなかったけれど。

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[良い点] だいぶファンキーな神代さん [一言] 男子くんかわいそう…
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