神代真琴と桜井永嗣の不思議な関係(Episode final 終)
「そう言う訳で、這う這うの体で『第一の謎』は終わったわけだけど……この段階に来て、また君は問題に直面した。……ネタ切れ、という問題に」
確認も兼ねて、重要な点を口に出す。
返事は無かったが、頷きはあったので、あっている物と考えて話を進めた。
……この時の彼女が陥った状況を、平易に説明するなら、僕に持ちかけるべき謎が無くなってしまったのである。
当然と言えば、当然のことだ。
そもそもにして、「第一の謎」しか考えていなかったのだから。
今だからこそ思うことなのだが、なまじ僕が真剣に謎解きをしてしまい、「第一の謎」を一日で解かれてしまったのも、彼女の首を絞めたのかもしれない。
多分彼女は、僕が「第一の謎」を解くのにそれなりの時間がかかると予想し、その間に次の謎についても考えておこう、と考えていたのだと思うのだが────。
僕が次の日に推理をしたために、思っていたよりも早く「第二の謎」を紹介しないと、不自然になってしまったのだ。
しかし、そう焦ったところで、謎などそうそう見つかるものでもない。
というか、仮に不思議なことがあったところで、それが謎解きを必要とするほどの難題であるとは限らない。
ただ単に謎を探しているのならともかく、彼女の場合は、あまりにも簡単な謎では困るのだ。
彼女の目的が「僕を失恋から立ち直らせる」である以上、一回の謎解きでそれなりの時間、僕を推理に集中させる必要があるからである。
謎が簡単すぎて、数分考えるだけで解けてしまっては、失恋から意識を逸らすことも出来ない。
彼女が提案する「四つの謎」は、それなりの歯ごたえが求められる、という事だ。
しかし、じゃあ難しければいいのか、と言われると、そうでもない。
あまりにも訳の分からないことを聞いたら、純粋に全く真相が分からず、二人して困り果てる、という事態になりかねない。
完全に推測だが、彼女としても、この「四つの謎」でどれくらいのレベルのことを持ち掛ければいいのか、量りかねていたところもあったのではないかと思う。
「……だから結局、君は前々から気になっていた、自分の個人的な悩みを『第二の謎』に仕立て上げることにした。周囲を見渡しても、丁度いい感じの謎なんて無かったから、自分の悩み事で間に合わせた訳だ」
その個人的な悩みこそ、「第二の謎」────神代と、涼森舞の関係に関する話である。
彼女の話によれば、あの謎が発生したのは夏休み前。
つまりあの話もまた、「第一の謎」と同様、僕に告白された段階で、神代が既に遭遇していた話なのだ。
前々から不思議に思っていたことなのだから、紹介も簡単だし、どこが不思議なのか理解してもらえる程度に話をまとめるのも、すぐに出来る。
ただ、彼女が悩んだ末にこの謎を採用したことから分かるように、この「第二の謎」は、最初の内は僕に相談する気は無かったのだろう。
もし、これを解かせるのに丁度いい謎だと思っていたのなら、「第一の謎」は吹奏楽部の一件ではなく、これになっている。
神代のプライベートに深く踏み入る話なので、部外者の僕に教えるのに躊躇いがあった、というところか。
しかし、この時期に例の講演会があったため、彼女の中で躊躇いよりも不安の方が勝つことになった。
彼女からすれば、ネタ切れしている「四つの謎」が一枠埋まる上、日々の悩みが一つ減って、一石二鳥に思えたのだろう。
結果として──不安のあまり、講演会中に呼びつけるという凄い行動を挟みつつ──僕への相談は遂行されることとなったのだ。
……そして程なく、この「第二の謎」も解決した。
結末が彼女好みだったかはともかく、解かれはした。
だが、このことは彼女に、ある問題を運んできもしたのだと思う。
というのは、これを境にして─────彼女はそれまで以上に、ネタ切れ状態になったはずだからだ。
これは、ここに至るまでの状況を考えれば、容易に想像できる。
まず、「第一の謎」で、周囲を見渡して見つけた不思議な事──吹奏楽部の一件──は解かれ。
次に、「第二の謎」で、自分が記憶している不思議な経験──涼森舞の一件──が解決した。
つまり、自分の周囲のネタも、自分の抱えるネタも、既に解かれてしまったのである。
こうなると、いよいよ頼めることが無い。
しかしながら、「四つの謎」と銘打った以上、後二つ、指定する必要がある。
第一、探偵役である僕の様子を見る限り、あまり失恋から立ち直れたような感じではなく、目的が達成できていない。
だとしたら、次に出来ることは、何か?
「もうこの時点で、君は丁度いい謎を考えるのは諦めたんだろう……だから、ここからの君は、僕やレアとの日常の中、身の回りで新しく発生した事件に期待する方針に決めた」
要は、過去の記憶に頼るのも限界があるので、その場その場で謎を見つけるように、方針転換したのだ。
その方針転換の結果、採用されたのが、「第三の謎」と「第四の謎」である。
あの二つは、神代が過去に経験したことではないし、予想出来たことでもない。
完全に偶然で発生したことを、「四つの謎」ということにしたのだ。
これに関しては、レアがかつて推理したことでもあるが。
「……ただ、その合間に起きた、百合姉さん持ち込みの謎に関しては、『四つの謎』に含めるのも忘れたみたいだね。まあ、状況が状況だから、仕方ないけど」
僕が「三・五番目の謎」と呼んでいる、あの夫婦の喧嘩に関する話である。
あの謎について話した時、神代はそれを「四つの謎」の中に含まなかった。
それは、神代の頭の中が、他のことで埋め尽くされていたからに他ならない。
先述したように、彼女は自分が百合姉さんや我妻蓮さんの関係者であることを伏せていた。
そのことを考慮すると、あの時の僕たちの状況が、神代にとってどれほどスリルに溢れていたのかが分かる。
何せ、すずもり文具店の近く──当然、彼女の家の近く──を、あの時の僕やレアは、無造作に歩き回っていたのだから。
もし、周囲を見回った僕が、「あれ、この家『神代』って表札がかかってるな……」とか言い出したら、それだけで終わりである。
何なら、その近くの我妻家まで発見される恐れまであった。
この時ばかりは、彼女も出来ることは少なかっただろう。
いくら何でも、唐突に「謎を解くな、あの辺りに行くな」と言うのも不自然である。
だから、ひたすら石のように押し黙り、ボロが出ないように、僕たちの後をついてくることしかしなかったのだ。
彼女にとって幸運だったのは、謎解きに夢中になったレアが、神代家の所在について口を滑らせなかった事。
そして、僕が途中でゴミ捨てに走ったために、結局あの地域に長時間留まらなかった事だろう。
この二つの幸運の内、どちらかだけでも欠ければ、それだけで正体発覚、という流れも有り得たのだから。
尤も、そこを気にしすぎるあまり、彼女は別のミスを犯した。
帰り道に僕が気が付いた、「一度も家に来たことが無いのに、僕の家の方向を何故か知っている」というミスである。
今なら分かるが、多分彼女は、僕の家の方向を知っていたわけではないのだろう。
彼女が知っていたのは──多分、直に話した時に聞いたのだろう──百合姉さんの実家の方向だ。
そして、百合姉さんの実家と僕の家は、隣接して存在する。
このことを、百合姉さんが世間話の一環として神代に話していたのであれば────百合姉さんの実家に向かえば、自動的に僕の家に辿り着けると判断出来てもおかしくない。
だからこそ、僕の家の位置が分からずとも、彼女たちは僕の家の方向に歩くことが出来たのだ。
「そう考えると、『三・五番目の謎」の時点で、君の正体に気がついても良かったかもしれないね。まあ実際には、ここまでかかっちゃったけど……」
最後に、僕は自嘲的にそんなことを言って。
さらに、これで推理は終わりだ、という事を示すように、目の前に置かれた水を飲んだ。
────これで、僕の謎解きはおしまい、だ。
後は、謝罪と、お礼と。
清算の時間である。
水を飲み終わった僕は、そんなことを考えながら、はあ、と息を吐く。
これで全部、解き終わった。
今までの彼女の行動は全て理解できたし、何故自分の素性を伏せ続けていたのかも分かった。
──しかしまあ、何というか、面映ゆい感じがあるな……要するに、全て僕のためだったんだし……。
ぼんやりと、そんなことを思う。
今まで、家族以外にここまで、僕のために行動してくれた人が、この世に居ただろうか。
百合姉さんでさえ、ここまでのことをしてくれた記憶は無かった気がする。
──本当に、本当に感謝しないといけないな、神代には……。
最後に、そう思って。
僕は、神代の前で、改めて姿勢を正した。
というのは、推理の締めとして、お礼を言って置こうと思ったのである。
特に頼んだわけではないとは言え、彼女のお陰で、この一ヶ月強、楽しい時間を過ごせたのは────さらにその中で、実際に失恋から立ち直れたのは事実なのだから。
何度礼を言ったって、足りるものではない。
だから、一度や二度の感謝では足りないと知りながら、それでも多少は埋め合わせがしたくて。
僕はゆっくりと、頭を下げていく。
「神代、今まで本当に、あ────」
ありがとう、と言い切って。
これまでの関係を、しっかりと清算する────気だったのだが。
その行為は、唐突に。
神代の手によって、中断された。
何故か、その場で神代は。
脈絡もなく、僕の額にピトッ、と指を当てたのである。
当然、礼を言うために頭を下げようとしていた僕は、それ以上頭を鎮めることが出来ず、急ブレーキがかかってしまう。
それどころか、中途半端なところで頭が止まってしまい、反射的に頭を上げる羽目になってしまった。
──え、何で……。
素直に、そう思う。
さらに、何故、という気持ちを込めて、先程から割と静かな神代のことを、僕は見つめた。
「神代、何を……」
「そんなことをする前に、やることがあるんじゃない、桜井君?」
ぼそりと、呟くような音量で。
神代は、妙なことを言う。
さらに続けて、彼女はこんなことも言った。
「……聞かなくてもいいの?自分の推理が、どのくらい合っていたか」
「え……」
それは、完全に予想外の質問だった。
だって、彼女は推理の途中から、特に口を挟むことは無くて。
普通に頷いてくれていた物だから、てっきり、大筋では間違っていないものだと思っていたのだ。
だというのに、ここでこういう事を言ってくるというのは────。
「もしかして……何か、大きな推理ミスをしたのか、僕?今までの話、全部、外れていた?」
だとしたら、凄く恥ずかしい。
誤解で感謝やら謝罪やらをしたことになってしまう。
しかし、流石にそこで神代は首を振ってくれた。
「いえ、推理ミスという程ではないわ。何というか、こう、もっと些細な違い……解釈違い、というか」
「解釈?」
「動機、でもいいけど。……同時に、凄く、貴方らしい話でもある」
そこで、フフ、と軽く神代は笑う。
その笑みは、微笑でも嘲笑でも無かった。
何というか、子どもの成長を見守る親のような顔、というか。
「……何にせよ、私の真意について、貴方がちょっとずれた推理をしていたから。そこは指摘しておきたいな、と思って」
そんな謎めいた言葉を言ってから、神代は、人差し指をピン、と立てる。
その様子は、ここが重要だ、と要点を指摘する教師のようで。
或いは、謎解きに入る探偵のような仕草だった。
「こればっかりは、私が言わないと分からないだろうから、今から言っておきたいんだけど……桜井君、良い?結構、長い話になるかもしれないけど」
「いやまあ、それは良いけど」
よく分からないが、僕が何やら誤解をしてしまったのは間違いないらしい。
だったら、その訂正は受けておきたい、という思いがあった。
自然、僕は神代に、話の続きを促すようなジェスチャーをする。
すると、神代は満足そうにうん、と一つ頷いて。
同時に、綺麗な微笑を浮かべた。
ここ最近、彼女とよく顔を合わせて、いい加減その綺麗さにも慣れてきたはずの僕ですら、一瞬見惚れてしまうくらいの、綺麗な笑み。
それを湛えたまま、彼女はある言葉を紡ぐ。
ある種の、意趣返しなのだろうか。
彼女が発した言葉は、実に聞きなれたものだった。
「さて────」




