神代真琴と「四つの謎」の関係
「……その上で、数日後に君は、告白のために手紙で呼び出されることになる」
「それ自体は多分、君としてはよくあることだったんだろうけど──美人だし──この場合、送り主が変わっていた」
「何せ、先日知ったばかりの、桜井永嗣という男子から、その手紙は来ていたんだから」
「もし、何も状況を知らなかったなら、普通の告白だと思ったかもしれないけど……この時点で、神代はもう大体の事情を把握していた」
「だから、手紙の存在に気が付いた時点で、僕の真意は、察知できたことだろう」
「つい最近まで、別の女性を好きでいたであろう男子が、唐突に面識もない女子に告白しに来たんだからね。状況を考慮すれば、真相は分かる」
「さては、失恋した男子が自棄になって、適当な女子に告白をしたんだな────」
「この推理に至ることは、簡単だったはずだ」
「何なら、今まで多くの告白を受けてきた君は、似たような事例を見たことがあったのかもしれない」
「……要するに、君は僕に教室に呼び出された時点で、その告白が八つ当たりの産物であることに、気がついていたんだ」
そこまで言及したところで、僕は一度、口を閉じた。
それは、流石に喉が渇いたとか、そう言う理由ではなく。
純粋に、自己嫌悪が頂点に達したからだった。
──こうして神代の側から振り返ると、物凄く傍迷惑な上に情けないな、僕……しかも、相手に大体察されているって言うのが、もう一段アレだし……。
そもそも、振り返ってみれば。
今の今まで、この本心ではない告白について、僕は神代に謝ったことがない。
神代の正体やら、「四つの謎」やらと色々あった事もあり、ズルズルと先延ばしにしてきてしまった。
レアの留学と時期が被り、あまり言わないようにしてきた、というのもある。
いつかは言わないといけない、とは思っていたのだが。
しかし、こうして、今までの僕と神代の行動を把握していくと、その罪深さというか、自己中心さが悍ましくなってくる。
なまじ、同じように失恋していながら、「生徒会役員になる」という、他者に迷惑のかからないやり方──何なら、生徒会の仕事もしっかりこなしているので、他者の役に立ってすらいる──を選んだ神代が目の前に居るため、その酷さが身に染みて分かってしまった。
──推理の後に謝ろうかとも思ったけど……これ、もう、今の方がいいな。少しでも、早く謝った方が……。
心の底から、そう思う。
だからこそ、推理の途中ではあったが、僕はそこで姿勢を正し────唐突ながら、謝罪を敢行することにした。
先にこれをしておかないと、これ以降の推理がやりにくい。
故に僕は、頭を深々と下げて。
推理の流れをぶった切るようにして、謝った。
「すまない、神代。ちょっと話変わるけど、この時の僕のやった事を、今、謝っておく」
「……え?」
神代が、きょとん、とした顔をした。
何を今更、と思ったのか、それとも単純に話の激変に面食らったのか。
何にせよ、それを顧みることなく、僕は物凄く遅くなってしまった謝罪を、ようやく実行した。
「ごめんなさい、神代。好きでもないのに、告白なんてして。……僕の個人的な事情に、君を巻き込んで、すまなかった」
言った瞬間、微かにだが、心が軽くなったのを感じた。
許されたわけでも無いのに、僅かに救われたような気分になる。
この時に、自分の中に発生したその感覚に、僕は密かに驚いた。
身勝手な話ではあるが────どうやら僕は。
自分で思っている以上に、ずっと、このことを謝りたかったらしい。
……そのことは、謝罪を直に受けた神代にも、伝わったようだ。
面食らった状態から回復した彼女は、責めるでもなく、労わるようにして口を開いた。
「……大丈夫よ、桜井君。そんなに気にしていないし、そもそも、さっき貴方が推理した通り、私は最初から、全て知った上で乗っかっていたんだから。そのことで私が傷ついたとか、そういうことは有り得ないから」
彼女は優しく、僕のことを窘める。
そして、身振りで僕に顔を上げるように促した。
──……優しいな、本当に。
彼女の優しさを、少し、辛く思う。
何となく、彼女なら、こう言うんじゃないか、と思っていた通りの返事だった。
だから、というわけでも無いのだが、僕はその言葉を素直には受け取らなかった。
というか、これで「あ、許されたんだ、ヤッター」という思ってしまったら、流石に僕にとって都合が良すぎるだろう。
故に、僕はもう一度、謝った。
「……でも、いくら君が全て知っていたとはいえ、それで僕がしたことが自然と許される、というのも違うと思うから。君が何を考えていようが、僕がしたことが変わるわけでも無い。……だから、この謝罪に関しては、受け取ってほしい」
考え考え、僕はそんなことを言った。
すると、神代が微かに、呆れたような顔をする。
どうやら、この頑固者が、くらいの事を思っているらしい。
「そこまで言うなら、謝罪自体は受け取っておくけど……それよりも、推理、続けない?」
苦笑いした顔のまま、彼女は推理を促す。
雰囲気を、変えたかったのか。
或いは単純に、「空港内のカフェのど真ん中で女子に頭を下げている男子」という絵面を気にしたのかもしれない。
「貴方の推理、まだ終わっていないでしょう?私の行動の謎は、まだ全て解けていない……本当に私に悪いと思っているのなら、推理の方をやってみて」
「僕の告白以降の、続きをか……」
「ええ。そこに関して、貴方の推理を聞きたいの。だって、貴方からすれば、これは不思議な話でしょう?……何故、全ての事情を知っていたはずの私が、その場で貴方の告白をすぐに断らず、謎解きなんて頼んだのか」
────そうだ。
僕が行ったここまでの推理を理解すると、その謎が新たに発生する。
僕の推理によれば、彼女は僕の行動の真意を悟っていた。
勿論、百合姉さんと僕の関係についても悟っていた。
ならば、何故、告白されたその場で、そのことを明かさなかったのか?
普通なら、口にする場面である。
例えば、こんな感じで。
「……実は、私は百合さんとも知り合いで、貴方が別に私を好きじゃないことも知っているの。だから、貴方が何を考えて私を呼び出したのかも知っている。勿論、私を好きでもない人とは付き合えない。二度と呼びださないで」
僕に対してそう言う風に言ったなら、これはもう済んでしまう話である。
ただでさえ思考がおかしくなっていた当時の僕は、それだけでノックアウトされたことだろう。
いや、何なら、彼女の立場からすれば、呼び出しを無視しても良かったはずだ。
本心でも無い告白だと最初から分かっているのだから、神代からすれば一々待ち合わせ場所に行ってやる義務すらない。
失恋した男子が奇行に走ったな、という事実だけ認識して、そのまま僕の手紙を捨てて終わりだ。
無論、その場合の僕は、教室で待ちぼうけを喰らう形になるが、元々直接的な面識がない以上、少なくともそれで神代は何も困らない。
しかし、実際には、神代はそんなことはしなかった。
律儀に彼女は僕の呼び出しに応じ、そして「四つの謎」という謎かけまで行った。
この理由は、何故か?
「……かなりの部分、僕の妄想というか、自惚れが入る推理だけど、良い?」
「勿論。貴方の口から聞くことが、大事だから」
ようやく顔を上げた僕は、そう確認する。
すると、神代は笑顔で頷いた。
本気で、ここから先も聞きたいらしい。
──当事者である神代からすれば、ここから先は自明のことのはずだけど……僕がどれだけ知っているのか、確認したいのか?
少しだけ、そこを疑問に思う。
この辺りに関しては、僕が言わずとも全て把握しているはずなのに、と。
何せ神代は、この一連の行為の当事者というか、犯人側の人なのだから。
しかし、すぐに僕は頭を振ってその考えを追い出し、彼女の要請通りに、推理に移ることにした。
彼女が望むなら、真意は分からずとも言って置こうと思ったのである。
大体、これ以降の推理が合っていたなら、彼女は僕の恩人だ。
その要請を無下にすることなど、出来るはずもない。
「……さっき君が言ったけど、本当なら神代は、僕の告白なんて無視できる立場にあった。だけど同時に、君は僕の置かれていた状況について、大体知っていた。これは良い?」
「ええ、大丈夫」
「だとしたら、君が即座に告白を断らなかった理由は、何となく想像できる。だって、君は過去に、似たような失恋を経験していたんだから。……その経験から、神代が僕に対して同情していたのなら、これは十分に考えられる話だ」
言葉を選びながら、僕は自分の推理を確認していく。
口にすると改めて分かるが────これは、「僕と神代の経験したことが似ている」という点が核なのだ。
僕と神代の過去は、さながら鏡合わせのようになっている。
幼少期に十歳ほど年上の異性に恋をして、中学生になってから相手の結婚で失恋し、その後傷心から変な行動に走ってしまった、という要素で言えば、完全に同一と言って良い。
一つだけ違うのは、それを神代が経験したのが約一年前で、僕は約一ヶ月前という時期の違いだけだ。
要するに、神代は僕にとって、「失恋の先輩」とでも言うべき存在な訳で。
昨年の生徒会選挙を通して既に立ち直ったとは言え、自分と似た経験をした僕に対して、彼女が同情心を抱く、というのは、有り得る話だと思った。
所謂、同病相憐れむ、というやつだ。
仮に僕が彼女の立場だったとしても、似たような想いを抱いたことだろう。
過去の自分を見る気持ちというか、無下にしづらいというか。
だからこそ、彼女は呼び出しを無視したり、はっきり断ったりする事ができなかった。
神代は基本的に優しいし、レアへの対応を見ていれば、面倒見がいい性格なのも分かる。
過去を推察した相手に対して、どうしても、そんなことは出来なかったのだろう。
いや、それどころか。
彼女は、未だに死体みたいな顔をしている僕に対して────手紙を受け取った時点から、「何か出来ることは無いか」と考え始めたのではないだろうか。
かつて自分が、生徒会選挙を通して立ち直れたように。
目の前のこの男子も、何か、失恋について考える暇も無いくらい、別のことをせざるを得ない状況になったなら。
失恋から、立ち直れるのではないか。
少なくとも、失恋相手のことを考える機会は減り、好きでもない相手に告白しに行くような、奇行は防げるのではないか、と。
……そして彼女は、思いつくだけでなく、僕を立ち直らせるためだけに、これらを実行しようとした。
この時、彼女の脳裏をよぎった物は、恐らく二つ。
百合姉さんからの話と、四段階の面倒事があるという生徒会選挙だろう。
以前記述した事だが、僕は一時期、百合姉さんに勧められる形で、推理小説などをよく読んでいた。
それはただ単に、百合姉さんからの覚えを良くするための行動でしかなかったが────仮に、そのことを百合姉さんが覚えていたのなら。
そして、そこから発展して、彼女が僕のことを、「推理小説や謎解きが好きな子」と記憶していたのであれば。
百合姉さんが神代と話している時に、彼女は僕のことを、そう言う風に紹介したかもしれない。
謎解きや探偵物が趣味だ、という感じで。
つまりこの場合、神代から見た僕の認識は、「今は失恋でおかしくなっているが、本当は推理小説や謎解きを好んでいる人」と言う物になる。
だからこそ神代は────「そんなに探偵物が好きなら、謎解きをちらつかせたら、この桜井永嗣という人もそれに興味を持って、失恋の事も少しは忘れられるのではないか」と考えたのではないだろうか。
ただ、謎解きと言っても、一回だけやらせるのでは意味が無い。
僕の推理力にもよるが、それではすぐに終わってしまい、立ち直る程の効果は無い。
本気で、失恋について一切考えないようにさせようと思うなら、もっと、長期間に渡ってやらざるを得ない状況になるのが望ましいはずである。
だから、彼女は自分の生徒会選挙の経験も合わせて、「四つの謎」と言い出したのだ。
生徒会選挙の時のように、やらざるを得ない事が四つもあれば、忙しくて他のことなんて考えられないだろう、と期待して。
事実、彼女の時はそうだったのだから。
────要するに、ここらの話をまとめると。
彼女の言う「四つの謎」というのは、神代の身の回りで起こった不思議なことでは無く。
彼女が僕のために用意した、更生プログラムのような物だった訳である。
この一ヶ月強の間、彼女は徹頭徹尾────僕のためだけに、動いてくれていたのだ。
僕を失恋から立ち直らせる、ただそれだけのために。
既に解けていた謎から、その場その場で見つけた謎まで。
あらゆる謎を総動員して、彼女は僕の興味関心を、意図的に引き付け続けていたのである。