神代真琴と我妻蓮の関係
「……何なら、今からでも百合姉さんと連絡を取ろうか?写真を一枚、撮らせてもらうことにはなるけど」
不本意な表現ではあったが、軽く脅すようにして、そんなことを言ってみる。
本気で実行する気は無かったが、このくらい言って置かないと、のらりくらりと躱されてしまう気がしたのだ。
それでは、駄目だ。
神代とは、今日ここで決着を付けなくてはならない。
それが、この一ヶ月強の日常に対する解答であり────同時に、返礼なのだから。
……そんな、僕の覇気が神代にも伝わったのだろうか。
彼女ははあ、と息を吐いた後、軽くを手を振って、僕の提案をかき消した。
「大丈夫よ、そこまでしなくても認めるから……貴方の推理通り、私は、というか私の家族自体が、我妻家の人と仲が良いわ。家族ぐるみの付き合いだから……お兄ちゃんとは」
お兄ちゃん。
最後に口にしたその言葉は、とても呼び慣れた響きを伴っていた。
きっと昔から、幾度となく口にした呼び名なのだろう。
我妻蓮さんの後ろに付いて行っては、「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と、遊びをせがんでいたのか。
僕にとっての「百合姉さん」という呼び方と、似たような物だ。
「つまり、ここまでの推理は正解、か……やっぱり、家が近いから親しくなったのか?」
「それもあるけど、それ以上に、私の父は出張が多かったから。母にも何か用事があった時には、お兄ちゃんの家によく預けられていたのよ。それで、自然と家族みたいに接するようになったの」
ああなるほど、と僕は相槌を打つ。
そう言えばさっき、彼女の父親は旅行会社の人間で、しばしば家を空ける、と言っていた。
つまり、母親まで何か用事があった場合は、神代の面倒を見る人間がいなくなってしまう。
中学二年生になった今はともかく、もう少し彼女が小さかった頃は、とても一人で留守番させておく、なんてことは出来なかっただろう。
だから、近所の我妻家に──話しぶりからすると、元から親しかったようだ──預けられていたのだ。
あそこまで家が近いのであれば、神代が小学校への通学する際にも支障がない──預けられた先から小学校までの通学路を覚える必要がない──というメリットもある。
自然な判断、と言っても良いだろう。
「そういう事情で我妻家に預けられる中で、我妻蓮さんのお世話になり、自然と幼馴染と呼ばれる程仲が良くなった、という流れ、か」
「ええ、その通り。貴方の知り合いである百合さんの言葉じゃないけど……似てるわね、私たち」
そう言って、ふふ、と彼女は笑う。
思い出したように手に取ったラテのカップも相まってか、非常に絵になる微笑みだった。
彼女はコクリ、と上品にそれを飲み干してから、僕の方に向き直る。
それから、さながら第二ラウンド開始、とでも言わんばかりに、こう謎かけをしてきた。
「……だけど、桜井君。推理はそれだけ?」
「それだけ、とは?」
「私が、お兄ちゃんの幼馴染だ、と断定するだけなのかな、と思って……まあ、これだけでも十分、かつて貴方が聞いてきたことへの解答にはなっていると思うけど」
そんなことを言ってから、彼女はかつての僕のことを回想するかのように、目をそばめた。
神代の動きに呼応して、僕の脳内でも、以前発した問いが再生される。
──神代……君は一体、何者なんだ?
あの時、「第一の謎」が解決した直後。
僕はそう問いただした。
神代に関して、何も分からなかったから。
……そして、一応、この疑問は今の時点で答えられる。
神代は何者なのか────実は、百合姉さんの旦那さんの幼馴染でした。
シンプルかつ、妥当な解答だ。
何者か、という問いを、「どういうプロフィールを持つ人物なのか」という問いだと限定すれば、その問いはもう解明出来たと言って良いだろう。
しかし、だ。
僕があの時気にしていたのは、これだけではない。
勿論、プロフィールに関しても気になってはいたが、それ以上に気になっていたのは────動機である。
何故、「四つの謎」なんてものを始めたのか。
何故、自分のことを隠していたのか。
今明らかになった、「実は僕と以前会っている」「我妻蓮の関係者である」という事実すら、この場所に来るまで隠したのは、何故か。
この点を、僕はまだ口にしていない。
だからこその、「それだけ?」なのだろう。
つまるところ、神代は、煽っているのだ。
動機に関しては、解かないままでいいのか、と。
──良いだろう……そこまで言うなら、言及しよう。神代の中の、特にデリケートな部分に触れることになるけど、本人がここまで言うのなら……。
微かに、奥歯を噛み締めて。
それから、強く決意をして。
僕は、口を開いた。
「いいや、まだあるよ。僕が君について不思議に思っていたことで……そして、昨日解けたこと。君の、動機に関する話だ」
「そう。……なら、答え合わせ、しましょう?」
そう言う彼女の表情は、僅かに緊張しているようだった。
それを確認していながら、しかし敢えて無視して、僕は推理を続ける。
「……ただ、動機について話す前に、確かめておかなくてはならない点がある。まずは、そちらから話しておこう」
「別に良いけど……何を確かめるの?」
「君が、この一年間でどんな体験をしたか、についてだよ……というのも、以前百合姉さんから聞いた幼馴染に関する話を、君の事だと認識した上で振り返ると、気になる点があったから」
そう前置いてから、僕は百合姉さんの話を回想した。
僕の記憶が正しければ、確か、「我妻蓮さんの幼馴染」について話す中で、こんな内容があったはずだ。
──ここ一年くらいは、昔と違ってあまり会話する事が減っていた、と寂しがっていた蓮が、感動していたもの。
我妻蓮さんが、トラブルで住む家に困り、難渋していた、という話の下りで。
百合姉さんが口にしていたことだ。
曰く、我妻蓮さんの幼馴染──つまり、神代のことだ──が百合姉さんよりも先に差し入れをしてくれたため、とても助かった、とかいうエピソードである。
それだけならただの良い話だが、重要なのは、この話の前半。
ここ一年くらいは話をすることが減っていた、という点である。
話を聞く限り、我妻蓮さんと神代は、非常に仲が良い。
結婚を約束した立場である百合姉さんが嫉妬したというのだから、それはもう相当なものだったのだろう。
それが、この一年くらい、あまり会話をしていなかった、というのだ。
これは、おかしいとまでは言わないまでも、「ん?」となる話である。
何故、そんな状態になっているのか、と。
事実、我妻蓮さんは寂しがっていたそうだし。
……そんなことを、僕はベラベラと説明する。
すると、混ぜっ返すようにして神代が口を挟んだ。
「でも、そのくらいならよくある話じゃない?幼馴染同然の存在が、ずっと仲が良いとは限らないのだから」
暗に涼森舞のことを示唆しているのか、その口調はやや暗い。
それに気が付きながらも、僕は推理を先に進めた。
「勿論、君の言う通りだ。だけど百合姉さんの話で、もう一つ、一年前という単語が出ているんだ。偶然の一致かもしれないけど、僕にはそこが気になった」
「一年前、ね」
そこで神代は、珍しく煩わし気な顔をした。
今にも、舌打ちでもしそうである。
彼女としても、ここを注目されるのは予想外だったのか。
そんなことを思いながら、僕はその「一年前」の事を言及する。
「百合姉さんが言ってたよ。百合姉さんはその幼馴染の子と知り合いだけど……実際に知り合った時期は、一年くらい前だって」
……これは、非常に重要な情報だ。
というのも、話しぶりからして、その時点から百合姉さんは我妻蓮さんと付き合っていたと思われるからである。
百合姉さんの結婚は、普通に考えれば、僕が気が付いたのがつい最近というだけで、実際にはもっと前から決まっていたとみて間違いない。
交際の開始時期に関しては、一年どころか二、三年前の可能性すらあるだろう。
その状態で、百合姉さんが彼氏側の幼馴染と知り合ったというのだから、その状況はつまり────。
「想像だけど、約一年前に、我妻蓮さんは君に……というか、自分の家族に、自分の彼女を紹介したんだろう?『この人が俺の婚約者だよ』みたいな感じで……そして、これまでの話を総合すると、その紹介を境にして、君は我妻蓮さんとあまり会話しなくなっているんだ」
あくまで思い出話を元にした推理であるため、この二つのどちらが先に起こったのか、正確な時系列は分からない。
もしかすると、まず自然に話さなくなり、その後で婚約者の紹介が行われたのかもしれない。
その場合は、「元から疎遠になっていたところで、相手に結婚を控えた彼女が居る事と知らされ、邪魔しては悪いと思い猶更話さなくなった」という流れになる。
だが、仮に。
この流れが、逆だったら?
今言ったように、婚約者の紹介が先に行われ、その後で……或いは、そのせいで神代が我妻蓮さんとあまり話さなくなったのであれば?
その場合は、当然。
神代が、我妻蓮さんに対して抱いていた感情について、ある程度の推察が出来る。
ある種、理不尽な話であり。
同時に、僕たちくらいの年頃の子どもであれば、実にありそうな事。
その推理を、いよいよ僕は口に出した。
「神代、君は……我妻蓮さんのことが、好きだったんだろう?だけど、一年前に失恋したんだ。相手の彼女を……百合姉さんを紹介される、という形で」
そう、これこそ全ての始まり。
僕を「四つの謎」へと導くことになった、真の原因。
それが、僕のように初恋だったのかどうかは知らない。
だが少なくとも、彼女にとっては世界の全てと同義であったのであろう、純粋な想い。
それを、彼女は抱え────そして、失ったのだ。
神代が、我妻蓮さんを好きになり、そして失恋してしまった一年前。
その瞬間こそ、全ての謎の始まりだったのである。