神代真琴と実家の関係
──さて、一番の核を最初に言ったけど……どう出る?
誤魔化すのか。
認めるのか。
神代の反応が気になり、僕は彼女の口元を見つめる。
妙な例えだが、容疑者を取り調べる刑事のような心境だった。
果たして、神代の返答は────。
「……論理が飛躍しすぎじゃない?」
ふう、とまるでため息をつくかのように。
彼女は冷静さを失わず、そんな反応を返すことで回答とした。
「ただ単に、貴方がそう言う物を嫌いそう、という偏見でそう決めただけかもしれないし……もしくは、実は私の方がバウムクーヘンが嫌いで、それをレアの前で言うのが恥ずかしいから、貴方を理由にした可能性もあるでしょう?」
「……まあ、可能性だけで言えばね」
「少なくとも、レアのその発言だけでは、私が貴方の知り合いの結婚式に出たとは断定できないはず……他に、証拠はあるの?」
つい、と視線をこちらに向けてくる。
この状況に及んでもまだ、彼女は末恐ろしい程冷静だった。
──流石、この一ヶ月以上に渡って自分に関する情報を隠し通しただけのことはあるな……。
心の中で、僕はひっそりと舌を巻く。
下手をすると、実は僕の方が間違っているのではないか、と自分の推理を疑いかねない程、彼女は泰然自若だった。
……しかし、まあ。
ここまでは、予想でもある。
いくら何でも、たったこれだけの理屈で、彼女を納得させようとは思っていない。
故に、僕は他の側面から、自説を補強しに行った。
「……少し、話が変わるんだけど、いい?」
「ええ。何からでも」
「『第二の謎』に関する話、なんだけど」
そう言うと、彼女の表情が、僅かに強張る。
無理もない。
彼女としては、不本意な形というか、やや傷つく形で終わってしまった話だ。
しかし、今日言いたいのはそこではなく。
彼女が「第二の謎」の中で話していた、とある情報についてだった。
「あの時、神代は言っていたよな?涼森舞とは、小学生時代からの友達だって……そして、その涼森舞の家こそ、『すずもり文具店』だって」
「……それが?」
「いや、その話が正しいとすると、必然的に分かることがあるんだ」
必然的というか、連鎖的というか。
そうでなければ矛盾してしまう、という話になるのである。
僕は、その点について言及した。
「今まで、神代の家の場所を聞いたことが無かったけど……君の家は、あの『すずもり文具店』からそう離れていない位置にあるよな?少なくとも、涼森舞と小学校が同じになる程度には」
実際に、位置をこの目で見たわけではない。
だが、彼女たちの話を総合すると、そうとしか考えられないのである。
小学校からの友人が、中学校でも引き続き同じ学校ということは、普通に公立の学校に通い、持ち上がりで一緒に進級した、という事なのだから。
仮に僕たちの通う中学校が、小学校受験や中学校受験を介さないと入れない学校だというのなら、生徒間の家が遠いことも有り得るが、海進中学校はそんなことは無い、普通の公立中学校である。
だからこそ、小学校が同じであるという神代と涼森舞は、同じ地域に住んでいるはずなのだ。
そうでなければ、そもそも「疎遠になるまでは頻繁に遊びに行っていた」という状況には、まずならない。
「つまり、神代が今も住み、今朝までレアがホームステイしていた家は、多分『すずもり文具店』から歩いていけるくらいの位置にある……そして、ここでもう一つ、思い出して欲しいことがあるんだけど」
「何を?」
「少し前の、『ハロイ亭』に関する話だよ……あの時、百合姉さんの旦那さん────我妻蓮さんが書いた地図に従って、『すずもり文具店』の近くにまで行く、なんていうくだりがあったよな?」
そう、「第三の謎」と「第四の謎」の間、僕が勝手に「三・五番目の謎」と呼んでいる、あの一件。
あれを調査する中で、僕たちは「すずもり文具店」の近くにまで向かっている。
「思い出して欲しいのは、あの時の状況なんだ……そもそも僕たちは、何故、『すずもり文具店』に向かったのか、と言う点。それを、思い出して欲しい」
「そんなの……貴方が見た地図に、すずもり、という文字があったからでしょう?」
何を今更、という風に彼女は答える。
彼女としては、自明の事実だったのか。
しかし──恐らく意図的なのだろうが──その答えでは不十分だ。
話としては間違っていないが、ピントがずれている。
重要なのは、あの地図が元々は何のために作成されたのか、という点である。
「……神代にも言っただろう?あの地図は、我妻蓮さんが、百合姉さんを自分の実家に招くために書いたものだ。実家の位置を教えるために、バス停から自宅への道のりを示した」
百合姉さんは確かに、そう言っていた。
その後、「ハロイ亭」の方に注目がいってしまったためにすっかり忘れていたが────要するに、あれは本来、我妻蓮さんの実家付近の様子を示している物なのだ。
つまり────実家の近辺を描いたものである地図に、「すずもり文具店」の表記があった以上。
実際にこの目で見ることこそ無かったが、我妻蓮さんの実家もまた、「すずもり文具店」の近くに存在したはずなのである。
「要するに、君の家も、我妻蓮さんの実家も、どちらも『すずもり文具店』から歩いて行ける範囲にある、という事だ。そうじゃなきゃ、今までの話がおかしくなる……想像だけど、君と我妻蓮さんは、昔から仲良くしているご近所さん、なんだろう?」
丁度、十歳も年が離れている僕と百合姉さんが、家が隣という理由だけで親しくしていたように。
それほどの近所に住んでいるのであれば、多少の年齢差があっても、仲良くなることはあり得る。
町内会の活動で一緒になるような機会があったのかもしれないし、或いは単純に、引っ越しの挨拶でもしたことがあったのかもしれない。
近所付き合いが薄くなったと言われて久しいこのご時世だが、距離的に近ければ、親しくなる切っ掛けなど無数に存在する。
それこそ、結婚式に招待されるほどの知己になることだって、十分に考えられるだろう。
「……それに、あの辺りに君の家があると考えると、あの日の君の言動も頷けるしね」
「あの日の、言動?」
「ああ。『ハロイ亭』を調べていた時、何故か突然、君が無口になっていた時があっただろう?」
あの時は訳が分からない変化だったが────今ならわかる。
彼女はあの時、自分の家が見つけられやしないか、不安で不安で仕方がなかったのだ。
僕たちは意図せずして、彼女が今までの付き合いの中で明言していなかった、彼女の家の近くを通っていたのだから。
ドキドキハラハラ、だったか。
そりゃあ、感じたことだろう。
もしあそこで、レアが「あ、因みにあそこがマコトの家ですよ」とでも言ってしまえば。
それだけで、今まで隠していたことが露見したのだから。
あの時の神代、気が気じゃなかっただろうなあ……などと考えながら、僕は再び神代の口元を見る。
すると、薄く綺麗な彼女の上唇が、僕の推理に呼応するようにして、ゆっくりと動いた。
「……そうね。確かにそこは、状況的に間違いがないから認めましょう」
「……認めるというのは、つまり?」
「貴方の推理が、正しいという事よ。……私の家は、確かに、舞の家の近くにあるわ。そしてその近所には、我妻、と表札の出ている家もある」
神代が不意に投げかけた肯定に、僕はおおう、とのけ反った。
初めての、神代本人からの追認に驚いてしまったのである。
しかし、そこは神代。
返す刀で、彼女は僕の推理の粗を指摘した。
「だけど、その我妻蓮という人と、私が知り合いであるというのは、確かに言い切れる話なの?近所に住んでいるから、というだけで仲が良いと言い切るのは、早計じゃない?」
「……まあ、確かに」
ここに関しては、神代の意見の方が正論だった。
ぶっちゃけた話、僕が今羅列した全ての状況証拠は、「偶然だ」と言われればそれだけで雲散霧消してしまう程度の話である。
だからこそ。
僕は、自分の中で生まれた想像だけでなく、確かに他の人が口にした事実を表舞台に上げた。
「だけど、神代。もう一つ、君が我妻蓮さんと親しかった証拠はあるよ。……百合姉さんから、確かに聞いている」
「何?その人から、私の名前でも聞いたの?」
「いいや。けど、君の存在は話の中で出てきたことがある……百合姉さんが嫉妬してしまうくらい我妻蓮さんと仲が良い、幼馴染として」
──実はね、蓮には昔から、凄く仲が良い幼馴染が居るの。
──歳はちょっと離れているんだけどね。
──本当に気が利く子よね。
──丁度、私と永ちゃんみたいな関係かな?
百合姉さんが、あの話の中で言っていたことを思い出す。
百合姉さんと我妻蓮さんの喧嘩を、最後に収めてくれたという幼馴染。
歳が離れているが、非常に仲が良く、我妻蓮さんが困った時には救援物資も送っていたという。
……実を言うと、この話を聞いた時から、少し不思議には思っていたのだ。
というのは────ちょっと歳が離れているにも関わらず、その二人はどうやって、「凄く仲が良い幼馴染」になれたのだろう、と。
普通、学生が年齢の離れた他者と知り合いになる機会というのは、中々無いものだ。
個人的な印象だが────それこそ、家がとても近いとか、そう言うことが無い限り、幼馴染と呼ばれるような関係にはならないのではないだろうか。
丁度、僕と百合姉さんのように。
そして、百合姉さんがその関係を僕たちのそれに例えたということは、その「幼馴染」は僕と同年代の可能性が高い。
年齢差が上手い具合に合致していたからこそ、百合姉さんも自分たちの関係を比喩として持ち出したのだろうし。
つまるところ、あの夫婦の喧嘩を、かなりの推理力を駆使して収めたという幼馴染は、僕と同じくらいの年齢という事だ。
すずもり文具店の近くに住み。
僕と同じ十四歳くらいで。
推理力があって、気が利く、良い子。
加えて、仲が良すぎて百合姉さんが「嫉妬」したという話から推測すると、その子は女子の可能性が高い。
そうなると、僕が知る限りでは────神代しか、候補者はいなかった。
……つまるところ、神代の正体を迅速に知りたいのなら、僕は神代にではなく、百合姉さんに話を聞けばよかったのだ。
彼女に、神代の写真を見せて、「この人知ってる?」と問いかけるだけで。
百合姉さんはきっと、「ああ、蓮の幼馴染よ、この前話した子」と返したことだろう。