神代真琴とバウムクーヘンの関係
────謎解きをすると宣言してから、僕たちはどちらともなく、空港の端に存在するカフェへと足を進めていった。
流石に立ち話で済ませられる話ではなく、しかし他所でする気にもなれず、近場で済まそう、と思ったのである。
幸いにも、本来は飛行機の利用客でごった返しているのであろうそのカフェは空いていた。
恐らくだが、先程見送った、フランスへと向かう便を境にして、空港は少し利用者が減る時間帯に移行したらしい。
朝でも昼でも無い、微妙な時間になったこともあってか、僕たち二人はすんなりと席へと進む。
さらに、場所代替わりに飲み物を注文してみると、互いに落ち着いた空気になった。
尤も、僕が「第五の謎」を解くと言った瞬間から発生した雰囲気の変化は、未だに解かれていないが。
「……そう言えば、謎解きの前に聞きたいことがあるんだけど」
「何?」
「いや、ここで時間をとるの、本当に大丈夫だったのかなって思って。もし、ここに来るときに親の車で来たとかだったら、待たせるわけには……」
席についてから、僕はふとそんなことが気になり、質問してみる。
そう言えば、神代とレアが、どういう手段で空港にまで来たか、聞いていなかったな、と思ったのだ。
僕は朝早くにバスに乗ったのだが──僕の家の辺りから空港に来るには、それが一番早いのだ──神代たちは「先に行っている」という連絡が来ただけである。
故に、こうして謎解きに誘うことで、誰かを待たせてはいないか、と不安になったのだ。
しかし、僕の不安を否定するように、彼女は軽く首を振る。
「大丈夫よ。丁度今日は、私の父が出張でこの空港を使う予定だったから。それで、レアと一緒に空港に向かう父の車に同乗させてもらって、この空港に来たの……父が行ってしまった以上、帰りは元々バスを使うつもりだったから」
「へえ……お父さん、出張なんだ」
「ええ。旅行会社の社員だから。現地調査とかも含めて、国内出張が多いの」
今日も、レアより先に飛行機に乗っちゃったしね、と言って、神代は運ばれてきた水をカラン、と揺らす。
その様子からすると、この手の出張には慣れているようだった。
というか、それ以前に────。
「……話してくれるんだな。家族のこととか、そういうの」
微かに、皮肉を込めて。
或いは、ある種の挑戦状でも投げ渡す気持ちで。
僕は、そんなことを言ってみる。
すると、神代が柔らかに笑ったのが分かった。
「もう、はぐらかしてもしょうがないでしょう? レアも言っていたけど……貴方は、思った以上に名探偵だったみたいだから」
そんなことを言って、彼女は運ばれてきたラテを飲む。
その感情の動きは、どうにも確認しにくかった。
「……さて、じゃあ、良ければ聞かせてくれる、桜井君?」
ポツン、と。
カップを机に置いた瞬間、流れるように、彼女はそう言い放つ。
「私の正体、解けたんでしょう?……解いてよ」
そう言って、もう一度彼女は僕を見つめた。
その表情は、不敵な笑み、と言うべきものになっている。
表情の主がかなりの美少女であることも相まって、ある種の凄みすら感じてしまう程の、完成された表情。
──犯人から挑戦を受けた探偵って、こんな気持ちなのかな……。
彼女の表情を見ながら、何となく、僕はそんなことを思った。
かつて、百合姉さんにいい顔をするためだけに読み漁った推理小説。
その中で使い古されたシチュエーション────犯人から探偵への、挑戦状。
それを今、僕は受けている気がした。
──尤も、僕の目の前に居るのは怪人でも怪盗でも無くて、一人の女子中学生なんだけどね……。
そう思いながら、僕はよし、と無言で覚悟を決める。
さらに、いつも通りの言葉を────それでいて、最後になるかもしれない言葉を口にした。
「さて────」
「まず、推理の都合上、自分語りから始めさせてもらう。いいか?」
「どうぞ?どんな話でも聞くから」
「そうか、ありがとう……突然だけどさ、僕、バウムクーヘンが嫌いなんだ。それはもう、どうしようもないくらいに」
フィナーレを飾る推理の、一番最初。
話術で言うところの、話の掴み。
その部分をどうするか──何の話から切り出すか──に付いて、実を言うと僕は、話始める瞬間まで迷っていた。
何せ、神代に関する疑問点というのはパッと思いつくだけでも十個以上あるので、どれから話すか決めようとすると、困ってしまうのである。
しかも質の悪いことに、そのどれもが些細過ぎて、決定的な証拠にはならないと来ている。
……だからこそ、僕は結局、バウムクーヘンに関する事から推理を言い始めた。
昨日気づいたばかりの、神代の不思議な点。
ここを言及するのが、一番手っ取り早いと判断したのである。
「一時期はもう、バウムクーヘンという概念がこの世にあること自体が嫌というか……バウムクーヘンを見るだけでアレルギーみたいな症状が出たくらいだ。まあ、心理的な物なんだろうけど」
「そう。それは、御愁傷様」
さらり、と冷たさすら感じさせるほどの動じなさで、彼女は僕の嗜好を軽く流す。
何というかもう、その態度だけで答えになっているような気もしたが────出来るだけ丁寧に、僕は流れを追っていく。
「まあ、それでさ。あんまり他の人には理解されない話だから、この、『僕がバウムクーヘンを嫌い』という話は、他の誰にも言ったことがない」
「そうなのね。だったら、貴方の知り合いの中では、私が初めてその情報を聞いたのかしら」
「そう、その通りだ。……だけど、神代。君は、昨日の時点でこのことを────僕がバウムクーヘンを過剰に嫌っている、という事実を知っていただろう?」
問いかけの形こそとっていたが、その口調は断定に近かった。
言葉の圧に押されてか、神代の動きが少し、止まる。
その勢いに乗せて、僕はベラベラと昨日のことを話す。
昨日のお別れ会で、お菓子のラインナップを見た時から、不審を感じていた事。
彼女がレアが言っていた、バウムクーヘンは買わないように、という忠告。
その事実を神代が知っているのは、どう考えてもおかしい、という事。
僕がそれらを一気に説明すると────感想替わりなのか、神代が呟くように言葉を零す。
「……私が言うのも変な感じだけど、確かに、不思議な話ね。まるで、私が貴方のストーカーでもやっているみたい」
「いや、流石にそんな悪い想像はしなかったけど……」
逆ならともかく、いくら何でも神代が僕をストーキング、というのは考えにくいだろう。
そもそも、この一ヶ月で分かったが、神代はまず間違いなく、そう言うタイプの人では無い。
詰まるところ────バウムクーヘンのことを代表として、彼女が僕に付いて妙に詳しく知っていたのは、何か明確な理由がある、という事である。
何らかの不法行為で情報を入手したのではなく、彼女は、その情報を知っていて当然の立場にあったのだ。
その立場に居る中で、僕のことを観察するなり、話を聞くなりすることで、「桜井永嗣はバウムクーヘンを苦手としているに違いない」という確信を得た訳である。
さて、それでは。
その、確信を得られる場面とはどこか?
どういう場面を見たならば、彼女は僕がバウムクーヘンを嫌っていることに気がつける?
繰り返し言うが、僕はバウムクーヘン関連について誰かに話したことは無い。
すなわち、僕を含む他人に話を聞く、という手段はとれない。
故に、彼女がこの辺りの事情に気がつく手段は限られている。
僕が思いつく分には、二つだけだ。
一つは、どこかで、僕があからさまにバウムクーヘンを避けているかのような振る舞いをしている様子を目撃していた場合。
そして、もう一つは────僕がバウムクーヘンを嫌うようになった、その発端である出来事について知悉していた場合である。
確率的に言えば、有り得そうなのは前者。
……しかし、僕は敢えて、後者の可能性を口にした。
「神代……君は、一か月以上前のあの日、百合姉さんとその旦那さんの……我妻蓮と我妻百合の結婚式に出席していたんだな?そして、見たんだ。僕が引き出物のバウムクーヘンを、嫌そうな顔をしながら持ち帰る様子を」
だからこそ、バウムクーヘンに関する話を、彼女は知っていたのである。
あんな顔で結婚式を去った少年が、バウムクーヘンを好んでいるはずが無い、と。
当時の僕の顔を見れば、その程度のことは容易に判断出来たであろうから。
そして、ある種必然的に。
ここから導かれる、一つの結論がある。
……よほどの有名人ならともかく、普通、一般人の結婚式に参加する客というのは、新郎新婦の親族と友人、ないし仕事の関係者くらいだ。
結婚式場に彼女がいたということは、つまり────。
「神代真琴という少女は────新郎の昔からの友人、なんだろう?そして、百合姉さんとも知り合いだった……それも、ずっと前から」
故に、あの結婚式に、彼女が参加していたのである。
僕が、新婦側の友人として、一応は顔を出したのと同様に────彼女は、新郎側の友人として、式に招待されていた、ということになる。
何のことはない。
僕と神代は、僕があの妙な告白をする前から、既に一度会っていたのだ。