神代真琴と宣言の関係
レアとのお別れ会が終わった、次の日。
すなわち、今週の土曜日は、予定通り、彼女を含む交換留学生たちが母国に帰る日として指定されていた。
要するに、お別れ会ではない、真の別れの日である。
朝早く、九時台の便。
それに乗って、レアを含む二十人ほどの留学生たちは、フランスに戻る。
そのことが決まっていたために────土曜日の朝の空港には、結構な数の見送りが発生していた。
勿論、僕と神代も、その例外ではなく。
最終章は、空港から始まることとなる。
「皆さん、ありがとうございました……私、この一ヶ月の事、絶対忘れません!」
また、空港のどこかで別れの挨拶が聞こえた。
続いて、わあっ、という悲鳴のような、歓声のような声。
それぞれの留学生たちが、お世話になった人と、別れを惜しんでいるのか。
──かなり早い時間なのに、また集まったものだなあ……。
隣接するその盛り上がりを肌で感じつつも、僕はある種の感慨に包まれて、空港のロビーを見渡す。
そこには、ざっと見る限りでも、百人を超える人間が密集していた。
まず、当然ながら中心に居るのは、二十人ほどの留学生。
その周りを囲むのが、ホームステイの受け入れ先だったのであろう家族たち。
さらに、それを取り囲むようにして、編入された先でのクラスメイトらしき生徒たちまで来ている。
留学生たちは海進中学校以外にも編入していたので、生徒たちに関して言えば知らない顔が圧倒的に多い。
しかし、僕たちと同世代であるのは確かなようだった。
中には、部活の試合に行く前に立ち寄ったのか、ユニフォーム姿の生徒もいる。
そんな感想を抱きながら、集まった人たちの表情を見ていくと……実に、バラエティ豊かな様相を呈していることに気がつく。
例えば、表情の中で特に多いのは、分かりやすく泣いてしまっている人。
もしくは、一見何でもないように装っているが、その実、寂しさを隠しきれていない人。
悲しみを覆い隠すようにして、陽気に振舞っている人がいると思えば。
気分がブルーな方向に振り切れたのか、ひたすら下を向いている学生もいた。
まあ要するに、「ザ・別れの光景」とでも言うべき様子である。
他の空港利用客には迷惑だったかもしれないが、彼らの繋がりを考えれば、致し方ないだろう。
たった一ヶ月とは言え、家族やクラスメイトとして、僕たちは過ごしてきたのだから。
──そう考えると、僕たちの昨日の騒動も、ある種ありふれた話だったのかなあ……。
そんなことを、ふと思う。
すると、それと時を同じくして、僕の隣でレアがわあ、と声を上げた。
「マコト、ここの売店、たくさんのゴトウチ?キーホルダー売ってます!凄い!来た時には気づきませんでした!」
「レア、あんまり掴まないの。商品なんだから……」
「むー……」
楽しそうにキーホルダーを振り回すレアと、それを宥める神代。
この一ヶ月、繰り返し見てきた光景だった。
それが、記録映像でも再生したかのように目の前で再演されている。
「変わらないなあ、二人とも……」
反射的に、微笑が零れた。
朝に合流してから、二人とも常にこんな感じである。
変わらないというか、進歩が無いというか。
──とりあえず、レアは昨日の一件から完全に復調した、という事でいいかな……。
そのことを確認して、僕は隣を見て、安堵の息を漏らした。
これが確認できただけでも、今日見送りに来た意味はあった気がする。
「だけど、レア。もう行かなくていいのか?確か、飛行機の搭乗時刻、そろそろなんじゃ……」
ふと気になって、僕は未だに売店の方をウロウロしている二人に問いかける。
彼女たちと合流してニ十分ほど経つのだが、未だに飛行機が出る気配がない。
だからこその質問だったのだが、レアはさらりと返答した。
「確か、乗り込むときは引率の人が大声で言ってくれるはず、です!多分、もうすぐだと思うんですけど……」
そう言いながら、レアはロビーの中央の方に視線をやる。
恐らく、その辺りに引率の職員や通訳──「第三の謎」の当事者に当たる人である──が居るのだろう。
じゃあ、時間になったらそっちから呼びかけられるのかな、と考え────それとほぼ同時に、予想された声が響いた。
「はい、皆さーん!名残惜しいですが、そろそろ飛行機のお時間でーす!」
まず、日本語での呼びかけ。
続いて、通訳の人がフランス語であろう言葉で同様の内容を繰り返す。
いよいよ、時間となったようだ。
途端に、周囲の留学生と見送り人たちが、本当に最後の言葉を交わし始める。
元気でね、とか、楽しかったよ、とか。
悲喜こもごもの言葉が、あらゆる場所で交わされているのが分かった。
──じゃあ、僕たちもしておくか。
そう思って、僕はレアの方に顔を向ける。
そして、呼びかけを聞いてか立ち止まっていた彼女に対して、出来るだけ軽い口調で話しかけた。
「……じゃあ、またな、レア」
そう言って、深く、笑って見せる。
途端に、レアが同じような表情をしたのが分かった。
「はい、またすぐに、パソコン越しですけど会いましょう、エイジ……いえ、私の、名探偵!」
「……その呼び方は止めてくれ。エイジで良いから」
流石に気恥ずかしく、僕は手を振って否定する。
隣で、神代が苦笑いをしたのが分かった。
「じゃあ、短い別れをしましょうか、レア……搭乗口、あっちだから」
ある種のフォローなのか、そんなことを言って、神代はレアに動きを促す。
周囲の留学生がゾロゾロと動き始めたこともあり、彼女はそちらに体を向けた。
その勢いのまま、彼女は去っていくのかな、と予想する。
────しかし。
彼女は、駆け出す直前で、突然動きを止めた。
「……あ、一つ、忘れてました」
「え、何だ?」
もう、搭乗時刻は迫っている。
何を忘れているかは知らないが、あまり余裕はないぞ、と思ったが、その予想を裏切るように、彼女は突然、僕の傍まで寄ってきた。
そしていきなり、僕の耳元に口を寄せる。
「……レア?」
「シー、です、エイジ。マコトに、聞かれちゃいます」
コソコソと、何故か内緒話をするようにしてレアは言葉を紡ぐ。
何だ何だ、と思っているうちに、彼女はさらに予想外の言葉を言った。
「確認ですけど……エイジ、今日、言うつもりですよね?」
「言うって……何を」
「謎解き、です!私はよく知りませんけど……以前言っていた『四つの謎』のこと、解けたんじゃないですか?エイジ、そういう感じの顔、してますよ?」
彼女の言葉を聞いた瞬間、僕はかつての記憶を思い返す。
そう言えば、「第三の謎」を経験した直後、例のオンライン通話を通して大体の事情をレアに話したことがあった。
神代の意図が分からず、不思議に思っている、と。
あの時は神代の乱入で有耶無耶になってしまったのだが、この様子からすると、彼女はその後もこの話を、結構気にしてくれたらしい。
そのことに僕はまず驚き────次に、彼女の推察に関して、驚いた。
──凄いな、合ってる……察されたか?
あまりにも唐突かつ、あまりにも的確な推理に、僕は密かに舌を巻く。
以前、レアの推理を現実的ではない、とか何とか評価した記憶があるが、改めなくてはならないかもしれない。
最後の最後で、彼女は正しい推理が出来たようだ。
──しかし、そんなに顔に出てたかな……いや、昨日の一件もあるから、それで分かったのかもしれないけど。
無意識に、自分の頬を触ってしまう。
僕としては、昨日の夕方、全ての真相を推理してからも、出来るだけ普段通りでいるようにしたつもりなのだが────レアには、分かったのだろうか。
「どうですどうです、当たりました?」
嬉しそうに、レアが問いかけてくる。
無論、未だにコソコソ声のままではあったが。
それを軽く宥めながら、僕は合否を告げた。
「正解だよ、レア。これが終わったら、僕は謎解きを一つするつもりだ……全て終わったら、レアにも話すよ」
「むー……終わったら、ですか。最初は、マコトと二人で話す、ということですか?」
「ああ。だって、これは要するに、神代が僕のために仕組んだ事だから、さ」
レアと言えど、最初に言うわけにはいかない、という思いがあったのである。
何というか、それがこの一ヶ月の神代に対する、最低限のマナーなのだから。
そう言う意味の説明をすると、レアは少しだけ楽しそうな顔をして、頷いた。
「分かりました……後で絶対、聞かせてくださいね!私も、飛行機の中で解いてみますから!」
勿論、と答えようとする。
だがそれよりも先に、引率の「レアさん、早く!」という催促が響いた。
加えて、訳が分からないような顔で僕たちのやり取りを見守っていた神代が、「桜井君、もう……」と言う。
それらに急き立てられたか、ぴょん、とレアはその場で飛び跳ね、引率の職員の方へと今度こそ走り去っていく。
ただし、一つ。
彼女は走りながらも、こちらに顔を向け、本当に最後の言葉を述べた。
「マコト!エイジ!私の大好きな、名探偵たち!……au revoir!」
au revoir。
フランス語の別れの挨拶の中でも、再会を祈るニュアンスを含む言葉である。
日本語に訳すなら、「さようなら、また会いましょう」くらいになるか。
そんな、彼女らしい優しい言葉を残して。
フランスから来た探偵好きの少女は、飛行機の搭乗口へと駆けていった。
「行っちゃったわね、レア……」
「行っちゃったなあ……」
何となく、しみじみと。
僕と神代は、その場で佇むようにしながら言葉を漏らす。
一種の寂寥感のせいだろうか。
その場所から、動こうとする気があまりしない。
非効率な振る舞いかもしれないが、あまり移動したくなかった。
そして、そのようなことを考えていたのは、僕たちだけではないらしい。
周りを見れば、集まっていた見送り人たちが、皆似たようなことをしていた。
彼らとしても、もう少し、余韻を味わっていきたかったらしい。
五分、十分と。
何か、残り香でも嗅いでいるかのように、人々はロビーに留まり続ける。
……しかし、それにもやがて限界がきて。
ポツリ、ポツリと人々は帰り始めた。
まあ、当然だろう。
留学生たちが去った以上、彼らはもう、ここにいる必要がない。
他の客への迷惑にもなるし、もうやることがない以上、早く帰るのが正解だった。
──だけど僕には、もう少しだけ、やることがあるな……。
先程の、レアとのやり取りを脳内で振り返りながら。
僕は、心の中でそう覚悟する。
そして、その覚悟を足場にして────僕は、いよいよそれを言葉にした。
「……なあ、神代」
「何?」
「この後、時間、とってくれるか?」
力まずに、顔を横に向けて。
朝だというのに全く崩れておらず、美しいままの彼女の横顔に、改めて宣言する。
「今から、『第五の謎』の、謎解きをするから」
言った瞬間、僕と神代の間の雰囲気が一変したのを、肌で理解する。
だが、構うものか。
かつて、「第一の謎」の最後で感じた、彼女への疑問。
まともに返答されることも無く、虚空へと消えてしまった質問。
それに、解を与えるべき時が来たのだから。
「君が……神代真琴が一体何者なのか、解き明かしたい……いいかな?」
改めて、そう問いかけると。
神代は、綺麗な瞳を、一度ぎゅっと閉じて。
そのまま、コクンと頷いた。