名探偵と夢の関係
「……戻ったわ」
「戻りました!エイジ、続き、始めましょう!」
声に釣られて、入り口に視線をやる。
途端に、コントラストの利いた二人が視界に入り込んだ。
まず神代は、少し暗いような雰囲気で。
次にレアは、対照的に明るく。
自分たちが帰還したことを知らせてくれる。
……そうやって帰ってきた彼女たちの顔を見て、ある種反射的に。
僕は、二つのことに気が付いた。
──レア、テンションを明らかに作っているな。多少、無理してオーバーリアクションしているというか……。
ついさっきまでは、「レアは明るい子」というフィルター越しに見てしまっていたため、全く気が付かなかったが────一度気がついてしまうと、その無理矢理さはあからさまだった。
なまじ手の怪我がバレてしまった事で、演技が過剰になってしまったのだろうか。
かなり意図的に、彼女は頬の肉を上に上げ、手をぶんぶんと振りまわす。
その様子は、見るだけで「空元気」という単語を脳内に浮かばせた。
──そして、神代もそれに気づいているな。……細かい経緯はともかく、怪我の治療を見たことで察したか。
もう一つ、気が付いた点。
いつになく暗い感じの表情をしている神代────より正確に言えば、チラチラと、レアのことを心配そうに見る彼女の振る舞い。
それを見て、僕は神代が、僕と同じような推理をしたことを察した。
彼女に、それなり以上の推理力があることは、「第一の謎」の時点から分かっている。
加えて、彼女は保健室にまで同行し、レアのあの傷を──どう考えても爪のせいで出来たとしか思えない傷口を──まじまじと見ているのだ。
大体の真相に辿り着くのは、当然と言えた。
──だけど、レアにかける言葉が見つからず、結局は保健室から戻ってきてしまったって感じかな……。
そんな推測をしているうちに、レアはスタスタと室内に入ってくる。
さらに、机の上にあるお菓子を見て、「あれ?全然、減ってないですね!」と大きく声を上げた。
それだけではない。
ケーキがこれで、ドーナツがこれで、と誰も聞いていないのにブツブツと小声で独り言を呟く。
……さながら、何か言い続けていないと、寂しさが自分を喰ってしまうのではないか、と恐れているかのように。
僕は、ある種呆気にとられるようにして、彼女のその動きを見た。
悪化しているな、という確認と共に。
恐らく、僕が推理中に手の怪我を指摘したことで、自分の内面に気づかれたのではないか、面倒臭い女の子だと思われたのではないか、という、あらぬ心配をしてしまったのだろう。
彼女は、言葉では呼びかける割に、僕の方を見ようともしなかった。
何かをこらえるようにして、首を背ける。
……そんな、レアが初めて見せた「弱さ」を前にして。
僕の中に、ポツン、と心が湧き出た。
──……ああ、無理だ、これ。
不意に、そう思った。
無理というのは、他でもない。
この状況で、気が付かない振りをし続けるのは、もう無理だと思ったのだ。
お節介でも、過剰でも。
やはり、何か言った方が良い。
それが、この一ヶ月、色々と親交を深めた僕に出来る、精一杯だと直感する。
だから、僕は軽く、息を吸って。
同じように、辛そうな表情でレアの背を見つめる神代の様子を、横目で伺い。
それから、先程から思案していた内容を、言葉にした。
「……なあ、レア」
「むー?何です?」
こちらに顔を向けず、彼女は言葉だけを返す。
その横顔に向けて、声を重ねた。
「レアが教えてくれた、オンライン会話のソフト……あれって、確か海外からでも使えたよな」
「……ですね」
「だから、さ。思ったんだけど……」
いつでもあれを使って通話していい、とか、こちらの予定は気にしなくてもいい、とか。
そう言う、ありきたりな言葉は言わなかった。
何というか、陳腐すぎるし、所詮は一時的に慰めるための、嘘だと捉えられるんじゃないか、と思ったからだ。
勿論、これからもレアとああいうツールを使って連絡を取りたいし、仲良くやっていきたい、というのは本心である。
僕としても望むことだし、レアにとっても一番寂しくない選択だろう。
しかし、どれだけこちらが本気で言っても、レアがそれを信じなければ、言葉としての意味が無いのだ。
だから、もっと。
レアの興味を引けて、レアが楽しんでくれそうな提案。
なおかつ、僕が力になれるような提案が、必要だった。
だとすると、これはもう。
一つしかない。
その唯一の案を、僕は間髪入れずにぶつけた。
「もし、フランスに帰っても、身近に不思議なことが起きたら……つまり、レアが何か、『日常の謎』を見つけたら、それ、全部僕に伝えてくれ。……解いて見せるから」
「……はい?」
流石に、聞き流すことができなかったのか、レアが思わず、と言った態でこちらを見る。
その表情は本気の当惑で満ちていて、僕の提案が確かな影響を及ぼしていることを感じさせた。
きっと、この瞬間だけは、離別の寂しさも忘れているに違いない。
「桜井君、それ、どういう提案なの?」
入り口の方から、レアと同様に困惑した表情の神代が疑問を発した。
まあ、傍から見れば、僕が唐突に妙なことを言い出したようにしか見えないだろうから、仕方がない。
僕は微笑を浮かべ、二人に説明するようにする。
「いや、何というかさ……ここ最近、それこそ推理小説の探偵みたいに、謎解きをする機会が多かったんだ。それで、頭をよく使っていたんだけど、何か、楽しかったし?だから、これからも、そう言うのをしたいなー、と最近思うようになって」
実際のところ、僕が謎解きを繰り返してきたのは成り行きという面が強く、そんな感想を抱いたことは特に無いのだが、とりあえずそう言う設定にしておく。
重要なのは、レアが納得してくれることなのだから。
嘘も方便、という言葉はこう言う時のためにある。
「だけどまあ、前も言ったけど、日本は殺人事件なんてそうそう起こらない。だから、謎解きをしたいなら、身近な小さな事件を追うしかない訳で……それで、レアにも協力して欲しい、と思って。……フランスに戻ってからも」
「……つまり、私に、推理小説の依頼人みたいな立ち位置になってほしい、ということですか?」
上手い具合に、レアが話の内容をまとめてくれる。
僕の言葉を理解するよりも先に、好きな物語の構造に現状を当て嵌めるところが、実に彼女っぽかった。
故に僕も、「そうそう、それそれ」と軽く告げる。
「でも、エイジ。そんな小さな謎は、日本でも普通に見つかるんじゃ……」
「いやいや、僕、あまり友達いないから。正直、レアに協力してもらわないと、そう言うことに遭遇も出来ないし、教えてもくれないから」
そう告げて、アハハ、と軽く笑った。
自虐的な笑いも入れて、雰囲気を明るくする。
僕にしてはテンションが高すぎる、いっそ不自然な振る舞いではあったが、ここは致し方ないだろう。
ただ単に、僕の考えを提案するだけなら、ここのセリフは不要である。
しかし、今は必要だと思った。
要するに、話の全体として、「レアを慮って敢えて提案する」という流れではなく、「僕の方がレアに無理を言ってお願いする」という形にしたかったのである。
というのも、実情が前者であることに気づかれてしまうと、レアの方が気が引けて、断ってしまう可能性があるからだ。
寧ろ、エイジにそこまで気を遣わせてしまった、などと気に病むかもしれない。
だからあくまで、僕の我が儘を通してしまっている、という体にした方が、レアの方も受諾しやすいだろう。
そう思って、僕は尚もレアに配慮した言葉を並べた────ではなく、「我が儘を承知で、頼み込んだ」。
「レア、お願いだ。フランスに帰ってからも、謎を提供して欲しい。ただ、暇な時に、ちょっと連絡を取るだけで良いんだ……それだけで、大丈夫だから」
「……大丈夫、ですか」
「ああ、大丈夫だ」
強く、断言する。
頼み込む最中に頭を下げていたため、視線こそ合わせなかったが、実に真剣な言葉だった。
「レア、そうやって、暇な時にでも連絡してくれれば、僕たちは大丈夫だ……そう、大丈夫なんだ」
……図らずも。
作った設定ではなく、本心が形となってこぼれ出る。
ある種、僕が一番伝えたかったところだったからかもしれない。
そして、その意図を汲んでか。
これまで黙っていた神代が、不意に、口を挟んだ。
「レア、私からもお願い」
「マコト?」
「桜井君、こんなにも謎が解きたいらしいから……フランスに帰ってからも、付き合いを続けましょう?互いに、色々と話したいこともあるでしょうから」
そう言って、彼女は僕に合わせるように、軽く頭を下げる。
その声色は、完全に「我儘な男子のお願いを、一緒になって頼んでくれる女子」のそれだった。
上手い具合に、僕の意図に添ってくれたようだった。
……そうやって、しばらく。
僕と神代が、レアに向かって頭を下げるという、妙な光景が繰り広げられる。
この光景を、彼女がどんな思いで見つめていたのかは、よく分からない。
頭を下げたせいで、視線が下に向いた僕としては、それを知るすべもない。
もしかすると、本気で信じてくれたのかもしれないし。
或いは、あまりにも臭い僕たちの演技から、その真意を察したのかもしれない。
どちらかは分からないが、何にせよ、しばらく彼女は口を開かなかった。
────しかし、少しだけの、沈黙の時間を通り過ぎて。
不意に、レアは声を発した。
「……だけど、多分、そういうのはすぐにメンドウ、になりますよ?」
まるで、駄々をこねる子どものように。
或いは、泣いて縋る大人のように。
ほんの少し、湿りを帯びた声で、彼女は問いかける。
彼女の中を埋め尽くす寂しさよりも、現実的な不安の方が前面に出てきたのか。
レアの言葉は、辛さを隠そうとしない割に、僕たちへの配慮が忘れられていなかった。
いや寧ろ、僕たちに変に配慮しているからこそ、寂しかったのかもしれない。
事実、彼女はその言葉を止めようとしなかった。
「きっと、連絡を返してくれなかったら、私、怒っちゃいますよ?……話せなかったら、ヤダ、ですよ?……それでも」
「……大丈夫だよ。こっちとしても、色々と努力するから。というか、努力したいくらいだから」
まだまだ続きそうな不安の羅列ではあったが、言葉の最後まで待たず、僕は顔を上げてそう返す。
現実的には、それなりに難しく、同時に面倒くさいことなのかもしれないが────それでも。
ここで、彼女を笑顔にできるなら、その程度の努力は安いと思ったのだ。
「でも……」
「大丈夫よ、レア。今の時代、電話もメールもあるのだし……何より」
レアの言葉を遮るようにして、今度は神代が口を開いた。
彼女は、しっかりとレアのことを見据えて、そして断言する。
「私たち、貴女からどういう形で連絡が来ても……それを『鬱陶しい』とか、『嫌だ』とか、決して思わないから」
それが、怖かったんでしょう、と。
やはり全てを察していたらしい神代は、そう話を締めくくった。
その言葉を境に、再び、幾ばくかの沈黙。
だが、今度の沈黙は、先程よりも早く終わった。
神代の言葉を聞いたレアは、じきに口を開き────。
「……絶対、ですよ?……約束、ですよ?」
そう、ポツリとこぼした。
……恐らくそれは、彼女なりの、最終確認だったのだろう。
この、目の前に居る二人の友人を、どう思っていいかの、最終確認。
この段階に至って、まだそんな確認をするあたりに、明るい態度に隠された彼女の地というか、年齢相応に怖がりな部分が現れているような気がして、僕は何とも言えない気分になる。
まあ、何にせよ。
こうまで言われたら、返す言葉は決まっている。
僕と神代は、どちらともなく視線を合わせ、そして頷いてから返事をした。
「ああ、絶対、だ。ちゃんと、レアがフランスに帰ってからも……謎解きを、やっていこう」
「約束、だから」
僕と神代が、そう返すと。
不覚にも、という雰囲気で────レアの表情が、ふわりとした笑みへと変化した。
先程までの、今にも泣きだしそうな顔ではない。
無論、保健室から戻ってきた時の、無理をした笑みでも無い。
うっかり本音が漏れてしまった、と言わんばかりに、本音を映し出す笑顔。
その表情のまま、彼女は。
「……だったら、私……本気に、しちゃいます!」
そんなことを言って。
強く、頷いてくれた。
──良かった、レア、笑ってくれた。
レアのその言葉を聞いた瞬間、意図せず、ふう、と息を吐く。
どうやら、レアだけでなく、こちらまで変に緊張していたというか、気負っていたらしい。
ある種の反動で、肩の力がごっそりと抜ける。
隣を見ると、神代も同じような顔をしていた。
視線が合った僕たちは、何となく、互いに苦笑いを浮かべる。
さらに、そんな僕たちを見て、レアはクスクスと笑いを溢した。
その勢いのまま、レアは。
やや唐突に、こんなこと言い出す。
「何となく、今思い出したんですけど……日本に来たばかりの時、エイジやマコトは、私によく言ってましたよね。現実の日本は、殺人鬼も探偵もそうそういない。そんな事件は頻繁には起こっていないし、探偵にも会うことは無いって」
「ん……ああ、そう言えば、そんなことを言ったな」
今となっては、懐かしさを感じる誤解の訂正だった。
一ヶ月前、初めて出会った頃、彼女とそう言う会話をした。
特に神代は、ホームステイ初日からその誤解を解くのに奔走したらしい。
ただ正確にはこれは、未だに完全には解けていない節のある誤解である。
尤も、最近は流石にこの国の治安の良さは分かってきた、とか言っていたような気がするが────。
「二人の話を聞いて、流石に、私も納得しました。ですけど……今思えば、アレ、嘘ですね、マコト、エイジ?」
「えっ……いえ、そこは嘘ではないけど」
今更のように繰り返される妙な話に、素で神代が突っ込みを入れる。
僕の方も、この状況で何を言い出すんだ、と目を丸くした。
しかし、そんな反応も何のその。
レアは、「いーえ、嘘です!」と言って、僕たちのことを見つめる。
「だって、日本に来た私は、ちゃんと出会えましたから」
「出会えた……?」
「はい!……物凄く優しくて、物凄く、私の心の中を推理してくれる、素敵な探偵たちに、です」
そのタイミングで、彼女は腕を広げるようにして、両腕を左右に開く。
或いは、僕たち二人のことを、手の方向で指し示していたのかもしれない。
「どんな推理小説にも、推理ドラマにも出てこない、素晴らしい探偵、なんです。……だから、探偵に会うことが夢だった私が、この学校に留学したのは、本当に良かった、です。だって……」
──私は確かに、名探偵に出会えたんですから!
最後に、彼女はそう言って僕たちを見つめ返して。
さらに、もはや握り締める必要もない手を、楽しそうに動かす。
それから、彼女はもう一度、最高の笑顔を見せてくれた。