印象と成長の関係
────正直な、ところ。
今この瞬間まで、僕の抱くレア・デュランという少女に対するイメージの大部分は、「とにかく明るい」という点に集約されていたと思う。
本気で、悩みなんて持っていないんじゃないか、というような印象を僕は持っていた。
酷い感想だが、本音である。
だって、初めて出会った時から、彼女は実に明るかった。
いや、出会った時だけではない。
彼女と話すときは、いつも、向こうの方がエネルギーに満ち溢れていて────それにつられるようにしながら、僕は会話していた気がする。
そのくらい、彼女は僕に無い物だけで出来ているような女の子だった。
例えば、名探偵が見たい、という理由だけで日本に──彼女の中では治安が悪いことになっているはずの場所に──来るだけの、行動力。
例えば、初対面の相手でも臆せずに話しかけ、自分の抱いた疑問を解決させていく、執着心。
例を挙げれば、きりがない。
そんな彼女だから、と言うべきか。
交換留学の期限である一ヶ月が近づいても、僕たちは、あまり悲壮感を感じていなかった。
これは、今の時代、海外の人間であろうと連絡を取り合う手段は豊富にある、という事情もあるが、それ以上に。
何というか、彼女と悲壮感というのは、絶望的に似合わないような気がしたのである。
お別れ会の最中であっても、朗らかに笑っているような彼女であれば。
そんな、湿っぽい感じにはならないまま、留学を終えるのではないだろうか、という理解でいたのだ。
────しかし。
しかし、だ。
こんな印象は、所詮、僕が勝手に抱いたイメージに過ぎない。
百合姉さんや、神代の件で、はっきりと理解したばかりではないか。
僕の他者に対する理解が、正確とは限らない、という事を。
そもそも──今更ながらの反省となるが──全ての発端たる僕の失恋だって、百合姉さんのことをちゃんと理解していないから、彼女の結婚を察知できなかったのである。
これは多分、僕の悪癖なのだろう。
桜井永嗣は、一度目の前の相手のイメージを決めつけてしまったら、それ以上には考えない傾向がある、ということだ。
百合姉さんのことを「初恋の人」としか捉えず、彼女が僕を、昔馴染み程度にしか認識していないことを長らく認められなかったように。
僕がレアのことを「明るい子」としか見ておらず、それ以外の印象を取りこぼしてしまっていた可能性というのは────結構、高い。
……そうだ、誰が否定できるだろうか。
レア・デュランという少女が、その心の内に、寂しがり屋な部分や、年齢相応に幼い部分を持っているかもしれない、という可能性を。
一ヶ月で帰国してしまうという自分の現状を、辛く思っていたのかもしれない、という疑念を。
考えてみれば、当然のことだ。
いくらこの時代、海外の人間とも連絡が取り合えると言っても、気軽に、とはいかない。
寧ろ、どうしたって連絡を取り合う頻度は下がってしまうだろう。
日本とフランスの位置関係を考えれば、時差だって馬鹿にはならない。
さらに、互いの予定も存在する。
今のように、「学校で顔を合わせることが可能で、それが無理でも放課後ならオンラインでいつでも会える」という風には、まず間違いなくならない。
どうあがいたって、疎遠にはなるだろう。
だから、仮にレアが、この一ヶ月のことを、楽しい思い出だと認識してくれていたなら。
いや、楽しんでいれば、いるほど。
その楽しい時間の終わりを、強く恐れ始めていたというのは、十分に考えられる。
そして、それに伴う寂しさや悲しみをこらえるために、掌を強く握りしめるようなことがよくあった、というのも、有り得そうな話だ。
彼女だって、僕たちと同じ年頃の、一人の女の子なのだから。
……何時から、その恐れを、寂しさを抱え始めたのかは、正確には分からない。
ただ、切っ掛けとなったのは恐らく、数日前に行われた、彼女の編入クラス内でのお別れ会だろう。
神代と、他のクラスメイトたちが行ったという、少し早め──多分、学活の時間割の都合だろう──のお別れ会。
当然、クラスメイトたちは皆、レアとの別れを惜しみ、別れの言葉を投げかけたはずだ。
なまじ、それを体験してしまったせいで。
レアは、自分がもうすぐ帰国してしまい、彼らの大多数とはまず会えなくなる、という事実を、実感として分かってきたのではないだろうか。
だから、彼女はぎりぎりのタイミングで、僕や神代とのお別れ会を開きたい、と言い出した。
このままでは帰りたくない、と思ったのか。
或いは、場合によっては二度と会わないことも有り得るので──例えば、いくら彼女の方から連絡を取ってきたとしても、僕が返信を面倒くさがればそれだけで音信不通になってしまう──見納め、という気持ちもあったのかもしれない。
僕の推理を最後に見ておきたい、と先程言っていたのも、そのあたりの想いが関連しているのか。
幸い、突発的な計画だった割に、神代が賛成して場所も提供してくれたので、開催自体は成功した。
帰国前の準備で忙しいだろうに、生徒会の予算が余っていたことも有って、何とかお菓子の買い出しも遂行できた。
しかし、やはり。
実際に開催したところで、また、辛くなってきたのだろう。
お別れ会が開催されるというのは──逆説的にだが──彼女がもうすぐ帰国してしまうことの証明のような物である。
そのあたりの寂しさや悲しみを、なまじお別れ会が始まったことで、確かに感じてしまった。
しかし、普段のキャラを意識してか、口に出すことはせず────一人、掌を握り締める。
あの傷口は、そう言う行為の果てに生まれたものだ。
彼女としても、隠し通す気だったのか、お別れ会が始まって以降、掌を見せる気は無かったようだが。
それでも、何気なくペットボトルを受け取ったために、血が付着し────僕が気が付いてしまった。
──え、そうなんですか!?
──分かりません、何か、変なの触ったんですかね、私。
──痛みも無かったので……。
僕が、傷口について指摘した時の、レアの言葉である。
……あの時、彼女は、一体どんな気持ちで。
こういった言葉たちを、口にしたのだろうか。
これで、僕の推理は終わりだ。
ここ数日のレアの行動は、これで全て説明出来たと思う。
さて────それでは。
これから程なくして、保健室から戻って来るであろう彼女を前にして。
僕は、何をする?
お節介なことをしていると自覚しながら、一人。
僕は、黙々と考える。
一人の人間と、ここまで努力して繋がろうとしたのは、生まれて始めてかもしれない。
もしかすると、真に様子がおかしいのはレアではなく、僕の方なのだろうか。
……しかし、ここで手を抜きたくは無かった。
何せ僕には、経験がある。
多分分かってくれるだろう、とか、まあ大丈夫だろう、とか。
相手のことを分かったような気になって、実際は全く理解していなくて。
そんな怠惰な言い訳を原因として、親しかった人と話さなくなってしまうのは、もう嫌なのだ。
だから、考え続ける。
口約束のレベルでいいから、何か、いい声かけでも出来ないか、と思って。
そして、思考の海に浸っているうちに────彼女たちは、帰ってきた。