寂寥と振り返りの関係
──あの乾杯が原因だとすると……一本だけべたついていないペットボトルがある事は当然、なのか?だけど……。
そうだとすると、べたついていないペットボトルの持ち主は分かる。
消去法というか、妥当な線として。
しかしこの場合は、残った二本のペットボトルの区別が出来ないままだ。
そこが出来ないと、正確な推理とはならない────。
「確かに、ここだけちょっとベタベタするわね……レアも、触っておく?後で、手を洗わなくちゃならなくなるけど」
「あ、大丈夫、です!すぐに触ります!」
僕が推理しているうちに、背後では神代とレアがそんな会話をしていた。
同時に、はい、という声と共に何かが受け渡される。
僕が最初に手渡していたペットボトルが、レアの手に渡ったらしい。
「むー……確かに、ちょっと引っ掛かる、ですね……」
ほうほう、と頷きながら、レアはペタペタとペットボトルを触っていく。
何となく、僕はその光景を見つめ、注意がてら口を開こうとした。
そんなに触ると、べたつきが消えてしまうし、指も汚れるぞ、と言って置こうと思ったのだ。
しかし、それを言うために振り返った瞬間。
僕は、レアが持つそのペットボトルのある一点に、視線が吸い寄せられる。
──……赤い、汚れ?
目の前では、より触りやすいようにか、レアが手渡されたペットボトルを横倒しにしていた。
当然の結果として、ペットボトルの上になった面は、中身のジュースと触れ合うことなく、本来の半透明な状態になっている。
一口とは言え、最初にジュースを飲まれて中身が減っているため、空気の層が中に出来ているのだ。
そして、それによって半透明となった面の一画に。
ほんのわずかだが、赤い汚れのような物が、付着している。
「……レア、それ、ちょっともう一度見せてくれないか?」
「え、またですか?」
「ああ、少し、確かめたい」
何となくだが、予感があった。
これこそ、今回の謎を解くための決定的な証拠なのではないか、と。
だから、微かに焦りを覚えながらも、冷静な口調で僕は返却を要求する。
程なく、不思議そうな顔でそれを差し戻してきたレアに感謝を伝えながら、僕はその汚れを観察した。
──やっぱり、赤褐色の汚れがある。さっきは、中身のオレンジジュースの色とごっちゃになって、よく見えなかったけど……。
大きさとしては豆粒よりも小さいが、確かに付着している。
試しに、軽く爪で引っ掻いてみると、パラリ、と大部分が剥がれたのが分かった。
間違いない。
これは、ペットボトルの内側に付着した汚れ──ジュースの一部が固まったとか──などではなく、ペットボトルの外側から付着しているものだ。
しかも、よくよく観察してみれば、これはただの汚れではない、気がする。
──これ、乾いた血、か?断定はできないけど……。
刑事ドラマに出てくる鑑識のような気分になりながら、僕はそう考えた。
突飛と言えば、突飛な想像。
しかし、今日に限っては、有り得るのではないか、と不意に思った。
ここに血が付着した、という可能性も、十分に実現できる。
そのくらい、僕としては、思い起こされる光景があったのだ。
──何故か、部屋に入ってからずっと、拳を握り締めていたレア。
──そのレアが手に取ったペットボトル。
──今日が、レアのお別れ会当日であるという事実。
──いつもの事とは言え、変にテンションの高い彼女の姿。
──『そこが、寂しいです!』
……なるほど。
今、振り返ってみれば。
確かに、考えられなくもない。
「ああ、そうか、だから……」
意図せず、口に出していた。
頭の中で、今まで見聞きした情報の全てが繋がっていく。
未知が既知へ。
不明は自明へ。
誤解は理解へ。
途端に、今の今まで体験してきたお別れ会の様子が、僕の中では、別の意味合いを帯びてきたことが分かった。
そのことに、僕は少しだけ、寂しさを感じ取る。
そして、僕のそんな様子から謎が解けたことを察したのか、背後が騒がしくなった。
「エイジ、もしかして、解けましたか!?」
「え、本当?」
レアは、本当に心の底から驚いたように。
神代の方は、最早驚きを超えて、呆れるような声で。
最早、聞きなれた感覚のする声を発する。
「でも、謎を解くようにお願いしてから、十分くらいしか経っていないのに……」
続いて、神代の感嘆するような声が届いた。
そう言われて初めて、確かに、と思う。
つられて時計を確認してみれば、推理を頼まれた時から、時間は殆ど経過していなかった。
最初は、無理難題だ、とまで言って断ろうとしていた話だったが────これまでで一番早く、解けてしまったらしい。
これは多分、今回の「第四の謎」が簡単だった、というよりも。
僕が、二人のことを、よく知るようになったからなのだろう。
特に、レア・デュランという少女のことを、僕はたったの一ヶ月で知りすぎた。
だから、という気がした。
……そんなことを考えながら、僕は二人の方を振り返る。
そして、浅く、微笑した。
「……大体、解けたよ。二人の望む通り、謎解きが出来ると思う」
「おおー、です。エイジ、凄いですよ、こんな早く……」
パチパチパチ、とレアが拍手をしてくれた。
それを見つめながら、僕は気を引き締める。
探偵役として、今回は今まで以上に、上手いことやる必要があるだろう。
気分的には、「第二の謎」を神代の前で解いた時の感覚が、ほど近いか。
所詮は、欺瞞なのかもしれないが。
それでも、今日は、彼女のお別れ会なのだから。
そう思いつつ、僕はいつもの言葉を述べた。
「さて────」
「まず、この三本のペットボトルの内、神代の物がどれか、というのはすぐに分かる。さっき言った、べたついているかどうかを確認すれば、それだけで判別できるから」
「この、一本だけベタベタしていないもの、ですか?」
レアはそう言いながら、机の上から一本のペットボトルを手に持つ。
先程、僕が「これだけべたついていない」と断言したものだ。
「そうだ、この、ベタベタが無いものに関しては、神代が口を付けたものだと断定していいと思う」
「それは、何故かしら?……そもそも、このべたつきの差は、何故発生しているの?」
疑問に思ったらしく、当の神代から突っ込みが入った。
予想された疑問だったので、僕はすぐに返答する。
「……少し、思い出して欲しい。これを最初に口にした時、三人で乾杯しただろう?」
「しましたね」
「したわね」
「そしてあの時、最初は僕とレアが乾杯をした、そうだよな?」
些細な記憶ではあったが、流石に十数分前の記憶なので、このことは誰も忘れてなどいなかったようだ。
そうだったな、というノリで二人が頷く。
「そしてあの乾杯は、力加減が分かっていなかったから、ちょっと勢いが強すぎた……そして、あの時、ペットボトルの蓋は外れていた。だったら、考えられることがある」
如何にも、ペットボトルを持ったままはしゃいでしまった子が、やりそうな事。
というか、起きてもおかしくないこと。
それを、僕は言葉にしてみる。
「このべたつきは、その乾杯の勢いが強すぎて、ジュースが零れたために生じたものだ。だから、僕とレアのペットボトルはべたついていて、残り一本はそうじゃないんだよ」
言い切ってから、僕は反応を伺う。
すると、レアがああー、という風に納得した顔をしたのが分かった。
どうやら、それを起こした張本人として、腑に落ちる物があったらしい。
レアが納得できる、というのであれば、まず間違いないだろう。
やはりこれは、あの勢いが強すぎた乾杯が原因なのだ。
気がついていなかったが、恐らくあの時、開きっぱなしになっていた飲み口から、少しだけジュースが零れていたのだろう。
乾杯の仕様上、一口も飲んでいない状態でペットボトル同士を打ち合わせたのだから、そういうこともある。
勿論、零れたと言っても、僕たちの手にかかったり、周囲に撒き散らされたりする程大量に零れたわけでも無い。
互いに意識しなかったくらいなので、ちょっと跳ね上がったしぶきが、飲み口の近くを濡らした程度だったはずだ。
しかし、その少しだけ零れたジュースが乾いてしまったので、ちょっとべたついた感じになったのである。
だから、あんな狭い範囲でベタベタが発生していたのだ。
そして、その次に、レアは神代と乾杯をした────ただし、僕の忠告を聞き入れて、静かに、だ。
故に、今度はジュースが零れはしなかった。
強いて言うなら、既に零れたレアの分のジュースが、多少相手側に付着した可能性はあるが、それも少量だ。
べたつくほどではない。
だから、神代のペットボトルだけ綺麗なのである。
「……そう言う訳で、この綺麗なペットボトルは、神代の物で間違いないと思う。だから後は、僕とレアのペットボトルの区別だけど……」
そう言いながら、僕はレアの手を見つめた。
視線の先にある彼女の手は、ごく普通に、開いたままである。
今は、だが。




