ベタベタと違いの関係
──「第四の謎」に、する?
奇妙な言い回しに、僕は思わず眉を顰める。
いや、記憶を振り返れば、奇妙でも無いのか。
以前も、彼女がこういう事をしていたことが──突発的に発生したことを、四つの謎に含めたことが──あったな、と僕は思い返す。
確か、「第三の謎」がそうだった。
その件で、レアに推理してもらったことすらある。
あの時は、風呂上がりの神代が乱入したこともあって、有耶無耶になってしまった感があったが────彼女はもう、その奇妙な行動を隠そうともしなかった。
──というか、それを抜きにしても、いいのかこれ。四つ目の謎を解いたら、僕が彼女の言う基準をクリアしたことになるんだけど……。
連想するようにして、そんなことまで考える。
色々あって忘れかけていたが、そもそもにしてこの「四つの謎」というのは、告白をした僕に対して、彼女が課した試練のような物である。
本気かどうかは知らないが、彼女は「この謎を全て解けたら、彼女になってもいい」とすら言っていた。
つまり、「第四の謎」が解かれてしまうと、彼女は僕と付き合うことになってしまう。
いやまあ、実際には、流石に僕もあんな嘘の告白で彼氏面が出来る程恥知らずでも無い。
失恋を受容し、そこそこ冷静になった今は、猶更だ。
だから、本当にそういう流れになったら、ちゃんと百合姉さんに関する事情を話して謝らなくてはならない──自動的に告白も消滅するだろう──のだろうが。
それでも、彼女からすれば、「第四の謎」を提示することが、大きな意味を持つことには変わりがない。
彼女は何を考えているのか、という気分になるのは、当然だった。
昨日、レアが帰国するまでは、この辺りの謎は考えないで置こうと考えたばかりだが────それでも、気になってしまう。
「……これで、最初に言った四つの謎は、最後だから。最後の謎として、ちゃんと、解いて欲しい」
そうこうしているうちに、滑らかな動作で頭を上げた神代が、そんなことを言った。
さらに、彼女はレアの方を向いて、ニコリ、と微笑む。
「レアも、それでいい?お別れ会というより、桜井君の推理の見納め、みたいになるけど」
「はい、大丈夫です!さっきも言いましたけど、私、またエイジの推理を見たいですから!」
場の雰囲気を分かっているのかいないのか、変にテンションの高い口調で、レアが神代の提案を肯定した。
そして、もう一度こちらを見つめてくる。
神代も、それに続いた。
自然、いつの間にか生徒会室内は、ケーキもお菓子も置き去りにして、二人の少女が何かを期待するかのような目で僕を見つめ続ける、という妙な空間になった。
その雰囲気を察して、僕はぶるり、と体を震わせる。
不味い展開だ。
──……何か、僕がこれを解かなくちゃいけないような雰囲気になって無いか、これ。
どういうわけか、神代の言葉を起点に、僕の逃げ道は消えかけているようだった。
彼女たち二人の様子から、ある種の圧を感じ取り、僕は軽く後ずさる。
僕が元々持っている、気まずい雰囲気を嫌う性格が、ここへきて影響を及ぼしてきた。
この性格のせいで、かつて学級委員長なんてものを引き受けてしまったのである。
この一ヶ月でそこそこ会話するようになった二人からのお願い、というのが、その性格を加速させていた。
要は、二重三重に、僕が推理を引き受けざるを得ない感じがしているわけで。
そうなると、僕に断れるだけの胆力があるはずもなく────。
──まあ、「第四の謎」を解くことで、神代周りがどうなるかは分からないけど、ここはとりあえず、レアの要求には応えておくのが無難だろうし……。
頭の中で、そんな言い訳が走り回る。
そうなると、もう駄目だ。
自分から引き受ける理由を創造し始めると、もう終わりである。
「……分かった、やってみるよ。出来るだけ、だけど」
気が付いた時には、勝手に首が縦に動いてしまっていた。
途端に、レアがわあ、と軽く飛び跳ね、神代は感謝を示すように頭を下げる。
それを見ながら、僕は自嘲と自己嫌悪を籠めて、はあ、と息を吐いた。
「さて、そうなると、このペットボトルの差異を何が何でも見つけなきゃいけない訳だけど……」
机の上に並べたペットボトルを見ながら、僕はむう、と唇を尖らせる。
雰囲気に負けて引き受けたはいいが、これが難しい謎であることには変わりがない。
元々差異がない物に──大量生産した市販のジュースなのだから当然だが──差異を見つけようというのだから、当然ではある。
しかしそれでも、一縷の希望を託して、三本のペットボトルを一本ずつ手に取り、じっくりと嘗め回すように見てみる。
それこそ、今までの人生でこんなにも真剣にペットボトルを見たことは無いぞ、というレベルで観察をした。
僕の背後では、とりあえず椅子に座った神代とレアが、興味深そうに僕の動きを見つめている。
──パッケージやラベルは、当然全部一緒だよな。製品名とか書いてあるだけだし……ペットボトルの蓋の、製造番号みたいなのはそれぞれ違うけど、僕たちが覚えているはずもない。
チャプチャプチャプチャプと音を立てるペットボトルを、逆さにしたり、横から見たりしながら、僕は観察し続けた。
視界に映るのは、何の変哲もないペットボトルと、その上半分を覆うオレンジ色のラベル。
加えて、ある種のコントラストを醸し出す、青色のキャップだ。
見れば見る程、差異なんて無いな、という事だけが確認され、徒労感がついつい沸き上がったが、この際それは無視する。
例え暴論だろうが詭弁だろうが、一度引き受けてしまった以上、せめて推理っぽいことはしておかないと、神代はともかく、レアが気持ちよく帰国できないだろう。
やるしかない、ということだ。
──本当は指紋とかとれたらいいんだろうけど、採取するやり方分からないしな。そもそも、指紋が残っているかどうかも怪しいけど。
そう思いながら、僕はペットボトルの蓋の近くを、つう、と撫でる。
すると、冷やされたペットボトルの常として、表面で凝結した水分が指先に付着した。
これでは、指紋など碌に残るまい。
いよいよ分かんないなあ、と思いながら、僕は何となく、手慰みに他のペットボトルも指先で撫でてみる。
特に意味も無い、無駄な動作として。
しかし────その瞬間。
指先が、少しだけ抵抗を感じたのが分かった。
グイっと、何かに引っ張られたような。
「……ん?」
僅かではあるが、それでも気になる程度には引っ掛かる感触。
それを確かめたくて、僕は何度かその部分で指を往復させる。
──他の部分と比べて、引っ掛かる……というか、べたついている?
すぐに、もしかしすると、ジュースが零れたのか、と連想した。
こういう、砂糖が恐ろしい程入っているのであろうジュースには、よくあることである。
この手のジュースが何かに付着し、そのまま乾いた場合、ほぼ百パーセントべたつく。
その中でも、このオレンジジュースは甘味が強かったからだろうか。
飲み口からジュースが零れ、ペットボトルの表面を伝ってしまった軌跡であるらしいその箇所は、既にべたつきを感じていた。
「……桜井君、何か見つけた?」
僕の様子を見て、何か発見したらしい、と気づいたのか、神代が驚いたように声を漏らす。
それを聞いて、僕はべたつきを感じる箇所を指さして、何も言わずに手渡す。
説明する時間も惜しい、と思ったのだ。
こういうべたつきは、時間経過で消えることも有り得るのだから。
そう考えた僕は、残り二本のペットボトルも同じように、指先で撫でまわしてみる。
傍目には気色の悪い仕草だった事だろうが、僕としては真剣だった。
果たして────僕はようやく、決定的な違いを見つけた。
「残った二本の内、べたつきがあるのは一本だけだな。残り一本は、綺麗なまま……つまり、三本中二本はべたついていて、残りの一本に関してのみ、ジュースがペットボトル表面にまで零れていない、のか?」
ふむ、と僕は考え込む。
すると、背後からレアが──神代が最初に確認したペットボトルを観察しているので、暇だったのか──口を挟んだ。
「ベタツキ……それは、ベタベタした感触のことですか、エイジ?」
「ん、ああ。そうだな」
「それを感じるということは、ジュースが零れたか、別のベタベタした物に触れたか、ですかねー。……だけど、私たち、カンパイしただけなのに」
そんなにジュースが零れますかねー、と。
本心から疑問を覚えるようにして、レアは首を傾げた。
──カンパイ、乾杯、か。
ふと、僕はレアとの乾杯の様子を思い返した。
神代とレアとの乾杯とは違う、勢いの良いあの動きを。




