あるはずの物と所有者の関係
「えーと、こう、ですね!」
神代の言葉と共に、ペットボトルを宙に持ち上げてから、レアは僕の方に向き直る。
そして、見よう見まねで、僕の持つペットボトルと自分の持つペットボトルを、コン、と打ち合わせた。
恐らく、これも漫画やアニメで見た知識なのだろう。
しかし、どうにも力加減までは真似できなかったのか、割と勢いが強かった。
まだ一口も飲んでいないこともあり、互いにペットボトル内のジュースが軽く跳ね、ピチャリ、と音を立てる。
「レア、別に、実際にぶつけなくても大丈夫だ。グラスならともかく、ペットボトルなんだし……」
「あれ、そうなんですか?」
どうにも思っていた感じと違うな、とばかりに首を傾げるレアにそう言うと、彼女はさらに首を傾げた。
海外でも乾杯の習慣自体は存在するはずだが、レア個人としては、今までそのような経験は無かったらしい。
しかし、一応聞き届けてはくれたらしく、次に彼女が神代の方に向き直った時には、もうちょっと静かに──というか、直にペットボトル同士はぶつけないようにして──乾杯していた。
そんなレアの様子を横目で見ながら、僕はまず自分の持つペットボトルをグイ、と一口飲む。
口の中に広がるのは、まあ、市販のオレンジジュースならこんなものかな、という感じの味だ。
深宮が言う程甘ったるくはなかった──あれは多分、この味に飽きてしまったために感想が歪んだのだろう──が、確かに、運動の後に飲む物ではない。
そう言う意味では、このお別れ会にこれを持ち込んだのは、結構良い判断なのかもしれなかった。
──まあ、とりあえずはお菓子を選ぶか……。
ジュースのことに関してはそのくらいで思考を切り上げ、僕はとりあえずペットボトルの蓋を閉める。
さらに、持ち続けたままというのも腕が疲れるので、それを机の一画に置いた。
そして、ようやく会議机の方に視線をやる。
パッと目に映るのは、結構高かったんじゃないか、と思うほど立派なチーズケーキ三ピース。
その周囲にも、クラッカーやらパイやらクッキーやら、国籍も種類も雑多な洋菓子が並んでいる。
冷蔵庫を見た時にも思ったことだが、随分とユニバーサルなチョイスだ。
彼女たちがこれらを買いに行ったデパートでは、何か、「国際お菓子フェア」みたいなのを開いていたのだろうか。
──あっちに置いてあるのは、形が変だけどクッキーか。その隣はドーナツ。そのまた隣は、えーと……シュトレンか?
シュトレン────レーズンやドライフルーツを中に入れた、ドイツの菓子パンのような物である。
知識としては知っていたが、何気に見るのは初めてだった。
……そこで、自分が洋菓子について随分と詳しくなっていることに気が付き、僕は密かに苦笑する。
間違いなく、百合姉さんに対する失恋から発生した後遺症だ。
以前言及したことだが、「第三の謎」の一件あたりから、怖いもの見たさも相まって、僕はこの手の知識に妙に詳しくなっている。
それこそ、ドーナツの穴が何故あるのか、と理由をグダグダと述べることが出来る程度には。
ほんの少し前までなら、シュトレンはおろか、ケーキの種類すら不確かだったに、今はこうなっているのだから、人間の変化というのは恐ろしい。
怖いような、呆れるような感覚を抱きながら、僕は並べられた洋菓子に視線を戻す。
そして、その瞬間。
──ん、あれ、だとすると……。
ほんの、些細なことを切っ掛けに。
僕は、違和感を覚えた。
僕が今、目にしてる大量の洋菓子。
乾杯の後、レアと神代と共に、こうして見つめている国際色豊かなお菓子たち。
それらを見渡して、何か足りない、と思ったのだ。
いや、正確に言えば、足りないというのは変か。
何というか、こう。
この場面で存在してもおかしくない、或いは存在するのが普通と言えるくらいポピュラーなお菓子が、机の上に無いことに気が付いたのである。
──神代たち、「あれ」を買わなかったのか?いやまあ、別に良いというか、寧ろ助かったかもしれないけど……。
どうでもいいことだとは自覚しつつも、変に目につく。
ここまで色々買っているのなら、一つくらい、買われていてもよさそうなものだ、と思ったのだ。
売り場に最初から置いてなかったのだろうか、とも思ったのだが、即座にそれは無いか、と思い直す。
というか、シュトレンまで買ってあるのなら、普通売り場にあるだろう。
シュトレンも「あれ」も、同じ国のお菓子なのだし。
──まあ、売り切れていたのかもしれないし、尋ねる程じゃないけど……。
何分、ここ一ヶ月くらい、僕の感情を妙に動かしてきた存在である。
しょうも無いと思いながらも、考えずにはいられなかったのだ。
この辺り、洋菓子に関する知識と同様、失恋を受容しても尚、続いてしまっている後遺症なのかもしれない。
……そこで突然、ポンポン、とレアが僕の肩を叩いた。
「……エイジ?ケーキ、どれにしますか?」
意識が、ハッと現実に戻る。
反射的に振り返ると、何故か未だに手をグーの形にしているレアがそこに居た。
拳の形のせいで、ボスボスと骨に響いてちょっと痛かったが、その分、僕は明確に思考の波から戻る。
慌てて、彼女に返事をした。
「え、何だ、ケーキ、選ぶのか?」
「そうよ。一応、それぞれ種類が違うから……」
話を聞いていなかった僕に、神代が説明をしてくれる。
それを聞いて、ようやく僕はレアの言葉の意味を把握した。
どうやらあのケーキたちは、パッと見同じに見えても、味がそれぞれ違うらしい。
それで、僕に意見を聞いたらしかった。
「……僕は正直、どれでもいいけど」
「じゃあ、私、選んでいいですか?」
「ああ、というか、今回のメインはレアなんだから、レアが好きなのを食べなよ」
それでいいだろう、という意図で僕が神代を見ると、彼女も最初からそう考えていたようで、すぐに頷いた。
「ありがとうです、エイジ、マコト!だったら……」
どれにしましょうかねー、と歌うように言いながら、レアはケーキが置いてあるところにまで歩いて行こうとする。
会議机は大きいので、彼女が立っている位置から、そのケーキたちは少し遠かったのだ。
自然、彼女は手に持っていたペットボトルを机に置き──同じ場所が良いと思ったのか、僕が置いた場所と同じところに置いていた──、それから体を動かす。
それを見て、神代も手の疲れを自覚したのか、未だに持ったままだったペットボトルを、僕とレアが置いた場所と、同じところに置いた。
さらに、レアの選択を見ようと思ったのか、彼女は顔を上に向ける。
その瞬間────何となくその動きを見ていた僕は、あ、と声を上げた。
神代が視線を上に向けて、すぐ。
視線を動かしたせいで動きがブレたのか、神代は自分が置いたばかりのペットボトルに、軽く手をぶつけてしまったのだ。
ぶつかった反動で、ペットボトルが軽く、傾く。
それも、すぐに元の位置に戻るような傾き方ではない。
神代の触れたペットボトルは、ぐらりと崩れ、さらに隣にあるペットボトルも巻き込み────結果、三本のペットボトルは、ドミノ倒しのようにして会議机から転がり落ちた。
見ている僕としても、一瞬のことで、止める暇が無かった。
神代の方も、それは同じだったのだろう。
あっ、とか言っている間に、三本のペットボトルは仲良く落下した。
幸い、中身が結構残っていたためか、大して転がりはしない。
単純に、三本がごっちゃになるようにして、その場に墜落したのだ。
「あれ?どうしました?」
「あっ、ごめんなさい……桜井君、レア」
「いや、いいよ、拾うから」
何か起こったと察したのか、レアが振り返り、それに合わせるようにして神代が謝る。
しかし、辛気臭い空気になるのもアレなので、僕はすぐに気にしていないことを伝えた。
蓋をちゃんと閉めてあるので、中身が零れたわけでも無い。
さくっと拾って置こうと思い、僕はちょうど自分の足元に散乱したそれらを、率先して取りに行く。
──床は綺麗だけど……ちょっとはペットボトルを拭いた方が良いかな。口につけるものだし。
そんなことを思いながら、僕はひょいひょい、と三本のペットボトルを手に取った。
そして、申し訳なさそうな顔を待つ神代を前にして、はい、とそれらを差し出す。
「零れてないよ、大丈夫だ」
「本当にごめんなさい……ありがとう」
気にしなくていいのに、未だに神代は眉を下げていた。
別にいいのになあ、と思いながら、僕は拾った三本の中から、神代の分のペットボトルを選んで渡そうとする。
そう、選んで、渡そうとして────その場で、固まった。
「あれ、これ……」
内心、ヤッバ、と思う。
手早く拾ったことは、もしかすると不味かったかもしれない。
だって、これらは全部、同じ製品で。
ただ単に、置いた場所で誰のものか区別をしていたのだから────。
「これ……どれが誰のだ?」
三本のペットボトルを抱えながら、僕は呆然とそう呟いた。