四つと乾杯の関係
「えーとですね、確か最初、リッコウホするために署名を集める必要があって……それを集めるのはまず大変、と言ってました。マコトが去年立候補した時は、十五人集めたとか」
「署名……推薦人のことか」
そう言えばそんな制度あったな、と僕は記憶を掘り起こす。
生徒会選挙に立候補する者は、十人以上の生徒からの推薦を受けなくてはならない、だったか。
要は、あまりにも変な生徒が生徒会に入らないように、そこそこ人望がある生徒のみ名乗り出ることが出来るようにするための規則だ。
やる気があっても、知り合いが少ない生徒はまずここで躓く。
所詮は推薦状に名前を書いてもらうだけとはいえ、大して仲が良くない人に頼むのも勇気が要るので、自然と一定以上の交友関係がある人が十人くらい居ないと、やりにくいからだ。
神代も昨年、一年生ながら立候補した時には、友達に署名を頼んだのだろうか。
「そして、応援演説をしてくれる人を探すのも大変、と言ってました」
「ああ、それは何となくわかるな。応援演説をする人は、自分が生徒会メンバーになるわけでも無いのに、全校生徒の前で演説しなくちゃいけないわけだし」
これまた、余程立候補者と仲が良くない限り、引き受けてくれる人を探すのが難しい。
先程の署名と違い、原稿を書くわ打ち合わせをするわと、やることが多いのも面倒くさい点だ。
今回、誰が立候補するのかは知らないが、神代がその人物の応援演説を引き受けたというのは、そう言う意味でも凄い。
「勿論、本人の演説も大変ですし……カイヒョウサギョウ?とかをしている間は、帰れないのも大変、と言ってました。数が多くて、かなり遅くまでかかるとか」
「開票作業、か。そりゃあまあ、集計出来るまでは帰れないだろうが……」
これで四つか、と僕は一人数を数える。
立候補前の署名集めと、応援演説をする人探し。
自分自身の演説と、開票作業の待ち時間。
確かに、面倒くさい段階が全部で四つある。
話を聞いているだけで、絶対に生徒会メンバーにはなりたくないな、と思えるほどだ。
──だけど実際には、神代は去年、その四つを潜り抜けて生徒会書記になったんだよな……どこから、その情熱が来たんだ?
ふと、そんなことを思う。
この四つの段階というのは、要するに篩い分けだ。
これを面倒くさがる生徒は、そもそも生徒会メンバーになるな、という学校の意思表示のような物だろう。
逆に言えば、今まさに生徒会メンバーとなっている彼女は、これを面倒と思わないくらいのやる気というか、熱意があったことになる。
昨年、確かに彼女はこれをこなしていたのだから。
当時の彼女はそこまで、生徒会でやりたいことがあったのだろうか。
仮にそうだとすると、やはり彼女が来期は立候補しない、というのが不思議に思えてくるのだが。
……レアが言っていたことから派生した、この小さな疑問。
本質的にはどうでもいい話題のはずなのだが、何故か、妙に気になる。
そもそも、水曜日にも思ったことだが、僕は神代の思考回路というか、プロフィールについて何も知らない。
だから、というわけでも無いのだが────気が付いた時には、僕はもう少し深くレアにその事情を尋ねていた。
「なあ、レア。……神代は、それの四つのことをまたやるのが嫌で、次は出ない、と決めていたのか?本人が、そう言っていたのか?」
尋ねてみると、レアはんー、という顔をした。
それを教えてもらった時の状況を、頭の中で思い返しているらしい。
「どちらかと言うと……その四つのことに関しては、あまり悪く言ってはいなかった、かも」
「そうなのか?」
「はい。確か、そういう仕事で忙しい分、他のことを忘れられるから、助かった、と言ってました」
そう言ってから、彼女は語尾に多分、とつけた。
レアとしても聞き流していたというか、あまりはっきりとした記憶ではないらしい。
ただ、僕としては、結構参考になる話だった。
──「他のことを忘れられるから、助かった」か……何か、余程忘れたいことがあった、ということか?
脳裏に思い浮かぶのは、百合姉さんの結婚式の後、神代に告白しに行った僕の姿だ。
精神的に追い詰められた人間は、訳の分からない行動を取り出す。
ただ、自分が傷つく内容について、これ以上考えたくない、という一心で。
神代もかつて、そんな体験がしたのだろうか。
それについてこれ以上考えるくらいなら、面倒臭い仕事を引き受けてでも──例えば、生徒会に立候補してでも──雑念を消したい、と思うことが。
社会人の中には、仕事に熱中することで自分の中の不安をかき消すタイプの人もいるらしいが、雰囲気としては同レベルの話である。
まだ中学生である僕たちが使うには、変な例えだが。
──証拠も何もない話だけど、そう考えると、彼女が来期出ないことに説明がつくんだよな……もう忘れ去るか、問題が解決するかして整理が出来たので、これ以上生徒会に居る意味が無い、ということなら矛盾はないし。
尤もその場合、じゃあその忘れたい問題とは何なのか、という新たな疑問が生まれるのだが。
謎が解けたようでいて、あまり解けていない。
思わず僕は、レアの前でうーん、と唸って────。
────そこで、まるで僕の思考を邪魔するようにして神代が帰ってきたため、僕の推理は中断してしまった。
「……それじゃあ、まずは買ってきたお菓子を机にでも並べましょうか。ささやかではあるけど、パーティって感じがするでしょう?」
「いや、この量は『ささやか』ではないんじゃ……」
生徒会室にやって来てすぐ、手を合わせて音頭をとる神代に軽く突っ込みを入れながら、僕は冷蔵庫の方に向かう。
流石に神代が来てからは、生徒会云々の話はしなかった。
レアが帰国するまでは、この辺りの不審な点──神代の言う「第五の謎」──は聞かないでおく。
一昨日、既に決めていたことだ。
今はとりあえず、レアのお別れ会を楽しもう。
そう思いつつ、僕はまず、ケーキやら洋菓子やらを冷蔵庫から取り出してみる。
くるりと振り返れば、何となくの流れで、レアがそれを受け取りに来ていた。
冷蔵庫から会議机までは、ちょっと距離がある。
自然、僕が冷蔵庫からお菓子を出し、レアが中継役となって机に置き、神代がそれを並べる、という感じの役割分担になった。
そう言う訳で僕はしばし、冷蔵庫からお菓子と飲み物、さらに付属するスプーンやらフォークやらを取り出す機械と化した。
といっても、いくらたくさん買ったと言っても、この冷蔵庫に収まるくらいなので、すぐに運ぶのは終わる。
あっという間に、冷蔵庫に残るのは僕が持ってきた三本のジュースだけになった。
──結果から言えば、あんまり冷やせなかったな……。
そのことをちょっと残念に思ったが、まあ、今は十一月の末だ。
あまりキンキンに冷やしておかなくても、そう不味い事態にはならないだろう。
そう思ってペットボトルを取り出そうとすると、突然。
にゅっと、僕の肩を乗り越えるようにして、傍らから細い手が生えてくる。
え、と思って振り返ると、いつの間にかそこにはレアがいた。
「エイジ、もう、それだけですね?」
「あ、うん」
「よし、です……だったら、食べ始める前に、カンパイしましょう、カンパイ!一回、やってみたかった、です!」
にこやかにそう言ってから、彼女は素早い動きで冷蔵庫に寝かせておいた二本を掴み、くるりと振り返った。
どうも、お別れ会の始まりが近づくにつれて、テンションが上がってきたらしい。
彼女は上機嫌な表情で神代に向き直り、「マコト、エイジがこれ持ってきてくれたんですよー」と言って、ペットボトルを投げ渡していた。
──最後の最後まで、変わらないなあ、レア。
ここまで来ると、もう苦笑いも出てこない。
彼女にとっては、これがデフォルトなのだろう。
軽く息を吐くだけして、僕は冷蔵庫の扉側に唯一残ったペットボトルを手に取り、扉を閉めて彼女たちの方に向かった。
「……じゃあ、始めるか?」
「はい!カンパイ、やります!」
「そうね、レアがしたいのなら、やりましょうか。ペットボトルで、というのも少し変な感じがするけど」
机の方に戻ると、神代とレアは、それぞれがペットボトルを片手に持って待機していた。
レアに至っては、余程気合を入れているのか、ペットボトルを握っていない方の手で拳を作り、胸の前で構えている。
──乾杯って多分、そんな力強くやるものじゃないと思うけどな……。
思わずそう考えたが、まあ、レアが最後に望むことだ。
大概のことは、叶えてあげよう。
そんな意図の元、僕は求められるままにペットボトルの蓋を開け、さらに飲み口の開いたそれを軽く天に掲げた。
「それじゃあ、ささやかですけど始めましょう。ええと、そうね……レアと私たちの、この一ヶ月を祝して────乾杯!」
神代の声は粛々としていて、手慣れた様子すら感じさせた。
決して、大人の真似をした子どものセリフなどではなく、しっかりした雰囲気がある。
だから、僕たちも自然とそれに続いた。
「……乾杯!」
「カンパイ!」
僕は、少し照れて。
レアの方は、実に勢いよく、始まりの言葉を告げた。




